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夏直前の雨季の最後は土砂降りであった。激しい雨に視界も悪く、雨音は学生たちの話し声を掻き消している。
毎日の雨に気分が憂鬱になる季節である一方、ルテアの目の前には第2王子ライアの従者――黒髪の男、ランデが立っている。フィリカの護衛という名の観察をしていると、学園端の人通りが無い通路でランデがフィリカに話しかけ、彼女が振り返った背後から首を殴打して気絶させたのだ。
「――貴女ですか。ルテア」
「……」
「悪いですが死んでください」
「アイスガード!」
ランデがロングソードとダガーを抜き、風魔法で防御しつつ驚異的な速度で突っ込んくる。ルテアは後方へ飛び退きつつ、魔法で氷の盾を目の前に展開する。
「邪魔ですよ!」
「アイスアロー!」
ロングソードが氷の盾を一閃すると氷の盾が粉々に砕ける。と同時にルテアはわざと声を出し、アイスアロー5本を分散させてランデへ放つ。今では5本同時かつ長さは30cmと昔のアイスジャベリンを超えている。また、速度と氷の密度も毎日の訓練で上げているため威力は当初とは比べものにならない。
「ぐっ!!」
ルテアの声に反応したランデが回避しようと動いたが、高速――既に音速を超えているアイスアローを回避することは不可能だった。幸運にも風魔法で防御した3本のアイスアローは砕け散ったが、残り2本は密度の低い部分を貫通し、ランデの右腕と左足首をアイスアローが掠めて鮮血が飛び散る。ルテアは迫撃しようとするが、ランデはロングソードを捨て、フィリカの方へ飛びフィリカを盾にしてきた。
「離せ」
「貴女が攻撃すればこの娘を殺します」
ランデはフィリカを後ろから抱き上げ、彼女の首にダガーを突きつけた。ルテアの知る限り、このイベントはゲームには無かった。そのため、攻略方法は自分で見つけないといけないのだ。ルテアが冷や汗をかく中、ランデはジリジリと後退している。
ここでランデに攻撃すればフィリカが殺害されるかもしれないが、フィリカの誘拐をみすみす逃せば、フィリカを探し出すことは容易ではないだろう。ランデがフィリカを気絶させたことから、フィリカを殺害する可能性は低いことにルテアは掛けた。
「……」
ルテアは無詠唱でランデのダガーを氷で覆い無力化する、と同時にアイスガードをフィリカの前に置き、少し遅れてフィリカに当たらないようにアイスアロー3本をランデへ放った。
「ウインドアロー!」
ランデはダガーが氷で覆われた瞬間、風魔法の矢をルテアに向けて乱射し、フィリカを捨てて回避しようとする。しかし、アイスアローを回避することはできず、両足に命中して通路に倒れこむ。
対するルテアは射線上から横へ飛び退き、頭を両腕でガードして回避しようとするが、腕や腹、足に風の矢が刺さり激しい痛みが襲ってくる。ランデは剣技がメインのため魔法攻撃は弱いが、それでも服を貫通し、出血させるには十分な威力を持っている。
「逃がさない!」
「があああぁぁぁ!!!」
ルテアはランデの足首に今は1m程もあるアイスジャベリンを打ち込む。ランデの左足首が粉砕され、通路に氷の割れる音とランデの絶叫が反響する中、ルテアはフィリカに駆け寄った。
この世界では身体の欠損は光魔法で元に戻るため、捕虜は手や足を使えなくするのが一般的だ。ボンヤリする意識の中、フィリカに外傷が無いことを確認しようとしてしゃがむと――ルテアの肩をダガーが掠め、フィリカの顔や服に血が飛び散る。
「ってぇ……」
通路の先に氷の割られたダガーが転がっていることを確認し、ルテアは後ろを振り向いた。
「……何故殺さない」
「誰が殺すか」
ランデとルテアの血で凄惨な状況となっている通路の上に、息も絶え絶えなランデが足首を抱えてうずくまる。ルテアはフィリカの身体に傷が無いことを確認し、ランデより3m程離れアイスジャベリンを発動させる。
「――っ!」
ランデがこちらでは無くその後ろを見ていることにルテアは気づく。そして慌てて振り向くと、顔面に拳が迫ってきたため、左腕を上げて防御しようとするが、体格差に吹き飛ばされる。ぬかるんだ地面へ倒れこみ、顔を上げるとフィリカを庇うように主人公が剣に炎を纏わせて構えている。ランデの方にはシャントリエが、校舎の方に走るカレンの背中が見えた。
「フィリカ……ルテア!どうしてこんなことをした!!」
「……」
ルテアは待機させていたアイスジャベリンを主人公へ向ける。
「何か言え!」
「アイスガード」
主人公が激情してルテアに怒鳴りかけた。ルテアは防御魔法を使い彼らに背を向けて、出血しながらもジグザグに走り出す。怪我をしたランデがいるためか彼らが追ってくることは無かった。
その後、用務員室へ向かい、シトルからイレーネを呼び出してもらい治療してもらうことになるが、その際にルテアが停学になったと話があったのだった。この中でどさくさに紛れてルテアはイレーネの胸に飛び込んだが、イレーネは泣きそうな顔で抱き返してきた。
そんな用務員室の窓をたたきつける雨は、当面降り止む気配はなかった。
*****
雨季が過ぎ、これから本格的に暑くなろうとする中、ルテアは学園長に夕方呼び出された。
「ルテアです」
「お入りなさい」
久しぶりに見た学園長は少しやつれているようだ。学園長室の机の横には学生服を着たランデが立っている。ランデはあの争いの後、誘拐しようとしたフィリカに治療されたのだ。
「さて、ここに呼んだ理由はお分かりかと思いますが、貴女が先日起こしたランデとの争いの理由と、これからの行いについてです」
「やはり退学でしょうか」
「いいえ。罰として一ヶ月の謹慎となります」
「――彼は?」
ルテアはランデに目を送り、学園長へ問いかけた。部屋の空気が数俊止まり、学園長が口を開ける。
「彼は彼なりに理由があったということですよ」
学園長の話ではこうだ――。
ランデには両親はおらず病弱な妹が一人入院しているが、闇魔法に掛かり徐々に体力が落ちてきていた。そんな中、ランデが治療できる医者や魔法使いをさがしていたところ、裏の人間からフィリカを誘拐すれば、治療者の紹介と多額の治療費を免除すると話があったため、フィリカを誘拐しようとしたそうだ。
現在、妹は国で保護されており、ランデを唆した者たちも捉えていると。この一連の事件について、ランデとは旧知の仲であるライアへも報告されている。そんなライアは、学園の夏季休暇明けまで”国事のため”出てこれないことになっている。ランデはライアの従者であるため、フィリカ誘拐事件の責任の一端を背負わされた形になる。この一連の話はゲームでは明かされることは無かった。
「これからが本題となります」
「はい」
ランデの方を見ると、悲壮な顔をしたまま立っており、ルテアの方を向く気配もない。
「貴女はロベリアの友人だとお聞きしています」
「そこまで親しいわけではないので……知り合い程度かと思っています」
あの入学式の後、ロベリアとは学園外で食事をする仲になっていた。当然、学園中ではルテアに声をかけないようにお願いしている。ロベリアは不服そうな顔をしていたが、何度か説得し渋々頷かせたのだ。
「彼女、ロベリアさんは闇魔法が使えます。しかし彼女が一連の経緯を知って、それでもランデさんへ協力を申し出るでしょうか」
「いいえ。無理だと思います」
ランデはフィリカを誘拐しようとしてルテアと戦闘になった。この事実だけでロベリアが協力を却下するには十分な理由である。しかし、学園長はランデの妹を治療させたいのだとフィリカは理解した。つまり、ロベリア協力させるには事実を隠蔽するしかないということになる。
ゲームではランデ・主人公・フィリカとロベリアでランデの家に行き、ランデの妹を治療するストーリであった。このストーリに至るゲーム中の設定をルテアは話すことにした。
「つまり、妹の病気を治療したいランデがフィリカさんを誘った際に、偶然にも自分がランデを襲い、その結果フィリカさんが巻き込まれてしまったとでも?原因は……入学式の仕返しとかでしょうか」
ランデの妹を治療するならば、学園長経由でロベリアとランデを会わせるのが自然だとルテアは考えた。当然ながらこの案はルテアが何一つ得しないばかりか、損する役割となっている。
「不服そうな顔をしていますね」
「元々こんな顔です」
「勿論対価も用意してありますよ。学費の免除、次に基本的な護衛代は継続して支払うこと、そして貴女の代わりに彼を護衛に入れましょう。当然ですが、この一連の件は口外禁止ですよ」
学園長から提示された対価は実に魅力的であった。さらにはランデの顔を立てることで、ライアに恩を売ることもできるのだ。元々評判は最悪であり、これ以上落ちても変わらないとルテアは判断し返事をする。
「分かりました。その提案に乗ります」
「そうですか」
学園長はルテアへにこやかな笑顔を向けた。一方のランデは緊張した面持ちに変わっている。
「一つ質問があります。ランデの妹に肩入れしすぎではないでしょうか」
「彼女には光魔法の素養があります。今後育ってくれることへの前払いですよ」
ルテアは学園長に会釈をして部屋を出た。学園長は強かであった、と同時にこの時点で学園内でのルテアの評判は地に落ちることになる。ルテアが居ない学園長室で学園長とランデが会話する。
「貴方は結局一言も彼女に言いませんでしたね」
「こんな状況で彼女に何を言うべきでしょうか」
「――そうですか。今日のお話はこれまでとします」
「はい、失礼します」
学園長が窓を振り返ると、暗い夜空に星々が瞬いていた。
*****
季節は過ぎ、2年目の夏となる。ランデの妹は無事完治し、再来年入学すると学園長はルテアに伝える。
ゲームでは2年目の夏から主人公達はルテアに遭遇することは無くなる一方、主人公一行にロベリアとランデが加わり戦力は大幅に強化される。そんな主人公らに関わることもなく、のんびりとした日々の中、西の隣国レウカンへ行くとの情報がロベリアより入る。レウカンでのメインイベントは海水浴に大規模なモンスターとの集団戦闘だ。
「ルテア先輩、レウカンに行きませんか?」
「い・や・だ」
ルテアが同行を断ると、ロベリアは口を開こうとして――閉じた。ランデの妹の件については、ロベリアからルテアに問いかけることは無かった。勿論、ルテアからロベリアへは何も話していない。時々ルテアを見て何か言いたそうにするロベリアをルテアは全てスルーした。
「そう仰らずに……はい、どうぞ」
「うむ。うまい」
大きな帽子を被ったルテアは今、街のカファテリアの奥まった場所で、パフェっぽいものをロベリアに”あーん”で食べさせてもらっているのだ。
そんなロベリアしっぽはパタパタと上下させて、ニコニコしながらルテアの横顔を見つめている。先輩と後輩という関係もあるのか、ロベリアといる時のルテアの口調は素の状態に近くなる。
「だってレウカンに行っても何もないし……」
「私がいるじゃありませんか!」
「おおぉ……確かに」
ロベリアは胸を張ってルテアの方へ向く。さらにルテアの目を見て、熱視線になる。
「レウカンに行くのなら、毎日お弁当だって作りますから」
「女の子の手作り弁当かぁ……」
最近、いつも行く定食屋のローテーションに飽きてきたルテアには魅力的な提案だったが、それでもやはり頷くことは難しい。ルテアの悪評は学園内に留まらず、学園外にも流れているのか時々不愉快な視線を感じるのだ。さらにロベリアへ同行すると、主人公やフィリカ達とかち合うのだ。とても戦闘どころではないだろう。
「やっぱり駄目ですか?なら、私はルテア先輩と一緒がいいです!」
「いや……それは」
ロベリアは集団戦闘向きであり、本人も自覚しているからこそルテアに無茶を言ってくる事も多い。最近はシトルとの訓練にも参加することが多く、剣術は後から習っているロベリアの方が上である。とはいえ、シトルに言わせればまだまだ先は長そうだが。
ルテアはロベリアを宥めて煽てて、何とか主人公達へ同行するよう誘導した。このレウカンでの戦闘には別要件で来ていたイレーネも主人公のパーティに参加し共闘することになる。勿論ロベリアには言わないが、裏でサポートする気は満々なのだ。
このレウカン行きの後、ロベリアが山のようなお土産をルテアの部屋へ持ち込んでくることをルテアは知る由もなかった。