62. ストーカー被害
身の縮む思いをしながら一日を過ごし、夕食を食べ終えた俺は急いで自室へと戻って来た。
やっと解決の目処が立ったというのに、ここでベルゼに殺されたんじゃ話にならない。
早く――早くサタンの所へ行って、この問題を相談したかった。
その気持ちの余裕のなさのせいで、ドアの外の様子を確かめなかったのは……失敗だった。
日本の、ばあちゃん家の俺の部屋を想像して意識を集中。
目の前が白くなりだしたとき、ドアをノックする音が響いたのだから。
「サタン様、あの、少しご相談が……サタン様?」
「いっ、今はちょっと――!」
ドアの向こうから聞こえたラーナの声に咄嗟に無理だと答えるが、その切羽詰まった声を不審に思ったのかドアを開けてしまった。
ラーナの息を呑む声、次いで悲鳴にも似た声で俺のことを呼びながら俺に向かって走って来るのが、白くなっていく視界に映った。
「来たらだめだ!」
俺の抗議も虚しく、彼女に抱き着かれた瞬間、いつもの引っ張られる感覚が身体を襲った。
「――は? わざわざ見せつけに来やがったのかよ」
「え、いや、ちがっ! ラーナ、こちら本物のサタン様」
「……え?」
いきなり現れた俺たち。
しかもラーナが俺に抱き着いた状態で現れたもんだから、サタンは不機嫌さを隠すことなく訴えてきた。
目を見開いて呆然としているラーナを急いで引き剥がし、目の前の男の正体を伝える。
サタンが見ていたテレビから、お笑い芸人が失敗した乾いた笑い声が聞こえてきた。
申し訳ないけどラーナへの説明は後回しにして、サタンに元に戻る方法が分かったこと、そして今回のベルゼとのことを伝えていく。
最初こそサタンは不機嫌なままだったけど、ベルゼとの会話を話し終わると何故かニヤニヤと楽しげな表情を浮かべた。
「そりゃあ随分と楽しそうな状況だなァ」
「ぜんっぜん楽しくないから! 昨日もあんま眠れなかったし、今日だって……」
昼間の針のむしろ状態を思い出して溜息を吐くと、サタンが吹き出す。
他人事だと思って……。
「むしろよくアイツを騙せてると思ったよなァ。アイツ、仮にも元神だぜ? テメェ程度の演技力で騙せる訳ねェだろ」
「うっ……確かに」
言われるまで忘れていたけど、元々、ベルゼブブはサタンが言った通りバアルという神だった。
人間の都合により悪魔に落とされはしたが、その実力は本物。
そんなベルゼを騙すことなんて、どう足掻いても俺には無理なことだったのだ。
ベルゼの手の上で転がされていたと知り落ち込む俺に、サタンが「それに」と追い討ちをかける。
「教えてもねェっつーのにオレの生まれた日やその日の下着の色まで何故か知ってやがる。……アイツを出し抜く方法があんならオレが知りてーくれェだわ」
「あ、ははは……」
面白くなさそうに顔を歪めるサタンの呟きに、俺は目を泳がせる。
完全にストーカーのそれに、サタンはげんなり顔で溜息を吐いた。
そういえば確かに、パスワードがサタンの誕生日だとか前に言っていた。
ついでにサタン様観察日記とやらがあることも思い出したが、言わぬが吉だろう。
「つーかお前殺したらオレまで被害被んだから、普通に考えて殺されっことねェだろ」
「あっ……」
他人事だと思ってたけど、がっつり関係あったの忘れてた。
ベルゼが俺に手出し出来ないと分かって、心からほっとする。
「まァ、殺さねェにしても逃げ出さねーように監禁くれぇはすっかもしんねェが。……まっ、んなことはいいんだよ。そんで、コイツは? どこまでいったんだよ?」
「どこまでって……ラーナは俺のメイドだよ」
気を抜いていて最初の方はよく聞こえなかったけど、ラーナとの関係を聞かれたのが分かり答える。
まるで男子高校生のようなノリに苦笑が漏れる。
いきなり話題に上げられたラーナの肩がびくりと跳ねた。
サタンは「へぇー」とか「ふーん」とか言った後、ラーナを視界に捉えるとニヤリと口端を上げた。
「そんじゃ、サラが本命か? 前に話してたもんなァ?」
「ええっ!?」
「いやサラは協力者だって話を――って本命って何だよ」
サラの出てきた話題といえば、前に協力してくれているって言ったことくらいだ。
よく覚えてたな、なんて感心するが、その後に続く言葉はいただけない。
それじゃあまるで俺が遊びまくってるみたいじゃないか。
抗議するが、聞いているのかいないのか。全て生返事で返してくる。
その間、ラーナの視線は俺とサタンの間を忙しなく行ったり来たりしていて、止めるべきなのか悩んでいるようだった。
「――で、いつにする?」
一通り楽しんで満足したのか、真剣な調子で投げかけられた問い。
急過ぎて何のことか理解出来なかった俺に、サタンが呆れた視線を向ける。
「元の身体に戻るんだろうが。その話しに来たんじゃねェのかよ」
「あ、ああ!」
ベルゼのことがいっぱいいっぱいですっかり頭から抜け落ちていた。
辛うじてさっきの報告で伝えられていたことに安堵する。
このまま帰ってたんじゃ、本当に何しに来たのか分からないところだった。
「オレは別に今すぐにでも構わねェが……そっちは色々と準備があるんだろーし?」
「え? ……それじゃ、明日の夜――この時間で。入れ替わるのに同じ場所に居る必要はないらしいから、ここで待っててくれ」
サラに説明された事項を伝える。
何故か「色々と」のところでラーナに目線をやっていたけど、確かに俺も周りにバレない程度に後片付けをやってしまいたい。
意外な気遣いをありがたく思いながら、これで本当に終わるんだなと少し寂しさを感じた。
サタンは横になると「やっと解放されるぜー」と手をひらひらさせて早く帰るよう促してくる。
「あ、……ちょっと待て」
ラーナと手を繋ぎ、魔界に戻ろうとしていると、何かを思い立ったサタンが何かを紙袋に詰めて俺に渡してきた。
「これ、オレの部屋に持ってけ」
「……プラモ?」
乱雑に入れられた物の上に乗せられていたのは、真っ赤な車のプラモデルだ。
言及されたくないのか、視線を逸らして「いーんだよ」としか言われなかったけど、その様子に胸が温かくなった。
サタンもサタンでこっちで楽しんでたんだな、って。
白くなる視界の中、ふっと息を漏らすような笑い声を聞いた気がした。




