東方喜劇十変化
「明るいのお…」
率直な感想を口に出しつつ、小高い山からその風景を眺めていた。
時折吹き抜ける風で、すでに紅く染まった紅葉が視界をふさいでも、なお町は明るく輝いていた。
時代の流れか…
ふと、その景色に自分が歩んだ年数を感じる。かつてこれほど明るい場所はあったろうか?時はすでに日が落ち誰もが家路に急ぐ戌の刻。
だが町は夜の家業に精を出す女が歩いては、行きかう男衆に声をかけていた。ここにはもはや夜などないような有様である。
なるほど、江戸に向かってくれと下の者たちが言うのもわかる。
「妖怪にとって夜という絶好の時間帯を、人間は食いつぶしてしまうやもしれん」という話を、当初マミゾウは笑って聞き捨てた。
だが実際見てみれば、いやはや笑えたものではない。
「さて、目にもの見せてやろうかの」
グビリと一杯、腰の酒を飲む。これは勝利への前祝い。全部飲まずにとっておく。今宵狙うは指折りの武家屋敷。
胃の中でジワリと熱くなる酒の風味を感じつつ、その辺の木の葉を一枚ちぎり取ると、頭にのっけて女に化け夜の町へと歩き出した…
「ほほう…こりゃまた随分なことで」
他人事のように語りつつ、湯気の立ち込める蕎麦屋の屋台でたぬきそばをすする。
屋敷周辺は槍を持った町方達で蟻の這い出る隙間もないほどに固めてある。
「へい…なんでも今宵、あの指折りの武家、菅山様の屋敷に盗みが入るとか」
少し白髪交じりのオヤジが少し笑いつつ語る。
「あれ、ずいぶん嬉しそうなんだねえ?」
「いやまあ、大きい声じゃ言えないんですが、虫の好かないやつでしてね」
辺りを気にしつつオヤジが小声で話す。なるほど、たしかに周りの連中は盗まれるのを期待しているような目つきだ。
「それにしても随分肝の据わった奴ですねえ?“満月の今宵、しこたま貯めた黒い銭、頂きに参上つかまつります。二ッ岩マミゾウ”なんてねえ…」
笑いつつオヤジが続ける。こりゃずいぶん期待しているようだ。
「確かにねえ…」
「どんな奴だかねえ、その文に恥じない大物であることを願うよ。なんせあいつのせいで景気は全くだ」
「はっはは…。あ、おあいそね」
袖から銭を出すと、口元をぬぐい立ち上がる。
「まいどあり!」
「……今晩はずっとここにいるといい。でないと一生後悔するよ」
「へ?」
だが、いつのまにか先ほどの眼鏡の女は消えていた。はて…まあいいか。少し不気味さを感じつつ銭を取ろうとすると、ようやくオヤジは異変に気づいた。
「あ!!これ葉っぱとドングリじゃねえか!」
「ふーっ、冷えて来たのう」
木枯らしが吹き抜ける長屋の裏手を駆け抜ける。辺りはすでに人は無く、うっそうとした静けさだけがあった。
周りに人がいないのを確認すると、元の姿に戻る。
「……こいつはあまり使いたくないんじゃがのう、致し方ない」
木の葉をもう一度頭に乗せると妖力を込める。マミゾウの体は一瞬で漆黒のカラスになり、大空へとはばたいて菅山の屋敷の屋根に飛んでいった。
屋根に着くと女に化け、瓦を外して屋根裏に入り込み音をたてぬようゆっくり中腰のまま進んでいく。道は事前に把握していた。
狙うは三階の菅山の寝室。下調べの時に女中に化けて屋敷の構造と金の在り処は調査済みだった。
クモの巣を払い、ホコリが立つ屋根裏を進んでいく。そしてついにたどり着いた。板を細心の注意を払い外す。
行燈の光に照らされた室内は、武家らしく見事な調度品がそろえてあった。床には高そうな刀も飾られている。その刀の脇には千両箱が置いてあった。
いける。そう確信し、屋根の梁に縄をかけゆっくりと降りていく。菅山が部屋に戻る前に金を奪い屋根伝いに逃げる計画だった。
足音をたてぬよう畳に降り立つと、すぐに千両箱に手を付ける。
「なんじゃと!?」
小さく、マミゾウが叫んだ。千両箱には小判どころかびた一文入ってやしない。
「皆の者、出てこい!!」
どこからともなく聞こえる男の声。同時に部屋の障子が一斉に開き町方が顔を揃える。
「ふっふっふ…主がマミゾウか。いやはや女とはな。どうだ、盗賊が同心に化かされた気分は?」
黒塗りの兜をかぶった筆頭同心が話かける。
「……同心なりにやりおるのう。ところでお前さんの大将はどこだい?高みの見物か?」
「主の知るところではない。さあ、神妙にお縄につけい!」
「冗談じゃないの。女に縄をかけるものではないわ」
そういいつつ、懐から白い玉を取り出すと火をつけた。瞬間、部屋を覆い尽くす程の煙が立ち込める!
「く、くそう!おい、菅山様に知らせよ!マミゾウが出たとな!」
「は!」
(ふう…まったく鎧とは重いものよのう)
全身にずしりとくる鎧を恨めしそうに見つつ、マミゾウは町方の同心たちと共にいた。あの時煙に乗じて町方に化けたのである。
「まったく、あの菅山め。こんなことには頭がさえる。本当に寝所をねらうとはな」
前を行く同心がぼやく。
「全くだな…。しかし逃がすとは。菅山様のお怒りを買うでしょうな」
マミゾウも話を合わせつつ、同心の後についていく。
「ああ…気が重い。それに面倒だなあ、ここから一番遠いところだ」
(ここから一番?なるほど…菅山はあそこにいるんじゃな?さすれば、銭もそこじゃろう…)
「それにしてもおまえさん、名前なんてんだっけ?いやすまぬ。町方は人が多いんで忘れてしまって…」
そういいつつ同心が振り返ると、そこには誰もいやしない。
「ちっ、誰だか知らねえが怒られるのが嫌で逃げたな?」
捨てゼリフを残すと、同心は何も知らずに菅山のもとへ歩いて行った。
「何!?取り逃しただと!!」
怒りに打ち震えた菅山の声が岩肌の壁に反響する。菅山がいたのは屋敷の地下であった。
菅山は地下にある座敷牢に銭を置き、自身も牢に入って銭を見張っている。
「申し訳ありませぬ」
「全く、筆頭同心の田原は何をしておったのだ!!すぐに探し出せ!」
「は!」
「ううむ、だがマミゾウとてこれなら安心じゃろう」
牢の中で菅山がつぶやく。鍵は南蛮製の最新式。出入り口は一つである。仮に薬や煙幕がたちこめたとしても、すぐにこの鍵を開けられることはない。
鍵を開けることに手間取っているようなら、地下牢にいる五人もの同心が取り押さえマミゾウは終わりだ。
(なるほどのう…考えたものだ。似ても焼いても食えぬタヌキジジイなだけはある)
地下牢を守る同心に化け、マミゾウは一人思案を巡らせる。その時だった。何者かに肩をたたかれた。振り返ると体つきのいい一人の同心がそこにいた。
「ご苦労。交代の時間だ。外の空気でも吸ってくるといい」
「ああ、すまぬ」
こう言われては地下牢にいるわけにはいかない。渋々地下から外に出た。
(こうなってはしょうがない。ちと強引ではあるが、この二ッ岩マミゾウの名にかけて約束は果たさんとな)
廊下で人目のない事を確認すると、変身を説いて腰にかけた台帳の紙を数枚ちぎりニタリと笑った。
「ん?」
同心の一人が異変に気づいた。かすかにだが漂ってくるキナ臭いにおい。他の同心も気づき地下牢が騒がしくなる。
「菅山様!」
息を切らし駈け込んで来た一人の同心が叫んだ!
「どうした!?」
「火事です!マミゾウが火を放ったようです!」
「何だと!?」
「すぐにお逃げを!ここでは火と煙にやられてしまいます!!」
「しかし…」
菅山は悩みつつ千両箱を手に取っている。
「お任せください、私が奉行所の蔵に届けてまいります。あそこなら大丈夫でしょう。さあ早く!」
「ぬぬ、仕方ない。頼んだぞ。残りの者は火消しに当たれ!」
「は!」
敷き詰められた石畳を走り、緑に囲まれた庭園を抜けて警備の硬い門へと一人の同心が駆けてくる!
「ん!?どうしたのだ?千両箱をかついで?」
門番の一人が声をかける
「どいたどいた!屋敷で火事だ!奉行所の蔵に千両箱を運ぶんだ!」
少し早口で同心が叫ぶ!
「わ、わかった!」
急な事態に慌てて門番がカンヌキを外し、門を開けた!
「おい、マミゾウの奴が火を放った。まだ屋敷にいるやもしれん!門から出ようとする奴に気をつけろ!」
「おう、わかった!」
早口で話す同心を通し、門を閉めた時、門番が異変に気づいた!
「ん?おい見ろ!火など無いではないか!」
その時だった!田原が率いた同心たちが大勢で門へ走ってきた!!
「おいお前ら、誰か通したか!?」
険しい顔で田原が門番に問い詰める。
「いえ、千両箱を持った同心以外誰も…」
「馬鹿者!!そいつこそマミゾウだ!門を開けろ!!」
ぜぇぜぇと息を切らしつつ、マミゾウは屋根の上を走っていた。
さすがに妖力と体力を使いすぎたか…。いっぺん騙されたことに苦笑しつつ瓦の上を器用に走り抜ける。
もう妖力は使えない。使えば千両箱を持って逃げる体力はない。かといって千両箱を捨ててしまえば人間にひと泡吹かせる目的が丸つぶれである。
『御用だ!御用だ!』
後ろから聞こえる声にビクリと震えつつ、後ろを向くと田原が引き連れた大勢の同心が提灯片手に走ってくる!!
「いたぞ!マミゾウだ!」
「仕方ない、目的は人を驚かせること。銭などいらぬわ!」
そう言い聞かせると、マミゾウは屋根伝いに火の見やぐらにたどり着くと、変身を解いて素の姿に戻り半鐘を思いっきり何発も叩いた!!
半鐘の甲高い金属音が江戸の町に鳴り響き、何事かと飛び起きた住民達が街道へと出てくる!
「な、なんだあいつは!?」
町人の一人がマミゾウを指さし叫ぶ。人に有らざるしま模様の尻尾に人々は驚き、あっという間に火の見やぐらに黒山の人だかりが出来る!!
騒がしくなる町で一つ、大声でマミゾウが見栄を切る!
「さあさあとくと目に焼き付けな!生まれは佐渡の山の中。狸の一人、団三郎の元で術を磨いた日本屈指の化けダヌキ!二ッ岩、またはマミゾウたあ儂のことさ!!」
歌舞伎役者顔負けの見栄の切り方に騒然とする。化けダヌキなぞこの世にはいない、その常識を根底から覆す光景に人々は驚きを隠せなかった。
「ええい!どけ!マミゾウを捕らえよ!」
田原が火の見やぐらにいるマミゾウに向かって走ってきた、その時だった!
「さあ、くれてやるよ!!」
叫びつつ放ったのは、紛れもなく黄金色に輝く小判だった!!それは雨の如く降り注ぎ一帯が大騒ぎになる。
「どけい!どかぬか!」
田原はその様を見ることしか出来なかった。町人たちが座り込みとても通れやしない。ようやく辺りが静まり返ったころ、マミゾウの姿はどこにもなかった……
翌日、瓦版はマミゾウの話でもちきりだった。
同心たちは化けたマミゾウを見分けられず田原は大目玉を食らい、菅山は小判の出どころが不正に癒着した銭と判明しお家取りつぶしとなったそうな。
そしていつしか、マミゾウはこう呼ばれた。如何なる者にも化けられる狸、“顔無しのマミゾウ”と……
めでたしめでたし
どうも初めまして。知ってる人はこんにちは。神霊廟やってないけどプレイ動画は見た月見草です。
今回は“平成狸合戦ぽんぽこ”をヒントに狸のマミゾウが人間にひと泡吹かせる話…のはずが、なんか鼠小僧みたくなりましたね。
なんか久しぶりに粋な話が書きたくてこうなりました。
初めての盗人の話で、ありがちなネタになりましたが、楽しんでいただけたなら幸いです。
読了ありがとうございました!!