夢のなかの真夏のなかで
夢だと分かっているのに玉の汗が頬をつたい、レールの上にポタリと滴を垂らす。ベッドの中の現実の自分もサウナのように籠る熱に苦しんでいる筈だろう。
夏には早い6月の空。稲葉冥利の夢の中では、青い空に白い入道雲がムクムクと沸いていて、絵に描いたように季節を象徴しているようだった。
やっぱり彼女達に付き合うのは間違いだったんじゃ無いか、と自問自答を繰り返し、未だに答えは出ずにいる。確実だと胸を張れる回答が思い浮かばずにいた。
「これでわかってもらえましたか?」
「なにがだよ?」
「あなたが冥利にどれだけの影響を与えているかです。この世界はあなたの無責任な発言によって創造されたのです」
目の前には想像としての熱に頬を赤く上気させた桃の姿があった。真っ直ぐ澄んだ瞳は彼を見据えている。
「迂闊な発言は身を滅ぼすということがお分かりいただけたのなら、あなたがとるべき行動は何か」
「ふん、言いたい事があったらはっきり言えよ」
「そうですね。単刀直入に言います。稲葉冥利から離れて下さい」
一陣の風が吹き抜けた。
どこか寂しさを孕んだ、冷たい風だった。不思議な感覚だ。真夏の情景なのに頬を撫でるのは秋の涼風、真冬の木枯らし。その矛盾が夢という幻で造り上げられ、凍てつくような感傷に胸を締め付けられた。
「桃ちゃん!」
言葉が紡げず口ごもる彼に代わって日向葵が仲裁に入るように声を上げた。
「言い過ぎだよ!ユーユーの行動を縛る権利はあたし達にはない!」
「ですが危険因子は早めには排除すべきでしょ?違いますか?」
「冥利ちゃんが必要として、ここにいるんだ。ユーユーを退場させるのは早急な判断に決まってる」
「それが危険だと言うのです」
ため息をつき愁い顔で少女は続けた。線路脇に繁茂した背の高い夏草が風でさわさわと川の流れのような音をたている。情景すべてが錯覚としても彼女の言葉は自分自身の妄想ではないだろう。
「八年前を思い出して下さい。希望的観測の失敗は私達が身を摘まされて理解している筈でしょう。手遅れになってからでは遅いんです」
「それとこれとは別問題だよ。冥利はユーユーの助け、アシストを求めてるからこそここにいるんだ。あたし達が判断することじゃないって」
二人は半ば口論に近い言い合いを始めた。結城はその横で一人仮想空間の空を見上げ、創造主たる稲葉冥利の幼すぎる顔を思い出す。
彼女がこの場にいたら二人を止めるだろうか。それともなにも言わず俯くだけだろうか。
どちらにせよスコールが如く降り注ぐ蝉時雨が耳についた。
「うるさい」
口をついた単語の鋭利さに桃と日向は目を丸くして結城を見る。
「知るか!」
何で行動を制限されなくちゃならないんだ。誰がなんて言おうと、俺は自由を享受する立場である一中学生に他ならない。
蓄積したイライラは怒号となって彼の口から飛び出した。
「超能力だろうが、作文部だろうが、てめぇらで好き勝手すれば良いじゃないか!」
「落ち着いてよユーユー!」
日向が宥めるが、溜まりたまった彼の怒りはそう簡単に収まるものではなかった。
「俺は俺がやりたいようにやってやる。制限も節制もかなぐり捨てた今なら」
視界がグラリと歪む。夢の終わりが訪れたらしい。線路は溶けた消しゴムのようにグニャリと歪み、木々と空とが混じりあってアンバランスな色合いを滲ませていた。
「ユーユー!」
呼び止めるためにかけられた日向の言葉が眠りという瞼の裏のスクリーンにこだまするが、彼の意識は陽炎のように立ち消えていた。
今なら、……なんだ?
一匹の蝉の鳴き声が断末魔のように暗闇に線を残し、無情感を植え付けた。
枕が汗で湿っていた。
夢の終りまで人権を無視した言い種、目覚めは最悪であり、睡眠をクッションに挟んでも、イライラは再燃する。
夢の中の出来事とはいえ、それが現実に彼女達から言われた言葉だと分かっていては気分が晴れることはない。
それでも疲れが残っている割には彼の脳は迅速に稼働した。
どうにかして自分の存在を日向と桃に知らしめる方法はないかと模索し、思い付いた方法に結城は一人首をふった。
これはダメだ、ルール違反だ。だけど……。
桃の言葉と日向のしたり顔が脳裏にちらつく。まるで人を稲葉のおまけみたいに。
俺は、
感じた微かな劣等感、そこまで繊細な人間ではないはずなのに、このイラつきは何処から来るのだろう。
……違う。
ベッドの上で考え付いた回答。それは、日向や桃のことではなく稲葉冥利のことだった。
思えばすべて彼女に起因する事柄だ。
彼女を観察対象としていることに、ムカついているんだ。命は平等ではないが、同じ人間を危険とし観察するのはフェアじゃない。そこなんだ、
俺が納得出来ないのは。ルールとかじゃない、稲葉は、普通の、少し暴走しがちな女の子なんだ。
纏まらない思考に折り合いをつけ彼は一種のいたずらめいた覚悟を固めた。
朝御飯を食べ終え、登校し、短い挨拶を稲葉とかわす。
一昨日のように他のクラスメートの目がある場所では、後程厄介なことになるということを心得てくれたらしい。二人とも距離の取り方は十二分に理解していた。無口で人付き合いが苦手な彼女は、あのあと無責任な推測をするかしましい人垣に囲まれ、言葉を濁し、余計に誤解を招いていた。
女子の集団に割って入る訳にもいかず、いつの間にか稲葉と結城は好きあっているということにされていた。2日かけてようやく誤解が溶けてきたのだ。噂をぶり返させる訳にはいかない。
「結城昨日四組のマドンナと教室でなにやってたんだ!」
いつもつるんでいる友達が憎々し気に声をかけてきた。どうやら桃と一緒に居たところを目撃されたらしい。
第三のモテ期が……、と冗談を言う気にはなれず、
「あいつの話はしないでくれ」
と、無表情に答える疲労した口調に友人は悲しそうな瞳でこっちを見ていた。
ホームルームが終わり授業が開始する。結城は教科書の適当なページを開き、机にノートを拡げた。授業内容の書き写すためではない。
黒板では教師が平家物語の冒頭を熱心に説明していたが、彼の意識とそれに従事するボールペンは、ノートに宇宙を書き出していた。
【水が空気が食料が資源が……尽きぬことのない人間の欲求はこの星を死の世界に変えてしまった。宇宙技術は進化したが生物が生息できる星を見つけ、そこに行くまでの費用と年月を鑑みたとき、人類に未来は残されていなかった。
そんな折りに北極で何処までも続く不思議な穴が発見された。地球空洞説が立証されたのである。調査団が世界中で組織され、屍のような人類の瞳に再び火がともった。穴の底にあったのは、地底人が暮らす地下帝国ではなかった。通説通りコアやマントルにたどり着いたわけでもなく、人類の目の前に広がったのは地球と同じような惑星の姿だった。天文学者はあり得ないと言い、幾人かの地質学者は目の前の非現実に首を吊った。俗にいうパラレルワールドの存在に人類は歓喜した。喜ぶべきはその世界の文明は自分たちから見て一昔前のレベルだったことある。資源問題はもとより、抱える問題の解決をはかるため人類は先住民に交渉を行うことにした。】
「ユーユーこれ違う」
彼女の意見は尤もだった。彼らが部活で、決めたジャンルは青春小説であり、
結城が綴ったのは明らかにSF小説。少なくとも、冒頭だけで、その後の展開は容易に想像がつく。
「どういうこと、ですか?」
桃が震える唇で、結城の意図を探ろうとした。
「青春てのは若者視点で描かれてるもんだろ?」
しれっと彼は応える。
「これから裏世界の人間達との紛争が、少年兵士の目を通して行われるんだ」
「何をバカな....」
桃は言葉を失い、顔面蒼白になった。
空想を夢というフィルターを通して現実にする稲葉冥利の前でする話ではない。
険しい顔つきの日向の横で問題の張本人たる稲葉はキョトンとしていた。
「わざと、ですか?」
「なんの話かわからないな」
「ふざけるのも大概にしてください!」
かたんと音をたて椅子から立ち上がり桃は声をあらげた。目は静かな怒りに満ちていた。
彼女の袖を小さくひき、着席を促した日向が落ち着いた語調で、桃に代わって口を開く。
「ユーユーには悪いけどあたしもこれは違うと思うな。青春小説に非現実的な要素はないほうがいいよ。ねっ、冥利」
稲葉冥利に話をふった。同意を得られることが前提としての意見誘導だ。
「うん。野蛮なのは好まれない」
「甘いな稲葉」
日向に乗せられている彼女を一笑し、結城は続けた。
「パラレルワールドが主体の戦争ものとはいえ、世界を隔てているからこそいろんな伏線が貼りやすいんじゃないか」
「それは良いかも知れないけど、設定が難し過ぎる。もう一つの世界とか頭がこんがらがって来ちゃった」
「簡単過ぎると物語に起伏が生まれないだろ?それにこれくらいのほうがやり易いって」
「そうだろうか...」
「それに今パッと思い付いたんだが、このもう一つの世界ってのは実は過去の地球で歪んだ時間干渉を行っていたとかどうだろう」
「うーん」
どうやら穏便なストーリーを求める日向や桃はともかく、肝心な稲葉すら乗り気にはなれないらしい。
放課後、作文部としての活動を行っている四人だが、部活申請として提出した書類が受理されるまでいくらか時間がかかるらしい。担当教員の問題など部活として認められるにはまだまだ課題が山積しているようである。とはいえ、活動を行わないわけにもいかず、作品内容を具体的に決める作業が引き続き行われていた。
そのタイミングで結城が持ち出したのが、授業中書き上げたSF小説の冒頭とそのプロット。
桃と日向にはすぐにわかった。自分の意思を蔑ろにされた結城裕也の細やかなる復讐なのだと。
「それでは主題が目標からずれてしまう、青春小説が主のはず。昨日ユーユーが例に挙げた作品のように」
稲葉冥利は取り巻く人物達の歪んだ思惑を知らない、彼女はただ単に作品を作りたいだけなのだ。
仕方がない、奥の手だと、結城は考えていたとっておきのアイデアを披露する。
「世界を隔てているからこそ切ないラブストーリーを展開できるじゃないか」
今までの彼女の選考から稲葉の望む展開というものを大方把握していた。これならばほぼ十中八九食い付くはずだ。
「で、でもそれじゃあ...」
それがわかっているからだろうか、日向の表情が一瞬で曇り、何かしらの反論をしようと口を開けたが、なにも出てこず、口ごもった。彼女の代わりと言わんばかりに稲葉冥利は朗らかな笑顔を浮かべ手を叩く。
「それすごくいい」
「だろ?」
計画通りに進んだ物事にほくそ笑む。稲葉の意見をコントロールするのはヒマワリ達と同じようで癪ではあったが、たまにはあり得ない展開の作品に触れてみるべきだろう。
「……最低」
桃が小さな呟きが耳に残ったが、気にしないことにした。




