46. 人為的な傷
進むこと二時間程。山の中腹で魔馬車は停止した。
早々に城下町を抜けてからというもの、延々と木々の中を走り続けた。
どのくらい上流に原因があるのか不明なため、出発前は長期戦になるかと身構えていたけど、実際かかったのはそんなに長くはない時間。
だが体感としては、かなり長く感じられた。
山に入ってからは、魔物とすれ違う頻度も多くなり、彼らが今にも襲いかかってくるんじゃないかと戦々恐々としていたからだ。
ベルゼが安全を確認するために先に降りたのをいいことに、俺は無事に着いたことに大きく安堵の息を吐いた。
「う、わぁ……っ!」
ベルゼに許可をもらって魔馬車を降りた俺が見たのは――周りの木よりも高さのある大きな足の裏だった。
倒れているその魔物は、意識がないのか、はたまた死んでいるのか。近くに俺達が来たというのに身動き一つしない。
巨体に乗られたのか、元々そこにあったであろう木々がポッキリと折れていたり、プレスされて薄っぺらくなっているのを見て、一緒に来てくれたビルや他の使用人の顔が引き攣っている。
急に寝返りをうたれて潰されたくはないから、少し離れた位置から眺めていると、川岸に投げ出されたもう片方の足から血が流れ出しているのに気付いた。
「ベルゼ、あれ……」
「はい。どうやら原因はベヒモスだったようですね」
「ベヒモス!?」
海のレヴィアタンと陸のベヒモス……たまに空のジズも入ってくる有名所。
たしかサタンの部屋片付けたときに、魔物の死体を片付けてくれたヤツだ。
「け、怪我しているみたいだけど、大丈夫なのか?」
「これくらい何ともないでしょう。おい、起きろ」
このくらいって……下流がドロドロになるくらい、大量の血が流れてるはずなんだけどな。
本当に大丈夫なのかと心配していると、ベルゼに蹴られたベヒモスがのそりと起き上がった。
「……あんれぇ〜? ベルゼブブ様じゃないですか〜」
「ベヒモス、サタン様の御前だ」
「ああ〜っ! サタン様、お久しぶりですぅ。この前届けてくれた肉、美味しかったです」
怪我をしているのにきちんと座ろうとするベヒモスを慌てて止める。
両足を前に投げ出した格好におさまったベヒモスは、その巨体を器用に丸めて頭を下げた。
感謝されている理由が何とも言えないが、美味しく頂いてくれたなら何よりだ。
象に似ているようで、どこか違う。ネットでも象やらカバやら巨大な生物に例えられていたが、その気持ちが分かった。
でっぷりしたお腹と、つぶらな瞳に愛嬌を感じていると、ベヒモスは不思議そうに首を傾げた。
「んん? なぁんか雰囲気変わりました? ツンツンしてたのがこう、まぁるくなった気がします」
「それより、何があった。お前の血液のせいで下流がとんでもねぇことに……ゴホン。とんでもないことになっているんだ」
俺の視線に気付いて、言葉を直すベルゼ。
前に俺が怯えてからは、俺の前では綺麗な言葉を心掛けてくれているみたいだ。
突然話をぶち切られたベヒモスはきょとんとした後、丸を表現していた手を下ろして自分の足を見た。
「昨日寝てる間に切れてたんだぁ。みんなにも聞いてみたんだけんど、分かんねくてぇ……とりあえず傷口洗おうとここまで来てぇ、寝ちまいました」
「皆?」
「はい〜。みんなですぅ」
「ベヒモスは魔物から慕われていますので。……おそらく、人為的なものかと」
「……っ!?」
ビル達に聞こえないように、ベルゼが小さな声で教えてくれた。
それを無駄にしないように、驚きの声を口の中で殺して、ベルゼの目を見つめた。
「誰が何の為にベヒモスを傷付けたかは分かりませんが、……まずは、止血しましょうか」
「あ、ああ。そうだな」
珍しく歯切れが悪いベルゼの様子に、その先の言葉が気になるが、ここで言わないってことは何か意味があるんだろうと、聞きたい気持ちを抑える。
ベルゼが目配せして、ビル達使用人が総出で手当てを始めたんだけど、三人で手を回してやっと処置出来る程の足の太さに苦戦しているのを見て、思わず噴き出した。




