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正也の微睡みー惰眠スリーパーー:昼寝


 最初に感じたのは熱だった。

 身体もそうだが、頭が湯でも浴びているかのように熱い。顔はそれほどでもないのに、頭は随分と熱っぽい。

 しかし、それを疑問に思うことは無かった。そんなまともな思考は存在していなかった。

 ただ、深い深い湯の中を泳いでいるような、熱さと体の重さだけを感じていた。

 視界を埋めている光は、白い様にも思えるが、七色のようにも思える。意味のわからない、そもそも意味など無いかもしれない色や光が揺らめき、近づき、遠ざかっていく。

 光を追って手を伸ばしたような気もするが、とても動くとは思えないほどの重量感だけを感じた。


 


 「……」


 参った。

 何が参ったかと言えば、ご主人がすやすやと寝息を立てながら私の方へ寄りかかって来たからだ。


 いつものように並んでソファーに座り、特に話題もないのでぼんやりとしていたのだが、気付いた時にはご主人は夢の世界へと旅立っていた。

 私とご主人はそれなりに体格差がある。私の身長はせいぜいご主人の胸までの高さしかない。当然体重差もそれなりなのだが、正直それどころではなかった。

 基本的に、私とご主人の間では、私が甘える側、ご主人は甘えさせてくれる側という方向性が定まっている。

 それだけに、普段は優しくもどこか凛々しいご主人の顔を見慣れていたのだが、ご主人の寝顔というのはあまり目にしない。毎朝ご主人を起こすのも私の仕事ではあるが、当然起こしに掛かってる以上、ご主人が夢から現に戻る際の少し苦しげな顔ばかり見ることになる。

 

 が、今ご主人が浮かべているのは非常に満たされた安らかな寝顔だ。

 無防備で穏やかに微睡んでいるご主人の姿は、そのあどけない顔立ちも相まって何とも可愛らしい。

 ごくり、という音で、ようやく私は自分が生唾を飲み込んだことに気付いた。


 「その、少しぐらいなら、いいだろう……?」


 返事が無いのをいいことに、私は一方的に許しを求め、少し身体を横にずらす。私に寄りかかっているご主人は当然その分傾く。もう少しずらす。その分傾く。

 そんな事を繰り返すうち、ご主人の身体は私の方へと完全に倒れ込んだ。

 私はご主人の身体を抱き留めると、ゆっくりと自分の膝の上に仰向けに寝かせる。いわゆる、膝枕の形だ。

 心地よい重さが足に掛かり、ふさふさの髪が腿に触れる。


 「……」


 目を覚ます様子はない。

 相変わらず静かに寝息を立てながら、微かに胸を上下させている。

 私は小さく息を吸い、茶色くふわふわとしたご主人の髪に手を伸ばした。


 (柔い……)


 



 

 まただ。

 また、あれが起こった。

 脳か、神経か、筋肉か。あるいは他のどこかに生じた、異常と言うにはささやかすぎる何か。

 せっかく記憶や感覚が混沌を成している静かな海に溶け込んでいた意識が、突然に揺り起こされた。


 驚きと恐怖、そして緩み切った全身の神経系が叩き起こされる薄気味悪い苦痛。

 ビクン、と弛緩していた脚の筋肉が勝手に動き、連動しているのか影響されたのか、全身がビクリと震える感覚。


 最低限まで機能を低下させていた感覚器官から押し入ってくる正体不明の情報が、形と意味を持つ。

 無意識の海にさざ波を起こしている感覚は、やがて光としての形を得て、さざ波を大きなうねりに代えた。青くゆらめく天上の世界から差し込む日の光が、無意識の海中に再構成された意識を刺激する。


 まだだ。

 まだ、この暖かで涼やかな静寂の中で休んでいたい。


 だが、一度目覚めに向かって動き出した意識は止まらない。広大な無意識の海から追放され、小さな人格が形を取り戻してしまう。

 同時に、頭に熱を感じた。


 ああ、頭の位置が分かるほどに、意識が覚醒してしまった。

 休眠していた脳が活発化し、微小な電気信号が花火の様に炸裂しては消えていく。目覚めの時特有の、強烈な不快感に襲われ、思わず呻く。


 その時だった。

 額に、心地のいい冷たさと温もりを同時に感じた。その優しい感覚は、頬へ、顎へ、喉へと滑る。

 そして、頭にくすぐったいような、だがこれも確かに心地いい感触が芽生える。頭頂部から撫で下ろすように、柔らかな感覚と髪の毛の揺れる音が響く。

 リズミカルに、繰り返し繰り返し。


 あまりの心地よさに、覚醒しかけていた意識が再び海へと沈んだ。

 目覚めの苦しみを和らげてくれるその感覚が、無意識の安寧へともう一度、自我を沈み込ませてくれた。






 「んむ……」

 「……」


 僅かに苦悶の表情を浮かべたご主人は、私が顔や頭を撫でつける内に落ち着いたらしく、再び寝息を立て始めた。

 安らいだ顔で時々、言葉になっていない寝言を呟いている。


 「いや、これは反則だろう……」


 前々から可愛らしい所のある人だと思っていたが、じっくりと寝姿を観察してみると、恐るべき破壊力を秘めている。

 時折、「んー……」などと呻き、寝返り未満の小さく身じろぎする姿が正直たまらない。

 主の寝言に影響されてか、私もひどく穏やかな気持ちで出来る限り優しくご主人の髪を撫で続けた。


 「ううぅ……」


 ふと、ご主人が声を上げた。

 見下ろすと、少し寝苦しそうに身体を左右に揺さぶるご主人がいた。


 同じ姿勢では苦しかったかと、ご主人の身体を少し傾けるのと、ご主人が身じろぎするタイミングが重なった。


 「おおう?」


 ご主人はごろんと、私の身体側、腹に顔を埋める姿勢で止まった。

 数秒の間、「むむむ……」と唸っていたが、やがてその姿勢に満足したのか、またすやすやと寝息を立て始める。


 「……」


 駄目だ。可愛すぎる。

 私は衝動的に、しかしどこかで理性的に、ご主人の頭を抱き抱えていた。ご主人を起こさない程度に、しかし、気持ちの赴くままに抱きしめる。


 「ん……まだ、食べられる……よ~……」


 聞いたことがあるようなないような寝言を聞きながら、私は口元をだらしなくニヤケさせる。

 ご主人の許しは得ていないが、もう少しこのままでいよう。 

 

 


 


 霧散していた意識が、突然に集合させられ、形を持たされた。

 もちろん、はっきりとそれを理解できるような意識はまだない。だが、感覚を感じ取れる程度には、神経が活発化していた。

 

 寝ぼけた神経系を挑発するような、微かな感触。

 そよ風を受けるよりは確かな、だが、何かに触れるという感覚としてはおぼろげな感覚。

 くすぐったいと形容してもいいだろうその感覚が、身体のあちこちを襲っている。


 肌の上をゆっくりとなぞる感触が、次第にはっきりと感じられる。

 だが、決して一定以上の刺激にはならない。非常に微妙な刺激が触覚を困惑させ続ける。


 「ん……」


 思わず声が漏れ、それが引き金となって全身の感覚がまた少し鋭敏になる。


 だが、刺激は一向に微弱なままだ。有と無の間を漂うような曖昧な感覚がつうっと身体を撫でていく。

 どこに刺激が走っているかを、脳が理解し始める。

 耳の裏から首筋へと下り、やがてうなじを登っていくほのかな快感に、びくりと身体が震える。

 いよいよ感触がはっきりしていく身体を、焦らすように弱い刺激が這い回る。


 「くっ……」


 手のひら、喉元、ひざ裏から足首までと、至る所を撫でていく感覚は、いっそ甘美でさえある。

 ぞくぞくと背筋が震える程の、こそばゆい感触に、ついに意識が完全に揺り起こされた。




 「おはよ、ラヴィニア」

 「……ふあああっ!?」


 私に何が起こったか、それはさっぱりわからなかった。

 一瞬前までソファーに横たわるご主人に膝枕をして、その寝顔を見下ろしていたというのに、気付いたら自分が横になって膝枕をされていた。

 いったい何が起きたか、誰が理解できるだろうか。


 「あはは。いいリアクションをありがとう」

 「んなっ、ご主……え? は? いや、ちょっと待った……」


 未だに起動しきっていない思考回路で現状を分析するが、困惑が割り込んできて上手くいかない。

 跳ね起きようとするが、ご主人がそっと手で制し、上体だけ起こしている私の身体をもう一度寝かせた。


 「んふふ。どうやら寝ちゃってる内に世話になっちゃったみたいだね」

 「あ、ああ!」


 そこでようやく目が覚めた。

 私はつまり、あのまま自分も寝入ってしまい、入れ違いに起きたご主人に逆襲を受けたというわけか。

 つまり。


 「いやあ、可愛い寝顔、ご馳走様でした」

 「そ、その、ご主人? 私が寝ている間に……何かしたか?」


 可愛い寝顔。

 

 何度か説得した後、ご主人は自分の事務所に休憩時間を設けてくれた。短い複数の休憩時間と、昼寝の時間。これでご主人は、業務中に疲れた顔や眠そうな顔を見せることは無くなったのだが、一つ誤算があった。

 ご主人の下で働いている私にも、それが適用された。

 即ち、寝顔を見られたい放題だったわけだ。

 そして、私の寝顔など見慣れている筈のご主人が、敢えて可愛い寝顔、などと口にするとなると、先程の感覚は間違いなく……。


 「ん。ちょっと意地悪させてもらいました」

 

 自慢げに人差し指を立ててご主人は笑う。

 いつもの嗜虐的な笑みではなく、屈託のない子供の様な笑顔。恐らくはあの指で私の肌を撫でていたのだろう。それも感触から察するに、触れるか触れないかのぎりぎりのラインを維持して、精密な動きでくすぐり一歩手前の刺激を与えていたのだ。


 「ぐ……先に無礼を働いたのはこちらだが、本当に意地の悪い事を」

 「えー? 別にそんなつもりはなかったけど? むしろ膝枕のお礼のつもりだったんだけどなあ」


 正直、起きている時ならまだしも、睡眠中にされても困る。むしろあれで目を覚ました私の敏感さに驚きだ。


 「さっきと言っている事が……まあ、いい。ところでもう一つ聞きたいんだが」

 「ウイ?」

 「何故私を抱き上げるのか。気になるんだ、非常に」

 「うん? もう少し寝ようかなと思って」

 「いや回答になって……抱き枕!?」

 「ご名答。僕の事は敷布団とでも思ってくれればいいよ」

 

 抗弁する間もなく、私は仰向けに横たわるご主人の抱き枕にされた。

 珍しく強引に事を運ぶご主人に、私はふと疑問をぶつける。


 「何故また今日はそんなに積極的なんだ?」

 「いや。何だか今日の昼寝はものすごく気持ちよかったんで。多分君のせいだ」

 「……褒め言葉として受け取っておこう」

 

 そう言われると悪い気はしない。

 私に原因があるというならやむを得ないだろう。大人しく抱き枕としての役目を果たそうじゃないか。


 ちなみに、寝ぼけたご主人に力いっぱい抱きしめられ、いろんな意味でイきそうになったのは言うまでもないので敢えて語らない。


 

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