第七話 国王ルドルフ様、王妃ユフィエル様
こんなに大勢の中で、心細い。もっとピッタリ横に張り付いていたいぐらいだ。
でもダメだ、扇で口元を隠しながら、ウイネたちの動きを追っている集団さえいる。多くの人がウイネを観察している。
・・・俯かないで、顔を上げて。控えめながらも、常に微笑む。
ウイネは教えられた事を繰り返して念じて、そうあるように努める。
「まず国王陛下にご挨拶しよう。順番を待つ。ここで並んで俺たちの番が来るのを待つ」
「はい」
「十分綺麗だから」
ウイネの緊張を感じ取っているジョージ様が緊張をほぐそうと褒めて来てくれる。突然来る褒め言葉にウイネは少し笑ってしまう。それを見てジョージ様が少し満足に口の端を上げるので、笑むのが正解なのだと分かる。
順番待ちをする間にもジョージ様に声がかけられる。ジョージ様が応える。
ウイネは努めて笑顔を意識して、傍にいる。決して不要な口を挟まない。
むしろ私に会話を振らないで。
一生懸命、この場の、あらゆる人の機嫌を損ねないように、顔に笑顔を張り付ける。
不敬だろうか。
いいや、けれど。ここにいる人たちは、基本的に皆、張り付いた笑顔に、見えるから。
きっとウイネの表情だって笑顔で通じるに違いない。
***
国王陛下ルドルフ様に、ご挨拶が叶った。
ジョージ様が丁寧な礼を取る。ウイネもその横で、教えてもらった丁寧な礼を取る。
「・・・あなたが出席とはどういう風の吹き回しかな」
国王陛下ルドルフ様が少し冗談っぽく声をかけてきてくださる。柔らかい声で、優しそうで、少し安堵する。
「一度ご挨拶をしたいと、連れてまいりました。・・・もしご不快でしたら、心からお詫びいたします」
ジョージ様のその言葉にウイネは驚いた。ジョージ様は十分、ウイネがどういう存在か認識していた。
国王陛下ルドルフ様は、それに穏やかに言葉を返した。
「いや。私も許可を出した中の一人だ。認めているよ。・・・問題なく暮らしているなら何よりだ」
はは、とジョージ様がどこか愉快そうに笑った。
「結婚なんてと思っておりましたが、なかなか得難い存在で。良かったと思っています。一度ご挨拶させていただきたいと願うぐらいになったのです」
「そうか。祝福するよ」
「ご厚意に心から感謝しています。ウイネ。改めて礼を」
促されて、ウイネは慌てて国王陛下ルドルフ様に向かって丁寧な礼を取る。言葉は不要だと教えられていたから、無言のままだ。
「・・・ユフィエル。少しこちらへ」
「はい」
国王ルドルフ様が、他の人とご挨拶中の王妃ユフィエル様に呼びかけた。
「宰相パスゼナの兄君、ジョージ=ローネスと、その奥方のウイネ=ローネスだ。一度挨拶にと。ジョージに会えるのは珍しいよ」
国王ルドルフ様の言葉に、ほんの一瞬だけ、王妃ユフィエル様の時間が留まった。本当にわずかな一瞬だった。それは、ウイネと視線が合った時だった。
あ。と、ウイネは知った。
国王ルドルフ様が、王妃ユフィエル様の腰を引き寄せて、まるで守るようにしながらジョージ様とウイネを見やる。
「まぁ。お久しぶりでございます。ジョージ様。ごきげんよう、ウイネさん」
王妃ユフィエル様が、ジョージ様とウイネに声をかけて来た。
美しい優し気な笑みだった。
緊張のあまり、ウイネの身体がブルリと震えた。
王妃ユフィエル様。
ウイネの妹、イセリ=オーディオが多大すぎる被害を与えた方。
妹のイセリが、第二王子オーギュット様との仲を引き裂いた。ユフィエル様を蹴落とすような振る舞いをした。
王妃になるような人に。所業に恐ろしすぎて身がすくむ。
女同士だからだろうか、ウイネは悟った。
あの過去は確実に傷のままなのだ。
けれど今が幸せだから。今の方が大切だから、こんな風に声もかけてもらえたのだ。
優しい人なのかもしれない。
だが、それは、この方が王妃にまでなって幸せに過ごされているからこそ。
もし違った未来なら・・・自分たち家族は、一体どうなっていただろうか。
私は、こんなところに来て、ご挨拶なんてするべきじゃなかった。姿なんて、見せるべきじゃなかった。
・・・待って。
でも、国王ルドルフ様が、わざわざ王妃ユフィエル様に声をかけさせた・・・。
「王妃ユフィエル様にもお声がけいただき、これも身に余る光栄です」
ジョージ様が、対応した。
「それにしても、いつ見ても御美しい。両陛下の仲睦まじさにならいたい」
「ははは」
国王ルドルフ様が楽しそうに笑う。
王妃ユフィエル様も穏やかな表情を見せている。黙って、ウイネを見守っていた。
ウイネは心が伝わるようにと、ぐっともう一度礼をとった。
オーディオ家は、ユフィエル様の家に、謝罪を許されなかった。追い払われたと父に聞いている。
それは温情でもあったと聞いているけれど。
だが、謝罪の場を与えられなかったという事は、断罪される事も無い一方で、許される可能性も一切無いという事だった。
これは、公の謝罪の場なのかもしれない。
オーディオ家の代表として、今。やっと。
そして、少なくともウイネについては許されたのだろうと思う。
傍でジョージ様が、王妃ユフィエル様の美しさを褒め称え、『そんな口きけたんだジョージ様』と内心でウイネが思ってしまうような言葉を並べてから、退出の挨拶と礼をした。後ろにまだまだ順番待ちの人がいる。ウイネも改めて、深々と礼をした。
***
離れてから、ジョージ様が嬉しそうにウイネに笑んだ。
「どうだ。優しい方々だろう」
と言ったところで、ウイネの表情が強張っているのに気付いたらしい。
場をわきまえたのか、ジョージ様は黙ってウイネを見た。
「何か飲むか。何が良い」
「・・・ジョージ様、選んでほしい」
「分かった」
選んで、ウイネに手渡してくれた。『軽めで口当たりの良いヤツ』らしい。
気にかけてもらえて、嬉しくて少し安心した。顔がほころぶ。
ジョージ様も安心したようだ。
「大丈夫か。どうした」
「ううん。大丈夫。有難う気遣ってくれて」
「なんか殊勝な事言い始めたな、おい」
ジョージ様が少し柔らかく笑む。
「難しい事考えんな、楽しんでくれ。せっかく連れてきたんだ、俺を喜ばせてくれ」
「うん」
ふふ、とウイネの気持ちは上向いた。
ジョージ様が最大限に気を使ってくれている。ウイネをフォローしてくれている。嬉しい。
気を抜くのは駄目だけど。ウイネにとって、戦場の最中なのだと、自覚しなくては。
ウイネは先ほどご挨拶をした国王ルドルフ様と王妃ユフィエル様を振り返った。
他の貴族たちが挨拶を続けている。
すでに、ルドルフ様とユフィエル様は別々に挨拶のご対応をされていた。
皆様が、磨き上げた笑みで口上を披露している。
それがどこか全て同じような顔に見えた。ウイネは少し瞬きをした。
これが貴族の世界なのか。きっとそうだ。圧倒される。同時に、妙な違和感があった。
それから、ウイネはジョージ様をじっと見た。ジョージ様は自ら選んだお酒を飲んでいる。
この人、貴族なのに表情が豊かなんだな、とウイネは知った。
***
ふ、と何かが気になった。原因を探して視線を動かせば、数名の貴族の方々が扇で口元を覆ったまま、ウイネの様子をじっと冷たい眼差しで見つめていた。
ウイネは硬直した。
敵意を感じる。
当然だ。自分は、身の程も知らず、こんな場所に来てしまっている。
ウイネの注意がジョージ様から外れたからか、ジョージ様はお知り合いと思われる人に声をかけられた。
男性一人だったのが、もう一人合流する。男三人で気さくそうに笑っている。
ウイネは一気に不安になった。
どうしよう、そうだ、飲み物。素知らぬ普通のそぶりで、これをゆっくり飲んで、気づかなかったふりをしよう。
ゆっくりグラスに口をつける。
視界の隅で、ウイネを観察していた方たちが動いたのが分かった。こちらに向かってくる。
どうしよう。
ここから離れたい、でもジョージ様は話し中、どうしよう。
身体が震えそうだ・・・!
すっと、割り込んできた人がいた。
「初めまして。私、チェルシュ=マークエィと申します。ウイネ=ローネス様。ケルネ=オーディオさんとは学校で親しくなりましたの」
「え」
突然の声掛けにウイネは驚いた。
ケルネという妹の名前を出されて、そしてウイネはハっとした。
「あなた様が・・・! 初めまして。妹ケルネも、そして私も、本当に、とてもお世話になっております。あの、結婚できたのは、あなたのお陰だと、妹からも良く聞いております・・・!」
妹ケルネと親しくしてくれている貴族令嬢の一人だ。親しくしてくれた人たちの中で最も影響力を持ち、ウイネの希望を聞き、ジョージ様との縁談を手配してくれた人。
なお、チェリシュ様の背後で、ウイネに近寄ろうとしていた貴族のご婦人方が、近寄って来れず不満げにウイネたちの様子を見ている。
獲物を横取りされたような不満そうな表情を、扇で覆って隠そうとしていた。でも、分かるから怖い。
気付いていないのか、チェリシュ様が楽し気にウイネに笑いかけた。
どこか挑発的な、それでいて、ウイネには友好的な、そんな不思議な、高度な笑み。
「あら嫌ですわ。私、ちょっと父たちに女性としての不満をぶつけてみただけですの。父は私に甘くて、ふふ。自慢してごめんなさい。でもケルネさんにもお姉さまにも感謝して貰えたのは私、とても光栄ですわ。ケルネ=オーディオさんについては、平民ですけれど努力を美しいと思いましたの。ふふ、あと身分を超えた友情というものに、憧れをいだいておりましたのよ」
「・・・本当に有難うございます。妹についても推薦をしてくださったと聞いております。本当に、感謝しても感謝したりないぐらいです」
チェリシュ様が少し呆れたように笑う。
「お止しになってくださいな。私がお声をかけましたのは、ただケルネさんとのお話をお姉さまとしてみたかっただけですわ。感謝されるのは悪い気分ではありませんけど、でももうお止しになって?」
ウイネは感激した。
両手を握りしめたいぐらいに感激した。絶対そんな動きをしたらマズイと分かるから行動に移さないけれど。
ウイネの感激がチェリシュ様には分かったらしい。
チェリシュ様が見守るようにウイネに微笑んだ。本物の微笑みだった。
「そうだわ、ケルネさんと交流のある人たちをご紹介いたしましょう。ほら、あそこにいるのが・・・」
チェリシュ様が会場を少し見回して、妹ケルネと交流があった人たちを紹介しだしてくれた。
チラとジョージ様の様子を見るとウイネの様子に気づいて、軽く数度頷いた。
多分『ウイネが問題ないなら行っておいで』という事だろうとウイネは受け取った。
少し笑みを浮かべて頷き返す。
チェリシュ様が声をかけて、何人かと言葉を交わした。
いつの間にか、ウイネを冷たく見ていた人たちの気配が分からなくなっていた。諦めたのかもしれない。
ウイネは心からチェリシュ様たちに感謝した。
きっと、たぶん、この人は、私に起る事を見抜いていたのだろうと、ウイネは思った。
それだけの機微のある人のように、思えたのだ。
そっか、やっぱり、貴族にも色んな人がいるんだなと、ウイネはちょっと感激して涙目になりそうになりながら思った。