空想世界のRight-on
ガラス戸を押し開けた途端、夜の匂いを孕んだ初夏の風が結城の肌を優しく撫でた。青々とした樹木は傾きかけた日差しに照らされ色鮮やかに揺れている。
「それじゃ俺はチャリだから」
「うん。バイバイ」
エントランスで二人と別れ、駐輪場に向かおうと校門とは逆の方向に歩きだす。
「あ、あたしも自転車なんだ。それじゃね冥利」
「また明日」
やり取りが終わったと思ったら、軽快な足音とともに背中をバシンと叩かれた。
「まってよ、ユーユー」
振り向くと、無駄ににこやかな日向の顔がある。
「お前チャリ通か?」
確かに日向と昨日始めてあったのは駐輪場だが、自転車を停めている風には見えなかった。
「いやあはっは、細かいことはいいじゃない」
一笑に付す彼女にイラつきながら、結城はため息をついた。
「それしても今日は余計なことをしてくれたな。頼むから平穏な日常を引っ掻き回さないでくれ」
「まあまあ、作文部いいじゃない。それはそうとユーユー、見事に忠告を聞かなかったね。あたしちょっと感動しちゃったよ」
「あー、俺がなにしようが勝手だろうが」
「いやはや、ごもっともごもっとも」
彼女は軽やかなに足をあげ、歩みを進めている。
「これから先、冥利と付き合っていくつもりかな?」
「さぁな。とりあえず区切りがつくまで、とは思っているが」
「それじゃあ、いくつか注意をば」
「またかよ」
駐輪場のトタン屋根が見えてきた。自転車に乗る前くらいなら聞いてやってもいいかと、首を動かして彼女の方を見てみる。日向は別れたばかりの稲葉をジッと見ていた。
「そんでお前、結局稲葉のなんなんだよ。保護者か?」
「ユーユーは冥利の事どう思ってんの?」
かけた言葉を無視され、小さくなっていく稲葉の背中から視線を外さず真剣な口調で尋ねられた。
やはり百合なのだろうか、とぼんやり考えながら結城は応えた。
「別にどうも。好きか嫌いかなら好きだけど、あの性格は難ありだよな」
「恋愛感情の有無を聞いてるんじゃなくてさ」
「はあ、やっぱりまた昨日の話をぶり返すんだな」
日向は無言で頷いた。
自転車の前に到着してはいたが、会話を区切ってまでサドルに跨る気は起きず、そのまま立ち止まって向かいあう。
初対面の気まずさはなく、すぐ打ち解けたように思える稲葉と日向の二人。もしかしたら昨日受けた忠告はそれこそ夢だったんじゃないかと考えていたのに。
「もうわかってると思うけど」
日向がゆっくりと口を開いた。
「稲葉冥利は他者を夢に引きずりこむ、協力な催眠誘導能力の持ち主なの」
英語のリスニングのように穴から穴へ、言葉は鼓膜に意味を落とすことなく通り抜けた。陸上部の走り込みの掛け声だけが、妙に耳に残る。
「は?」
「本人には教えちゃダメだよ、それだけは、絶対に」
「催眠、誘導?」
理解が追い付かず、ぽかんと口を半開きにしている彼に構わず言葉を続けた。
「睡眠時における他者の無防備な精神に干渉し、自らの支配下に置くのさ」
「お前それまじで言ってんの?」
無言になって首を縦に振る日向葵に、結城は思わず肩をすくめた。
「いい歳こいてバッカじゃねーの」
「むっ」
「んなもん稲葉に言ったら逆に俺がヤバいくらいに引かれるわ。頼まれたって言わねーよ」
「はにゃ」
間延びする謎の言語を喋る金髪少女に結城は鼻で笑いながら続けた。
「稲葉が超能力者だったら俺だって時速20キロで歩ける能力者だぜ。他者を夢に引きずりこむ?なんの意味があるんだよ、それ」
「あれ、信じてない?」
「与太話を手放しで飲み込むほど、俺もガキじゃないから。フィクションと現実をごっちゃにすんのはやめようぜ。な。痛々しいぜ、いろいろ」
ぴっしょりと言い放ち、カバンの内ポケットから自転車の鍵を取り出す。
「大人になれよ。来年受験生なんだから」
「……ユーユー今朝見た夢覚えてる?」
ピクリと、彼は鍵を右手に持ったまま動きを止めた。
「夢って」
冷や水をぶっかけられたかのような寒気が起こる。
他者を引きずりこむ……?
「まさか、だろ」
頬が引きつる。まるで実際に体験したことのように、今朝の夢なら記憶していた。右手から自転車の鍵が滑るようにアスファルトに落ちて、キンと高い音をたてた。
二年一組の教室で、日向や謎の女の子と会話する、当たり障りのない内容の夢。それゆえにうすら寒くなるような現実感があった。
こめかみから垂れた一筋の汗の玉を拭う彼に、日向は優しく諭すような口調で声をかけた。
「冥利の夢を介したから、昨日の夢はあたしが見てたものと同じになるハズなんだけどね、どう?」
答えはわかりきっている、彼女の言葉には勝ち誇ったようなリズムが含まれていた。嫌な予感が全身を包み込む。
真剣に聞いといた方がいいと赤色灯ともる彼の第六感がアナウンスを流す。
「い、稲葉が夢に他者を引きずりこめる超能力者って、さっき言ってたよな」
「超能力者とは言ってないよ、冥利が持ってるのは不随意性催眠誘導能力。正確に言うなら能力ではなく病、名を冠するなら超眠り姫症候群ってとこかな」
よくわからない単語の連発にくらくら目眩に似た症状が起こり始めていた。
「たしか、ナルトなんとかとかいう居眠り病があったよな。それとは違うのか?」
「ナルコレプシー?あれとは違うよ。ナルコレプシーの場合は、感情のたかぶりなどが起因して、お化け屋敷で腰ぬけるのと同じように意識を失うんだけど、冥利の場合は、あたしたちの睡眠となんら変わったところはないからね。うーん、やっぱりユーユーの言うとおり超能力の色合いの方が濃いかな」
「他者を夢に引きずりこむ、って」
半分も理解できなかったが、寝言を言っているようには思えなかった。
「まだ詳しく解明されてないんだよねー。他者を巻き込む夢なんて前例がないし、やっぱり手っ取り早く『超能力』にカテゴライズして『超心理学』の分野に回した方がいいかもしれないね」
「わりぃなに言ってんのかわかんねーや」
「そうだなー。これはあたしの持論なんだけど、冥利の場合、レム睡眠時に表れるPGO波とは別の脳波が、他者の感応性を高める働きが、距離や数を問わず発生していて」
認識出来ない情報はただ空気を震わせるだけで、結城の脳に届くことはなかった。
「もしくは、睡眠時でも機能している聴覚や嗅覚に何らかの影響を与えているのではないかとあたしは考えている。ただこれだと意図した夢を見せるのは可能かもしれないけど、オンライン的に内容を共有していることに説明がつけられないし、」
やっぱりなに言ってるのかわからない。
「だけど厄介なのはそこじゃない」
厄介なのはお前だよ、と言いかけて、口を噤む。
「冥利の夢は現実に伝染するんだ」
「はあ?」
「リヒテンベルグの放電像として有名なキルリアンの写真なんかは蒸散する水分を捉えたもので生体エネルギーではないらしいんだけど、物質にはあたしたちじゃ計り知れない何かしらの力が存在していて、冥利の睡眠時念波は、これは多大な影響を与えるんだよ。……無理やり説明してるだけだからあまり気にしないでね」
現実に影響、という言い回しに、黒板に書かれた文字を思い出した。夢でヒマワリが綴ったものが、現実の世界でも存在していた。
「お、お前なに言ってんだよ。稲葉が世界が滅びる夢を見たら現実もそうなるって言ってんのか?」
「そこまで大々的な影響は望めないけど、大げさな言い方をすればそうなるかな。少なくとも人間の脳を破壊するくらいの力はある、と予想される」
返答に結城裕也の平凡な脳みそは思考を放棄し、手っ取り早い解決策を導き出した。
「……あのさ、言い方悪いかもしれないけど、稲葉がそこまでヤバいヤツだったら、殺した方が」
「主人公だったら絶対に言わないような発言だけどもっともだね」
少しだけ呆れながらも日向は寂しげな笑顔を浮かべて続けた。
「とはいえプラス面も考えたら、一概に悪いとは言えないんじゃないかな。例えば軍事面、非致死的兵器として考えれば電磁周波数兵器や音響装置より安全だし、医療現場に利用すれば麻酔より楽に精神を緩和させることができる」
日向の説明の仕方に結城は違和感を覚えた。彼女の言い草ではまるで新薬の効能を実験結果に基づいて説明しているみたいだ。
「だけどまあ安心してよ。冥利の精神がフレない限り、よっぽどなことは起きないから」
「危険には変わりないんだろ?」
「ストッパーとしての役割があるからね。安心安全愛情ー」
「ストッパー?能力、いや症状を抑制する薬でもあるのか?」
「んーん。あたしたち」「は?」 神経を繋いだヒューズが飛びかける。理解できない説明を受けるのは数回目だが、文章がつながってないのは確かだ。
「冥利の夢に侵入し、現実に被害が及ばないようにコントロールする役割をあたしたちは担ってるわけ。多少実験的に小さな干渉を行ったりはするけどね」
「あたしたちって、……昨日の女もか」
夢に現れたポニーテールの少女を思い出す。
「彼女もそう。それにしても、まさかユーユーまで夢に来るとは思わなかったよ。こんなこと始めてなんだよ」
「一体俺がなにしたってんだ……。お前らがしっかりガードしてくれれば」
「あたし達はあくまで冥利の夢に干渉できるという能力を持ってるだけだから」
カラスの鳴き声が未来を暗示するかのように茜色の空に響きわたった。
「超眠り姫症候群はあくまで実験的段階をでないし、危険といえばそうなんだけど安全に気を配り最大限の効果を発揮できるよう調整を」
「おかしいだろ」
「え?」
「あ、いやなんでもない」
喉まででかかった言葉を飲み込んで、彼はギュッと握り拳を作った。
そんな彼を慰めるように日向が口を開く。
「……おそらくユーユーは一定の区切りがつくまで冥利の夢にとらわれ続けると思う」
「区切りってなんだよ」
「さあそれはわからないけど、単純な例で言えば、彼女に飽きられることかな」
無理やりおどけるように歯を見せた彼女の笑みはぎこちなく動く歯車のようだった。
「手っ取り早く無関心の対象になればいいんだな」
「あれ?嫌なの?頼りにされてる印なのに」
「ほざくな。どうすりゃ後腐れなく稲葉と縁が切れると思う?」
「うわぁ、君って最低だねー」
「お前らに言われたくないな」
先ほどから感じていたイラつきが、眉間にシワとなって現れる。
「……どういう意味?」
落ち行く夕日に照らされた日向葵は、その光に溶けるような弱々しい声音でそう尋ねた。
「おかしいだろ。まるで稲葉の管理者みたいな言い方」
ぼそりと、だが密度の濃い息と一緒にその言葉を突き刺す。
「稲葉はてめぇらのモルモットか?反吐がでる」
「モルモット、まさしくそうだね」
普段の明るく剽軽な彼女のイメージとは裏腹に、日向はうつむいて、小さく呟いた。
「彼女は研究目的として今まで縛られて生きてきた」
「嘘臭い話だな」
受験にそなえ多角的に物事を判断するように自分自身心がけている。少なくとも稲葉冥利との投合は気まぐれに他ならない。
「妄想だとカミングアウトしろよ。じゃなきゃ幻滅だぞ」
「残念ながら、それはないってユーユーもわかってるでしょ?」
「まあ、実際目の当たりにすれば否応なしに」
結城は一転明るい口調でなるたけ日向を責めないよう、優しく言った。女子を泣かせていいことなどない。
「お前らはお前らで大変なんだろ。てきとーに力ぬいて頑張れ」
「勘違いしないでほしいんだけど、これはあたしの考えじゃなく、あくまで研究庇護対象だった冥利の取説みたいなもんだからね。あたしは職員じゃないし」
「研究ってそんなたまじゃないだろ、あいつは」
「そう、その点は安心して!彼女今は自由の身なのさ!」
「なら良いよ」
かがみこんで鍵をとり、自転車のチェーンを外してハンドルを握る。
「それじゃあ俺は帰る」
「ちょっと待って、まだ説明は終わってないよ」
「稲葉冥利の夢はすごい。……他になにがのこってるんだよ」
「セーフティーとしてのあたしたちの役割とか、冥利の研究対象離脱のプロセスとか」
「明日話をきくから、今日はいい。少し整理したい」
「あ、そう。んじゃまた」
「ああ、またな」
サドルにまたがってペダル漕げば、直ぐに日向との会話は過去になる。
感じた漠然とした怒りに、わだかまりを感じていた。ただの憐憫でも同情でもない、稲葉が好きなわけでもないのに、この胸のムカつきはなんなのだろう。
黙って話を聞いていれば、悪いのは日向じゃないとわかっていても耐えられなくなって、出どころ不明の怒りの矛先を彼女に向けてしまうところだった。
殴ることが許されるなら躊躇なく拳をふるっていたところだろう。




