夜明け前
非公式なクラブの為、見回りに来た教師に退室を命じられ、唇を尖らせながら一同は帰路につくことになった。
「明日申請しよう」
「そうだね。いちいち先生に邪魔されてちゃ話が前に進まないよ」
ぶう垂れる日向と稲が仲良く廊下を先行して歩き、その少し後ろに結城と桃が続く。後列に会話なく、黙々と足を前に出すだけだ。
柿色が落ちる階段前についた時、シャツを桃に軽く摘まれた。
「なに?」と顔を彼女に向けて聞いてみたが、質問を無視し彼女は階段をくだる前列の二人を「すみません」と呼びつけた。
「ん?」
「私とユーユーさんは委員会があるので先帰っててください」
「委員会?今から?」
「えぇ、彼サボリがちなので」
桃は涼しい顔で帰路につこうとする結城の足を止める。
「なんでお前が俺の帰宅を邪魔すんだ」
「私も図書委員だからです」
クラスのもう一人の委員が積極的に参加してくれているおかげで今まで悠々とサボることが出来ていたのに。
「了解ー」
ヒラヒラと手を降る日向の横で、稲葉冥利は階段を見上げ、
「それじゃまた明日」
と小さく手を挙げた。
「行きましたか。ユーユーさん、ついて来てください」
「ほんとにお前図書委員?初対面じゃね」
二人ぶんの足音がなくなったのを確認し、彼女は乳飲み子のように掴んでいたシャツを放した。顔を覚えるのは得意ではないが、どんなに思い返してみても図書委員として桃と一緒に働いていた記憶はない。
「さっきのは嘘です」
スタスタと来た道を戻り始めた彼女を追いかけ、柔らかな肩に手を置く。
「どういうことだ?」
「二人きりになるきっかけを作るため嘘をつきましたが、意味もなくサボるのは止めたほうがいいと思いますよ」
「お前……」
「なんです?」
本来ならばこちらが頭を下げなければ付き合えないような高嶺の花のような女の子だ。千載一遇のチャンスに等しい。
「考えてやらんこともないけど、あんまプライベート探るなよ」
「それに関しては謝罪します。こちらものっぴきならない状況なのです」
「愛が重たいな」
「……あなた、馬鹿ですか?」
「はい?」
桃は二年一組のくすんだドアを開け、先ほど自分が腰を下ろしていた椅子に座った。そこはモテない友達の席で、女子が借りて座っているって知ったら喜ぶだろうなぁ、と思いながら結城も自分の席に腰をおろす。
室内は電灯をつけていないため薄暗く、閉めきったカーテンは穏やかな日光をぼんやりと透過させていた。
「桃ちゃん、一つ確認していい?」
「はい?」
「最近、……奇妙な夢を視るんだけど」
言ったらバカにされるだろうか、と逡巡しながら言葉を続ける。
「なにか知ってる?」
どうして私があなたの夢を存じ上げないといけないんですか、そういう答えが返ってくるかと身構えた彼の覚悟は徒労に終わった。
「ヒマワリから聞いたんですよね?夢は稲葉冥利が作りだした仮想現実の世界です」
「あ、ああやっぱり俺はファンタジー世界に迷いこんでしまったんだな。わかってたさ」
自虐ぎみに鼻を鳴らす少年に、桃は薄く笑みを浮かべ、
「ええ、ですからいくつか注意点をお教えしたくて、こうして呼び止めた次第です。ヒマワリばかりに負担をかけるわけにはいきませんものね」
肩を落とす結城に桃は手に持ったカバンからメモ帳を取り出し、ページを一枚千切って渡した。
「いいですか、ユーユーさん、ようく肝に銘じておいて下さい」
そこにはいくつかの注意が書かれていた。
1、夢の中に稲葉冥利はあらわれない。
2、夢は稲葉冥利が感銘を受けたものが色濃く反映される。
3、稲葉冥利に与えられたストーリーに逆らうと、夢が崩壊し、現実になんらかの影響が起こるかもしれない。
4、大抵は感覚として数分で終わる。
5、稲葉冥利は自分の夢が現実に影響を与えていることを知らない。
「わざわざ書いたのか?」
「えぇ」
ご苦労なこったと目を通す。
「やっぱり稲葉は自分の夢が不思議空間に繋がっていることを知らないんだな」
忠告を受けていたから、俺も教えることはしなかったが、
「認知されるとマズいことでもあるのか?」
結城の質問に桃は微かに言葉を震わせた。
「私たちが他者の夢に侵入できるようになったのは8年前だと説明しましたが、覚えていますか?」
「あー、夢ん中で言ってたなぁ。つまり稲葉冥利の夢は現実に影響を与え、お前らは安全弁として、その8年前だか会得した能力を活用してるんだろ?」
「少し違います」
一区切りつけるように息を吸ってから桃は続けた。
「能力は会得したのではなく正確には被験体であった彼女の暴走に巻き込まれた一般市民が私たちだったんです」
一般市民が、というなんでもないようなフレーズの重要性が高いことを吹き出した冷や汗が知らせていた。
「どういう、ことだ?」
「8年前、奈黒で起こった昏睡事件をご存知でしょうか」
「……」
流れるニュースをぼんやりと眺めている6歳の自分、そのテレビの向こう側の世界が、自分のよく知る界隈だったことに当時衝撃を受けた。
奈黒は、沿岸部に位置する小さな町だ。
「たしかガス漏れで集団災害が起きた」
「ええ、大規模一酸化炭素中毒事故、表向きはこうなっています」
「それが稲葉の仕業だってのか?冗談きついぜ」
都市ガスに含まれる炭素ガスが漏れ、住民一帯に被害を及ぼした、と新聞に書かれていたことを思い出した。
「催眠誘導能力に目をつけられていた稲葉冥利は、当時研究目的で奈黒の先の施設に運こばれていました。ところが車が横転事故を起こしたんです」
集団昏睡事件といっても、被害はせいぜい十数名、死者はいなかったはずだ。
「車から漏れでた冥利の念波は、子どもの脳に甚大な影響を与えました」
「まて被害の大多数が大人だっただろうが」
「えぇ、完成された脳は揺さぶる程度でしたが、発展途上の脳は冥利の念波に書き加えられたのです。正確には次元を引き上げられたというべきでしょうか」
「頭空っぽの方が夢詰めこめるってわけか?」
「他者の感応性を高め精神が無防備な時に干渉できる、稲葉冥利に似た力を得た子どもたちは、検査と称して彼女と同じ施設に隔離され、そこで自分たちの役割を理解しました」
彼の冗談は彼女に通じなかった。
「稲葉冥利の精神は不安定でちょっとしたことで磨耗してしまいます。8年前の事件は彼女が自らの力を自覚したことによって起こったのです」
彼女はそう言ってから彼の手にあるメモの5番目を指さした。
稲葉冥利は自分の夢が現実に影響を与えていることを知らない。
「混乱状態に陥った彼女は自らの精神をリセットすることによって自我の崩壊を免れました」
「リセットって」
「わかりやすい言葉で言えば、全てを忘れた、記憶喪失、逆行性健忘症の状態です」
そう言ってから彼女は立ち上がった。
「わかりますかユーユーさん。冥利さんにとって夢は現実であり現実は夢なんです。その矛盾を起こさないため私たちは自らをセーフティーと称しました」
「恨んではないのか?よくわからん非日常に巻き込まれて」
「仲間うちにそういう人もいますが、過半数が彼女を哀れに思って、ついには研究所から稲葉冥利を連れ出すことに成功しました。全員が汚れを知らない純粋無垢な子どもとはいえ冥利さんのお陰で天才的な頭脳を獲得したものもいますから」
ヒマワリの「彼女は今は自由の身だからね」という言葉が耳に蘇る。
稲葉冥利は本当に研究目的で隔離されていたのか。
「土台があるからでしょう、最近精神がようやく年齢に追いついてきました。ユーユーさんが余計なことをしなければ、彼女はこのまま成長できるのです」
偉そうな物言いに結城はムッとなった。
「そりゃいったいどういう意味だよ」
「我々の責務をご存知いただけたのなら、今までのあなたがどれだけイレギュラーだったかおわかりいただいたはずです」
「稲葉の夢に巻き込まれたという点ではなんら変わらんだろ」
「いいですか、ユーユーさん。私たちは彼女の夢、ひいては精神、またはそれに繋がる現実を守るため、極力刺激しないようにしているのですよ。それをあなたは」
彼女の語気が強くなる。
「なにがスプラッタホラーですか!曲がり間違って稲葉冥利が感銘を受け夢の内容がソレになったらどうしてくれるんです」
「演じりゃいいだろ。ゾンビを。ストーリーに則って」
「突拍子の無い物語はそれだけ破綻が生まれやすくなります。なるたけあたりさわりの無い、出来るだけ現実に近い内容を稲葉さんに提案してる私たちの苦労を考えてください」
そういえばヒマワリは「日常ギャグ」「コメディ」。桃は「青春小説」と確かに現実的なジャンルを選択していた。
「はいはいわかりました今度からそうしますー」
「ほんとくれぐれもお願いしますよ」
線路は灼熱に揺れ、空はいまに落ちてきそうなくらい高く遠く広がっている。風に吹かれた蝉の声はどこまでも響き渡り、滴り落ちる汗が真夏を象徴していた。
「またかいな」
目の前に広がるありえない光景に、結城はがっくりと膝から崩れ落ちた。
「あいつ、気に入ってやがったな」
敷き詰められた砂利が音をたて、彼の苦悩を演出していた。
「あれま、ユーユーの言ってたシチュエーションのようだね」
「たしかスタンドバイミーですか」
いつの間にかあらわれたヒマワリと桃の二人は降りかかる夏の太陽光に目を細め、炎天下で歪む線路の先を見据えようとした。
「これってストーリーがあんのかな」
「さあ。また場所だけじゃないですか。とりあえず歩きますか。そういう話なんでしょ」
「そうだね。さっ、ユーユーほら立って」
半ば予想はしていたが睡眠をとらぬわけにもいかず、ベッドで朦朧としていたら、いつの間にかまた稲葉の夢に引っ張られたらしい。




