二人の企みー遊ぶ予定を立てる楽しさー:首輪
「遅くなっちゃったな」
駐車場に車を停めた僕は足早に自宅への道を急ぐ。
僕が営む本条生活相談事務所は基本的に暇なのだけれど、いつもがいつもそうという訳ではない。今日も何人かの利用者との面談や市役所に出向いての手続きなどの仕事を終えたばかりだ。
利用者、つまり何かしらの事情でこの街に逃れてきた人の中には、「常識」とか「一般教養」と呼ばれる物に詳しくない人も多い。
これは別に「非常識」だとか、「無教養」という話ではない。彼らの中には、この現代社会とは縁も所縁もない世界から追われてきたという人も多いのだ。例えば現代日本の住民が、着の身着のままファンタジーな異世界や、未来、あるいは過去に追いやられたらどうだろう。
即日適応なんて出来るわけがない。
何もかもが未知の世界では、まずその日一日を生き延びることが出来ただけで大したものだと言える。
そんな人たちがこの世界に慣れ、生活を営めるようになるまでは、長い時間と多角的な支援が必要になる。
わからないことだらけの人に相談を求められるのはよくあることだ。僕が暇なのはあくまでも、市役所を始めとした行政の支援が行き届いていることや、この街の住民が救いようがない程に世話好きであることに助けられてのことだ。そんな状況でも、まだ街に馴染めない人が僕を頼ってくれるというのは嬉しいことであり、それに応えるのは社会人としても当然だろう。
で、今日も事務所で色々な相談を受けたり、あるいは利用者宅に出向いて手助けしたり、市役所で各種手続きの手伝いや代行をしている内に終業時間を少々オーバーしてしまったわけだ。
以前の僕なら多少帰りが遅くなろうが気にはしなかった。
いや、仕事が早く終わるに越したことはない。特に僕は本質的に怠惰なので尚更だ。それでも家路を急ぐ、という程ではなかった。寄り道をしたり、フラフラと散歩がてら帰宅したりなんてことも珍しくはなかったのだ。
しかし、今の僕には急ぐ理由がある。
人に留守番を頼んでおいて寄り道しながら帰る程、僕は無神経じゃない。
他の人たちと同じようにまだこの世界に不慣れな彼女を、僕はほぼ丸一日、家に閉じ込めてしまっている。
仕方ないと言えば仕方ない。例えば、交通ルールやマナーどころか、彼女はまだこの世界の交通について大凡しか理解していないので、思わぬ事故に遭いかねない。それに、彼女が元いた世界とあまりにも違う街の中では、迷子を通り越して遭難の危険もある。
難しい所だ。閉じ込めておきたくはないが、無責任に放り出すわけにもいかない。出来れば付きっ切りで色々教えていきたいものの、自分の仕事も放り出すわけにはいかない。
それでも、彼女を支えることが僕の仕事だ。公的にも、私的にも。
だからさっさと帰る。急いで帰る。今僕がすべきはそれだけだ。
まあ、もっと踏み込んでかつ正直な所は、早く彼女の顔を見たいというのも多分にあるわけなんだが。
だって仕方ないじゃないか。彼女はもう、本当に、可愛いんだから。
「ただいま、ラヴィ……」
「おかえりなさい、ご主人」
私の姿を見て、ご主人は目を見開いた。
二、三度目を瞬かせた後、笑みを浮かべる。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「忙しい身だろう? 気遣ってもらえるのは嬉しいが、あまり私の事を気にし過ぎないでくれ。上着を預かろう」
「ありがと。まあ、無理まではしないから心配はしないで。君こそ、玄関で待っててくれなくてもいいんだよ?」
「それこそ気にしないでくれ。あなたは私の恩人であり、主。この家の家主でもある。私とて、奴隷らしいこともしてみたい」
「何だかスゴイ会話だけど、結構嬉しいもんだね」
ネクタイを解き、ソファーにどっかりと腰掛ける姿は少々だらしなく、そのくせ野性的な力強さを感じさせた。
上着に続いて受け取ったネクタイをクローゼットにしまい込みながら一瞬だけ見惚れる。
「お疲れか?」
「一週間最後の一日だからね。ま、それでも心地よい解放感が何とも心地よいよ」
「何だか微妙に意味が分からないが、ご機嫌なのは良くわかった」
ご主人は仕事好きだ。人助けが生業なのだから、ご主人の性格にはうってつけだろう。
その一方で忙しいのは嫌いらしい。安息な時を迎えてご満悦といったところか。
「このところ付きっ切りでご教示をいただいていたからな。ゆっくり休んでくれ」
「もちろん。でも君と過ごすのは楽しいからね。君の気が向いたら明日は出かけようかとも思ってるんだけど、どうだろ?」
「願ってもない。だが、せっかくの休みだろう? 私に付き合ってもらうばかりでなく、たまにはあなたに付き合わせてもらいたいところでもあるんだが」
何しろご主人は、私を迎え入れてくれて以来、私的な時間の多くを私の為に割いてくれている。
この世界の事を説明する資料もそろえてくれたし、その解説もしてくれる。この部屋の設備、道具などの使い方も手取り足取り教わったおかげで室内で過ごすにはあまり不自由はない。それは大変にありがたいのだが、とにかくご主人を拘束してしまっているのは申し訳がない。
「そう? じゃあお言葉に甘えよっかな。でも君と一緒にいるのはストレス発散になるからいいんだけど。といっても、ストレス貯まるようなことが滅多にないから、幸せメーターが一方的にチャージされていくだけなんだよね」
「めーたーやちゃーじの意味はまだよく理解できないが、好意的な見解を聞かせてもらっていると受け取った」
ご主人に色々と教えてもらうのは楽しくもあり、新鮮な驚きも多いが、付き合わせてもらったことはまだあまりない。ご主人の様々な面を見たいという思いがあるのも否定できない。
今、私がご主人に見せてもらっているのは、師の様に教え導く姿と、主として庇護する姿が殆どだ。
だから、この少年……否、どうも私よりも年上らしいこの殿方の個人的な姿というのも、興味はある。
「んー、どうしよっかなあ。部屋でゴロゴロするのは日曜にするとして、遠出してみるのもありかなー。でも最近あんまり近所をぶらついてもなかったし、そういったのでもいい?」
「あなたと一緒ならどこでもいい」
「さらっとハートを射止めに来るなあ。君ってイケメンでもあるのかー。あ、ところで気になってたんだけど……」
「ん?」
どっかり腰掛けていたソファーの上、今度は前かがみになって組んだ両手に顎を乗せている。
どことなく、意地の悪さと威圧感を感じさせる様子でご主人は言った。
「その首のはどうしたの? なんだか妙に見覚えがあるんだ」
「む……?」
私が身に着けている首輪に向けられている視線には悪戯っぽい喜びが浮かんでいる。どこか子供らしい、無邪気な嗜虐心だ。
「ああ、これか。あなたに賜った武装、その一部を展開したんだ。……まずかったろうか?」
「別に大丈夫だよ。この街は結構多彩な価値観が混在してるし、そうでなくても、そのぐらいならファッションで十分通ると思うよ」
言いながら、ご主人は掌を上にした。
そこには小さな青白い光の粒子が無数に舞っている。私が体内に保有する魔力、即ちご主人の所有、管理する魔力の光。
「え?」
思わず声が出る。間違っても、魔導を行使する状況ではない筈だが。
「おいで」
次の瞬間、光が迫った。
粒子が螺旋の様に渦巻きながら、私の首元に伸びてくる。そして、それが首輪に届いたと同時に霧散する。
残ったのは、私の首輪とご主人の手を繋ぐ鎖だけだ。
「え、へ? ……な?」
「おいで~♪」
うなじに圧力を感じる。
首輪が鎖に引かれたと理解する前に、私の身体はご主人の方へと引きずられていく。
「ちょっ、なっ、えぇ……?」
「フフフ、ヨイデハナイカヨイデハナイカー」
驚きと困惑と、屈辱が意識を駆け巡り、思考が上手く纏まらない。
が、特に抗う理由もないことは確かなので、これ幸いと主の足元に跪く。
「で、何でまた急に?」
「あ、いや、それは……」
「口ごもったということは、何となくとかではないわけかな」
「さ……いや、その……」
「ん~?」
「……寂しかった、と言っては迷惑だろう?」
抱き寄せられる。
頬を摺り寄せられ、後頭部をクシャクシャと掻かれる。
何となく理解した。
幸せめーたーが一方的にちゃーじされるという感覚、語感的に何となくわかった。こういう感じか。
「ごめん。今日は思ったより忙しくてさ」
「いや、別に、そんな大層なものではなく、だな。資料を読む合間に、少し気分転換にと思ったんだ。まあ、その……」
「ん?」
「いや、ずっとあなたが傍にいてくれたものだから、久々の一人の感覚に少し戸惑ってはいた。それが少し心細かっただけだ」
事実ではある。
この世界に来て間もない私にとって、この文明はまだまだ不慣れな存在だ。
ここはご主人が私を受け入れてくれた家であり、この上なく安心できる場所ではあるのだが、違和感のようなものは拭いきれていない。
白い壁紙も、眩い照明も、様々な家具も、見慣れない物には違いないのだ。
そして、見慣れないものばかりに囲まれていると、孤独感の様なものも覚えてしまう。
だから、少しでも主の存在を意識していたかったのは間違いない。
「ふむ……。やっぱり資料を呼んでもらうばかりじゃ良くないな。知るだけじゃなくて、色々と経験してもらう方向で行くべきだったかも。その方が馴染みやすいか」
「あなたとて、職務を放り出すわけにはいかないだろう」
「うん。だから休日は社会勉強よりも散歩や遊びを優先してみようかな。好奇心は学びの最大の味方だし。君はどう?」
「異存なしだ。まあ、私にしてみれば社会勉強も十分に興味深いが、より好奇心を刺激してくれるものがあるなら心強い。それに、長い間気晴らしとは縁がなかったからな」
「決まり。それじゃどうする? ご飯でも食べに行きつつ、興味深い物を探してみる? それともここでのんびりじっくり腰を据えて明日の予定を決めるのもいいし」
「そうだな……」
少し考え込む。
外出して関心を引く物を探すというのは悪くない。目に映る物全てが興味深過ぎるという問題はあるが、主と共に色々と物色する
というのはとても楽しそうだ。が、部屋でゆっくりするというのもいい。この世界やこの街の事を、主に訊いてみた上で、明日の事を考え、明日をより有意義なものにもしたい。
「ふう、む……」
優しく髪を撫でつけてくれる指の感触に目を細めつつ、ふと私は思い立つ。
「出掛けるなら、着替えた方がいいな」
「そだね。僕もスーツだと仕事気分抜けきれないし、何より……」
ご主人は手にした鎖を掲げて見せる。
「この格好はちょっと微妙かも」
「やはり、マズイか」
「マズイって程でもないと思うけど、少し目立つかな。首輪だけなら大丈夫だと思うけど」
「なら、ここで明日に備えるのがいいと思う」
「……もしかしてコレ、そんなに嫌じゃない?」
「どうして嫌なものか。あなたの支配と庇護の象徴だぞ? 主従の繋がりをこれ程明確に示してくれるというのに」
考えてみれば、流石に人前ではこうして可愛がってもらう訳にもいくまい。
明日を有意義に過ごす為にも、今日は胸にわだかまっていた寂しさをこのまま癒してもらいたい。
いや、正直に告白すれば、このままこうして抱いていてもらいたいというのが本音だ。明日の為など、単なる言い訳に過ぎない。
「オッケー。それじゃちょっと休憩したら晩御飯作るよ。それまでもう少し抱っこしてていいかな? 何時間かぶりだけど、ラヴィニウムを補給したいし」
「何をどう補給されているのかよくわからないが、望む所だと言っておこうか」
食事までそれ程時間は無い。あまり長くこうしてはいられないだろうが、仕方がない。
それに、食事が済んだら済んだで、いつも可愛がってくれる主だ。今日もそちらに期待して、今は雑念なく甘えておこう。