第三話 犬と馬と泥
どうも、ジョージ様はウイネの事を、『話のできる大型犬を手に入れた』と思っているような気がする。
悪い人じゃないんだろうけどなぁ。扱いが雑すぎる。
ウイネがうっかりため息をついても気づかない。その方が気楽でいいかもしれない、と一週間目にしてちょっと悟った。
「ウイネ! 走りに行くぞ」
「はい!」
乗馬だ。呼ばれるとウイネはついていく。たぶん一緒に楽しまれることを求められていると察するからだ。
そして、ウイネは、断って見捨てられるのが怖い。断る勇気なんてない。
ウイネは縋っているのを自覚していた。
もし離縁されたら、店に戻る事になる。
それでいいと始めは思っていたけれど、よく考えたら、兄だっていつか結婚する。そうしたら兄夫婦の邪魔になってしまうだろう。ウイネはあの家を出ないといけない。どこかに行かなくてはならない。
一人で生きていく自信と勇気はウイネには無かった。
だから、捨てられたくない。ウイネは必死でジョージ様に縋り付いている。
もしかして、その必死さを分かって、ジョージ様は私を拾ってくれたのかもしれない、と思う事もある。
無茶苦茶連れまわされるけど、愛玩動物のように可愛がってもらっているとも思う。
平民と貴族だから、そうなるほかないのかもしれない、なんて思う。
もし、もう不要だと愛想をつかされたら、嫌だ。
***
「ウイネ、お前慣れてきたら、一人で乗ってもいいんじゃないか」
「え?」
後ろのジョージ様が、ふと思いついたようにウイネに言った。
速度を落としてくれたので、ウイネは後ろを振り返った。
ジョージ様は少し面白そうにニヤリと笑った。
「女でも騎乗できる。大丈夫だ、ちょっとは慣れてきただろ」
「まぁ・・・ちょっとは」
嫁になってから三週間だが、最低一日おきに同乗させられていたら、さすがに馬には慣れる。
「そうだ。馬を贈ってやる」
「えぇ!? 馬ですか!?」
「不満かよ。馬なんて普通貰えないぞお前」
「え、あのびっくりして」
というか、平民のウイネにも分かる事だが、普通は女性に贈るのは花とか宝飾品とか装飾品じゃないのか。
馬って。
「なんだよ。嫌なのか」
ジョージ様が不服そうな顔をした。どこかつまらなさそうな顔だった。
ウイネは思わず首を傾げて尋ねた。
「私が馬に乗れたら、ジョージ様は嬉しいですか?」
「あぁ」
クシャリとジョージ様が嬉しそうに笑った。ちなみに筋肉ムキムキの中年だが。
「そしたら色々一緒に行けるだろ。もっと早く移動もできる」
ものすごく嬉しそうに楽しそうに言う。
「・・・そうですか。ジョージ様が嬉しいのであれば、では頑張りますね」
どこか無茶を言う息子を見守る気分ってこんなだろうか。ウイネは微笑んで言った。
その日のうちに、ウイネは馬小屋に連れて行かれて、ジョージ様に選んでもらって、馬を贈ってもらった。
「とりあえずこの鞍で良いだろう。近いうち合った鞍作ってやるな!」
「有難うございます」
多分、贈り物は、全部馬関係になるんだろうなーと、ウイネは思った。
まぁ別にそれで良いや。
「ジョージ様。私、お礼と言っては何ですが、今度ハンカチに馬の絵を刺繍してみますね」
「だったら狼にしてくれ」
「狼・・・」
ちょっと一般的では無い気が。狼ですか。犬になってしまいそうな。
「分かりました。頑張りますね。えっと、色とかご希望あったら教えてくださいね」
「ありがとう。楽しみにしている。色は・・・任せるよ」
ものすごく嬉しそうだったので、ウイネはドキリとした。
こんなに喜んでもらっていいんだろうか。むしろこんなお礼しかできないのに良いんだろうか。
余程嬉しかったのか、ジョージ様は馬の前でウイネをギュッと抱きしめて、やっぱり笑った。
「楽しみだな。色々教えてやる。すぐに乗れるようになるぞ」
ウイネはパチリと瞬いて、笑った。
「はい。頑張りますね」
「おぅ」
「ひょっとして、馬で連れ立っていくのに憧れておられました?」
「え?」
つい破顔して尋ねてしまったウイネの質問に、ジョージ様は面食らったようだった。
「・・・そう言われてみるとまぁ確かに理想だが。・・・だが普通はここまで乗馬に付き合ってもらえない」
その言葉に、ウイネの顔がつい真面目になってしまった。
だから、この人は貴族のご令嬢とは結婚しなかったのだろうか。
「・・・なんだ?」
ジョージ様が顔をしかめた。
ウイネは慌てて服にしがみついた。
「あ、ごめんなさい。えっと、つい。じゃなくて、乗馬、頑張ります」
ポンポンと背中が叩かれた。
「・・・まぁ、そこまで必死にならなくても良い」
見あげると少し寂しそうに見えた。
ウイネはじっと目を見て宣言した。
「いいえ。絶対、乗れるようになります。見ててください。やってやります」
少し無言でウイネを見てから、ジョージ様は頷いた。
「よし、分かった。期待している」
「はい!」
***
馬を贈ってもらってからというもの、ジョージ様は暇さえあればウイネに乗馬を教えたがった。
ウイネも期待に応えようと頑張った。
一方で、ジョージ様には他にも予定がある。お友達と遊ぶとか、ウイネについていけない狩に行ってくるとか、奥地まで行ってくるとか。
ある日眠っていたら、ドサっとジョージ様が帰ってきてベッドに倒れ込んだのを音と振動で知った。
薄く目を開けると部屋はもう随分暗い。
こんな遅くまで遊んでおられたのか・・・。
なぜか泥臭い。
顔をわずかにしかめつつ、ウイネはそのまま眠り込んだ。
朝、起きて驚いた。
ベッドが泥だらけ、どころか、部屋のあちこちに泥がついていた。
ウイネの傍で、外出着のまま、泥がついたまま、手袋までしたままのジョージ様が転がっていた。
異常事態にウイネは悲鳴を上げてしまった。
「ジョージ様! ジョージ様!」
泣きそうになりながらゆさゆさ揺り起こすと、ジョージ様が気が付いた。
「あぁ? なんだ。もうちょっと寝かせろ・・・」
「眠たいだけ?」
「眠い」
「・・・」
揺するのを止めると、ジョージ様はすぐ寝息をたてて眠ってしまった。
いったいこれは。
ウイネは、少し落ち着きを取り戻して、マジマジとジョージ様と、泥で示されているジョージ様の軌跡を見やった。
昨日は、奥地まで狩に行くと行っていた。狩り用の手袋もつけたまま。
狩に行って泥だらけになって、疲れて着替えもしないで眠った?
「・・・」
***
起きたジョージ様を、ウイネは真顔でじっと見た。
「ふぁ~あ」
と大あくびをして、ジョージ様は頭をかこうとして手袋に気づいて、面倒くさそうにそれを見やった。
「ウイネ。外してくれ」
「・・・はい」
バサバサになった手袋に手をかけて、ボタンを外して外してあげる。
「ジョージ様、お願いが」
「・・・なんだ」
「せめて着替えてからお眠りください」
「・・・ッチ。煩いな」
低い声だった。
ウイネは驚いた。ジョージ様は酷く不機嫌だった。
とはいえ、でもこれではあまりにも子どものようではないか。
叱ったって良いのでは?
「お顔も全て泥だらけでは無いですか。部屋も、ベッドも、見てください、こんなドロッドロで!」
「うるさいな! 俺が俺のものをどうしようと勝手だろうが!」
ウッ、とウイネは言葉に詰まった。そう言われしまえばその通りで。
「言っとくが、ここにあるものは全て俺のものだ。この生活は全て俺のためにあるものだ。俺に指図するな」
その通りだった。自分は、調子に乗っていた、ようだ。
なのに、言葉が出せなかった。
「嫌なら出て行け」
なんでそんなに機嫌が悪いのか。
どうしよう。
「すみません。ごめんなさい」
「不愉快だ。出てけ」
「ごめんなさい」
「ウイネ! 出て行けと言っている!」
「はい」
ウイネは立ち上がって、部屋から出た。
「チ!」
と酷く苛立っているジョージ様の声が、退出間際のウイネに聞かせるように投げかけられた。
怒らせた。
でも、あんなに怒らなくても。
しまった、私は、平民で、ジョージ様は貴族だった・・・。
文句を言って当たり前だと思ったけど、当たり前では無かった・・・。忘れてた・・・。
***
それから数日。
ジョージ様は、ウイネを乗馬に誘う事もしなかった。
食事も別々で、完全に避けられていた。
たまに会っても会話が無かった。舌打ちされた。
なんだろう。愛想をつかされた。
あれだけで?
違う、「あれだけ」って思ってしまうのがマズイ。
甘やかされていたから、間違ってしまった。
「まだいんのかよ。離婚したきゃすれば良い。さっさと帰れよ」
ある日忌々しそうに告げられた。
「ごめんなさい・・・」
ウイネは頭を下げた。
ジョージ様は、行ってしまった。
***
ウイネは、庭に避難していた。
あぁ、どうしよう。
帰りたくない。でも離婚なのだろうか。
ジョージ様に離婚だって言われたら従う他はない。
馬に乗りたい。だめだ、あれだってジョージ様の持ち物だ。勝手にそんな馬鹿な。
ウイネは庭のベンチに座っていた。屋敷内は、人の目が気になって気を遣う。
ウイネより、周りの人たちの方が身分が高い。同じ平民なのだけど、代々貴族に仕えてきている人たちだ。
あの人たちだって、不満だろう。
仕えるべき者が、教養も何もなっていない、ただの普通の平民だなんて。
・・・自分も、ジョージ様の持ち物の一つなんだろう。
いや、持ち物でいる事も認められなくなってしまったのだ。失格になったのだ。
あんな、普通の事を言っただけだと、思うのになぁ。
惨めで泣けてくる。
駄目だ泣くなんて、あり得ない。こんなところで。ウイネは泣きそうなのをグッと堪えた。
・・・お腹が減った。でも食べに行くのが苦痛。