41. 軋む音
ラーナ視点。暗いです。
私の母は、辺境の貴族の侍女だった。
父親は……母は私には話さなかったけど、そこの当主。
身篭ったことが発覚すると、母は屋敷を追われ、下町で生活するようになったそうだ。
あまり魔力を持たなかった母は、腐っても貴族の――魔力持ちの血を継ぐ私を身篭ったことで、かなり苦労したらしい。
腹の中にいる異物に身体が拒絶反応を示し、日に日に衰弱していく母が生きていられたのは、同僚だった男が色々と世話をしてくれたからだ。
主人である私の父に内緒で、その人は毎日食料と生活に必要な分のお金を持って来てくれたらしい。
言葉にしないながらも、二人は惹かれていった。
そんな中で、母は私を産んだ。
母親譲りの赤毛。
黒い瞳は父親に似てしまったけど、母もその人もぎゅっと抱き締めて産まれてきたことを喜んでくれたらしい。
異物がいなくなったことで、母は徐々に元気を取り戻した。
私が三歳になる頃にはすっかり肝っ玉母さんになっていたし、後からそんな話を聞くまでは全然気が付かなかった。
今の屋敷を辞めて三人で遠くに引っ越そう。
そんな夢の話をした次の日、お父さんは殺された。
ドアを叩く音に、お父さんが帰ってきたと思って母の静止も聞かず開けたドアの先に、ニヤニヤ笑った知らない男の腕に、お父さんの生首があるのを見て――その後の記憶がない。
気が付けば、私は侍女になっていた。
お父さんが次の働き先としていた貴族の方――アスモデウス様が助けて下さったらしい。
駆け付けたときには母は既に事切れていたらしく、申し訳ないと謝って下さった。
一人になった私はアスモデウス様に受けた恩に報いるため、一生懸命働いた。
同僚にも恵まれて、楽しく働くことが出来た。
だけど私が十五になった年、父がやって来た。
初めて見たときと同じ、ニヤニヤとした笑みを乗せて私を見てきた父。
……私の様子を見て庇おうとした同僚が大怪我をした。
このままここにいたら恩人達にご迷惑をかける。
アスモデウス様はこのままいてもいいと言って下さったけど、私は魔王城で働くことにした。
流石に、サタン様やベルゼブブ様、上位貴族の方がおられるここでは手が出せないと思ったからだ。
私の考えは当たっていたみたいで、それから今まで父を見かけることなく過ごすことが出来た。
やっと手に入れた平穏。
だけどそんな平穏を壊す指令、サタン様付きに任命されたときは、血の気が失せる思いだった。
サタン様付きになって無事に戻って来た人はいない。使用人間で有名な話だ。
無理。頭の中で、その言葉だけがリフレインする。
だけど、真っ白な頭を下げて頼むロナルドさんに断ることは出来なかった。
だけど、サタン様は怯える私に横暴なことは何も言わなかった。
不思議に思っていると、とんでもない話を聞いてしまった。
サタン様が、記憶を失われた、と。
そんな重大な秘密を聞いてしまった私を、サタン様はベルゼブブ様から守って下さった。
――思えば、このときからかもしれない。
サタン様のことがもっとよく知りたいと思ったのは。
色々とお話している内に、恐怖心はすっかり消えてなくなっていた。
このサタン様なら大丈夫。
いつ記憶が戻って殺されるか分からない。けど、それまでは私が出来ることは手伝いたい、支えてあげたいと、思ってしまった。
サタン様にとって、私はただの使用人。
元々叶わない夢だったけど、サラさんと一緒にいるサタン様を見て、分かってしまった。
サラさんに向けられていた心からの笑顔。それが私を見付けると驚いた顔をした後に、引き攣った笑顔になったから。
話の内容までは分からなかったけど、ドアが開けられる直前の「内緒に」の声。
私には、話して下さらないのですね。
八つ当たりした私に困った顔で笑うサタン様。
私は使用人失格です。
分不相応に嫉妬して、主人である貴方にそんな顔をさせて……
サタン様を食堂までお送りして、いただいたオルゴールのネジを巻く。
軽やかな音を奏でるそれとは逆に、私の胸は軋む音をたてた。




