第六話 貴族
結婚して、1年と数か月が経った。
ウイネは、馬に乗り、ある程度ジョージ様についていけるようになっていた。
しかしジョージ様は、馬を降りてなお奥地に入っていくお人だった。
どうして道なき道、枝を切り落としながら進んでいくんです。そりゃ見つけたキノコ大豊作でしたけども! ヘビとかいるんですけども!
ジョージ様、あなたの理想の女、まるで男みたいですよね。ついていきますけど。
ものすごく体力が要る。ジョージ様の理想の女への道のりはまだ遠いようだ。
しかしこれでもまだ加減してくれているのも察せられるので、期待に応えていけるように頑張っていきます。
***
さて、そんな貴族というよりも森の民のような生活の中で、ジョージ様が急に貴族発言をした。
「ウイネ。今度国王陛下が出席の夜会があるから、お前お披露目してやるよ」
「ぇええええええ!? えええええ!?」
「言うな分かってる。ドレスだ。ルネージュ、ウイネのドレス、とりあえず1着作れ。その他宝飾品は家にあるもので合わせろ」
「かしこまりました」
「いやまってジョージ様! 分かってない、たぶん全っ然お分かりでない! 私! 平民! 平民で、イセリ=オーディオの姉! ね!?」
ジョージ様が面倒くさそうにウイネを見た。そんな顔したって駄目だ、ウイネの話を聞け!
「なんだよ、あー、お前平民だったけど今は俺の嫁だろう。問題ない問題ない。なんてこと無いだろうが」
「嘘、待って、絶対違う、待ってジョージ様」
「おぅよ」
「私、夜会が何するとこかも全然知らないの、そんなレベルなの、普通に当たり前に知ってるはずの事を私は全然何も知らないのよ! それに、国王陛下ご出席の夜会って、無理、無理よ!」
ジョージ様が少し困ったように、傍にいた執事のルネージュさんを見た。そしてまたウイネに顔を戻した。
「そんなにパニックになるなよ。夜会な。まぁちょっと綺麗に着飾って、そのあたりの人に軽く挨拶して、あとは適当になんか欲しい飲み物飲んでだな、気が向いたら踊っててもいい、で、帰る。それだけだ。ドレスは用意してやるからどうってことないだろうが。あと、貴族たるもの、国王陛下に挨拶は1度はしとくべきだろ。弟もお世話になってるし」
「せっかくですからダンスレッスンをされてはいかがでしょう。ジョージ様も本気でレッスンされればすぐ上達されるでしょう」
うぇ、とウイネは執事のルネージュさんを見やった。
この人はジョージ様の暴走を止める、ウイネの味方をしてくれるという認識だったのに。今回はジョージ様の味方なの!?
「無茶、無茶無茶無茶、無理、無理よ、無理! お願い無理です!」
ウイネが必死で言い募ったのに、ジョージ様は適当にウイネをあしらった。
「大丈夫だってお前、何とかなるって、どうせ数時間程度の事だろうがよ」
「だって、だって、本当に無理なの、ジョージ様が普通にできる事でも、私には難しいの、だってテーブルマナーだって何一つ知らないぐらいなの、ただそこにいるだけでどうしていいのか分からなくなる!」
それにジョージ様だからもうどうでも良いって思ってくれてるんだろうけど、ウイネは両陛下に多大なご迷惑をかけたイセリ=オーディオの姉だ。一体どんな顔して着飾って挨拶しろと!? 『よくも両陛下の前に出て来れたわね』とか言われて当然のレベルなんですよ!
「大丈夫だって、話しかけられたらフツーにちょっと笑って会話してればいいぐらいだよ。国王陛下だってお前、ケルネだって王宮勤めしてるぐらいだ、絶対冷たくなんかなさらない」
「無理よぅ・・・」
妹のケルネは王宮務めとはいえ、完全なる裏方の職だ。その状態でさらに、決して両陛下の目に留まらないよう、きちんと心がけている。それにつけ加えて言いたいのは、ケルネは努力して有能な人材になっているという事だ。だがウイネはどうだろう。妹ケルネの努力から転がってきたご縁に必死で縋り付き、拾い上げてもらっただけに過ぎないのに。
泣きたくなってウイネがジョージ様の服を両手でつかみながら途方に暮れる。
振り返ってもジョージ様に教えてもらったことは、多分間違いなく貴族と関係ないことばかりだ。毒グモの見分け方とか、ぬかるみをうまく歩く方法とか。
絶対貴族ご令嬢はそんな知識無くて、他の事を一杯詰め込んで生きておられる。何の話をして良いのか全然見当もつかないよぅ!
「ウイネ。俺にも自慢させてくれよ」
ウイネに言い聞かせるモードのジョージ様のお言葉が降ってきた。
「自慢? 何を自慢」
「俺にも連れが出来たんだって一度ぐらい見せびらかしたいんだよ」
「・・・」
見あげるとジョージ様がじっとウイネの機嫌を取ろうとしながら見つめて来ていた。
あ、本心で言ってる。ちょっと照れてる。
「うー・・・」
ウイネは顔を伏せて、ジョージ様の胸に軽く頭突きをかました。
「馬鹿ジョージ様。そんな事言われたら行くしかないよぅ。馬鹿ぁ。絶対夜会の間、絶対私と一緒にいてね。放ってどこかに行っちゃったりとか、しないでね。トイレとかも本当にできるだけ我慢するぐらいのレベルで。むしろ私のトイレの時はギリギリのとこまでついてきてくれるレベルで」
「おぅ。約束してやるよ。仕方ねぇな」
仕方ないのはジョージ様の方だよぅ、と思ったウイネは、もう一度軽い頭突きをかました。
それでもジョージ様がなんだか嬉しそうだった。
仕方ない、頑張ろう。
でも泣きそう。どうしたら良いの。
***
ジョージ様の意欲は本物だった。そしていつもは穏やかにジョージ様を宥めてくれる執事のルネージュさんたちも本気だった。
あぁ、多分これが本来の貴族の姿だからなのかもしれない、とウイネは思った。
乗馬や狩や森探検の時間を削ってまでして、ジョージ様たちはウイネにエスコートのされ方やお辞儀の仕方、多分、貴族としての初歩中の初歩を教えてくれた。大体はジョージ様に合せていればいいと言って貰ったからまだ安心できるような、油断ならないような。
「奥様が皆様との会話を心配されるのはごもっともです。やはりどうしても基本的なところが違うのですよ。ですから、パーティを過ごされるにあたって、お二人でダンスをされる方が宜しいかと存じます」
と執事のルネージュさんたちが言うので、ジョージ様とダンスレッスンも行われた。
ジョージ様はあまり練習したことが無いがそれなりに踊れるらしい。
ちなみに必要最低限しか夜会に出ないで来たからそのレベルで十分だったそうだ。
中流貴族なので、上流貴族とは違い出席が必要な数が違うのだとかなんだとか。
ただしパスゼナ様が宰相に取り立てられた結果、中流ながらお招きが多くなってしまったらしい。
しかしジョージ様はパスゼナ様と正直性格が合わないのがそのうち公に広まり、ジョージ様が不参加でも皆さま意に介さなくなったそうだ。
どこまで自由なの、ジョージ様。ちょっと宰相パスゼナ様に同情してしまうぐらいなのだけど。
などと思いながら、ウイネはダンスレッスンでジョージ様に振り回されている。
ジョージ様の運動能力はどうやら非常に高い。知ってるけど。
あっという間に、ウイネがダンスに無能でもなんとかしてくれるレベルの踊り方を身につけた。
ウイネの動きをぐいぐい引っ張って、華麗に振り回すのだ。
ウイネに求められることは、とにかく笑顔で楽しそうに振る舞う事だけだ。しかし結構ハードなんですけど。それを出さずにひたすら笑顔。
ジョージ様が嬉しそうに楽しんでいるので、それを実感した時に自然に笑ってしまうのを、素早く見張りの先生が取り上げて褒め称える。
「奥様! その笑顔! その笑顔をキープ! 素敵ですよ!」
褒めて褒めてなんとかするタイプの先生だと見た。
褒められるままに頑張ります。それしか私にはできません。
レッスンが終わったら息切れをおこしてぐったりする。
ふと我に返ると、不安が解消されるどころか、自分のできなさっぷりにむしろ不安は募っていく。
大丈夫なんだろうか、本当に。私、本当に夜会に出てしまって大丈夫なんだろうか。
こんな、何も身についていない、無様に息切れしちゃう、見た目も麗しくないばかりかもうかなり歳食ったオバサンが。
付け焼刃でさえもほんのわずかしかつかない、そんな状態なのに。
ちゃんとこなして、無事に帰って来れるんだろうか。
あぁ、もう絶対どうしよう。ジョージ様のお願いだけど。
でも誰かのご不興を買ったりしたら、ジョージ様にもケルネにも、このご縁を下さった貴族の方がたにも、全て多大な迷惑をかけてしまう。
どうしよう、助けて。
ジョージ様には言えないけど、胃が本気で痛い。
ジョージ様の方は、もう明後日になった夜会が楽しみですこぶる上機嫌。
***
当日。
予定通りに飾り付けてもらったウイネを、ジョージ様がニヤリと笑う。
「なかなか良い」
というのはお褒めの言葉だ。
貴族っぽく馬車に乗り、大貴族様のお家に到着。
到着して馬車から降りる時点から、ウイネは圧倒された。
煌びやかすぎる。人も、屋敷も、物も、全て。
「ウイネ。おいで」
ジョージ様の笑いを含んだ声にはっと我に返り、ウイネは差し出される手に縋って馬車を降りる。
近づきすぎても不作法らしく、緊張しながらジョージ様の腕に手を添えて、ちょっと後をついていく気持ちで並んで歩く。
ジョージ様が人に声をかけて軽く礼をするのに合わせて、ウイネも礼をとる。
全て緊張する。
「顔、引きつってるぞ」
途中でジョージ様がウイネを見て面白そうに笑った。
「だって仕方ない」
「笑ってたほうが可愛いから笑ってろ」
「わぁ」
こんなところでそんなセリフを使ってくるジョージ様にウイネは苦笑を返した。
会場になる部屋にたどり着く。
到着した面々を紹介する人がいて、来た人の名前を告げていく。
ジョージ様の名前に続き、ウイネの名前も大きく告げられた。瞬間、興味深そうに多くの人の注目を集めたのをウイネは感じた。
まずい、怖い。
私は、イセリ=オーディオの、姉だ。
ジョージ様は意に返さず、近くの人に「お久しぶりです」とか声をかけながら、部屋の中にウイネを連れて行く。
さすが貴族だ。ジョージ様は貴族っぽくないと思っているけど、でもやっぱりどうあっても貴族なのだとウイネは実感する。
こういう場所に、当たり前に慣れている。気軽に声掛けに応え、当たり前にウイネをそちらに誘導しながら連れて行き、少し談笑して軽くウイネを紹介しながら、詫びつつ離れて奥に進む。