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実情と

 目覚まし時計が耳障りなアラームで起床を促す。

 カーテンの隙間からは穏やかな朝日が差し込み、室内は澄んだ空気に満たされていた。

 眠気に支配された瞼をむりやりこじあけ、視界に訪れたのは見慣れた天井。

「朝か」

 確認をとらなければ、世界が希薄なものに感じてしまうほど今朝の夢は生々しかった。グロテスクな表現やショッキングな出来事はなく、ただ教室に佇んでいるだけだったが、妙に現実的で、内容もはっきりと思いだせる。

「夢だー!」

 とりあえず叫んで上体をはねあげた。


 市立羽路中学校は在籍生徒数1300名と至って平凡な中学校である。大半が学区だからという理由でこの中学を選択したのだろう。校風こそ『責任を伴った自由』だが、結城裕也は閉塞感に似た苦しみを感じていた。結城のような『普通の生徒』は高すぎる自由度に足踏みしてしまい、なにもできないでいる。

 眠気と戦いながらペダルをこぎ、初夏の爽やかな風と共に朝日を浴びて黄金色に輝く校門をくぐる。

 そのままの足で二年一組の教室まで行き、日常のスタートラインに立とうとした結城は自分の席に我が物顔で鎮座している少女を見て頭を抱えた。

 お喋りに花を咲かせているというわけではなく、口を結んで分厚いハードカバーに視線 を落としている。

 何事かと遠巻きで様子を伺うクラスメートたちの視線を無視し、自らの存在をアピールするようカバンを乱暴に机の上に置いた。

「そこは俺の席だ」

「おはよう結城。素晴らしい朝だね」

「挨拶は後だ。どけ。お前の席は向こうだろ」

「コアラの餌代は1日で2万4000円、一年で1000万円。人生ってなんなんだろう」

「藪から棒になんだ。さっさとスタンドアップ!」

 真摯な訴えにしずしずと立ち上がった彼女と入れ代わるよう席につく。椅子に残った体温が朝から不快感を増長させる。

 読んでいたハードカバーを小脇に抱えた稲葉冥利は神妙な面持ちで、カバンから勉強道具一式を机に移す結城にぼそりと語りかけた。

「想像力は知識よりも大事だ。ってアインシュタインが言ってた。想像力に限界はないって」

「それは愉快だな。学生の本分は勉強ですってアインシュタインさんに言っといて」

「あらゆるものには輝くダイヤが隠されている。ってエジソンが」

「電子回路がよくわかんないってエジソンさんに言っといて」

「とにかくこの世に生まれたからには、何かひとつ足跡を残したい、って野比のび太が、」

「さっきからお前はなんなんだ」

 朝から要領の得ない嫌がらせに軽くイライラしながら顔を上げた結城の視界に、稲葉の持っている本のタイトルが飛びこんできた。『人にやる気を出させる名言集』。

「お前意外と型からはいるタイプだな」

 椅子の横に立つ稲葉は小首を傾げた。身長差は逆転し、いつもは見下す彼女に見下されながら彼はため息をつく。

「昨日の話か?」

「うん。返事を聞かせてほしい」

「きっちり断ったはずなんだけど」

「一晩考えてほしいとお願いした。考えてくれた?」

「人の話をきかないな、お前は」

 口で言いつつも、まっこうから拒否することが出来なかった。

 二人でアイディアを出し合って、小説コンクールに応募する。それ自体は億劫な頼み事に他ならない。

 心の出っ張りに引っかかるのは、昨日の帰宅時、四組の日向葵に言われた言葉の方だ。

 忠告は『稲葉冥利とは関わるな』だったが、意味とは真逆な好奇心が彼を支配していた。

 無聊の慰めに小説を綴り、そのついでに『稲葉冥利』と関わり合いをもつ。

「いいぜ」

 気まぐれというより、怖いもの見たさ、結城がとった選択肢がどんな結果をもたらすか、この時点では誰にもわからない。

「お前の暇つぶしに付き合ってやる」

「ほ、ほんとっ?」

「ああ、ちょうど退屈してたところだしな」

 声をワンオクターブ高くして彼女の瞳はきらめいた。

「私たちが組めばきっとすごいものができる」

「その自信はどっから来るんだよ」

 不浄なものを寄せ付けない純粋な光を帯びた瞳、それに見つめられて、彼はたまらなくなり目をそらした。

「言っておくが俺らはズブな素人なんだからな」

「風は私たちにふいている」

 真剣な表情でよくわからないことをぼそりと呟き、稲葉は結城に背中を向けた。

「あ、おいどこに行くんだ?」

「本を返してくる」

 どうやら図書室でわざわざ借りてきたらしい。

「放課後から打ち合わせを開始しよう。なんだかすごいものを生み出せそうな予感」

 教室から姿を消した稲葉を見送りながら、結城はやっぱりこの女はどこかおかしいな、と再認識した。

 まあでも女子と接点を持つのは悪くない。

 稲葉が姿を消すと同時に結城の机は、生き残りに群がるゾンビが如く男子の一団に取り囲まれた。彼らの表情はみな嫉妬と羨望に支配されている。

「どういう事情だ?」「脅迫か?脅迫してんだろ?」「死ね!」

 呪詛のような嘆きの声を、結城は「ふっ」と鼻で笑い飛ばし、

「どうやら俺のモテ期という名の獣が目を覚ましたよう……へぷさっ!」

 意味深な呟きに、無数の鉄拳制裁が加えられた。


「あのミステリアスな美少女稲葉冥利が無関心のどん詰まりこと結城裕也と仲良く会話するなんてっ!?」

 男友達が取り乱しているのをみて、こういう役得もありだなぁ、と結城は思った。

「まあお前にもいつか、な」

「くぅ、上から目線でバカにしやがってぇ!」

 半泣きになる友達を無視し、結城は気分よく大口を開けて欠伸をする。涙で視界がにじむより早く、別の男友達に頭を叩かれた。

「って、なにす んだよ」

「うるせぇ、さっさと仕事しろ、今日日直だろ!」

「ああ、そういえば。でも朝はやることないだろ」

 授業に使った黒板を綺麗にしたり、移動教室の鍵を取ってきたりと、HRを待つまでの間に仕事はない。強いていえば日誌を記すことだが、それは時間が余った時でもできる。

「黒板汚れてんだろ。きれいにしろよ」

「朝の段階で汚れてるなら昨日のやつの責任だろ。知らねーよ」

「減らず口たたくな。ほれ!」

「ただの嫌がらせじゃん」

 ぶつくさ言いながらも立ち上がり、クリーナーの上に放置されたままだった黒板消しを手にし全体を見渡す。

「別に汚れてなんて、……っ!?」

 言葉を失って半歩後ずさった結城は、教壇から足を踏み外し尻餅をついた。

 手に持ったままの黒板消しが床とぶつかり合い、白い粉塵が教室の空気に溶けていく。

 痛みも忘れ唇を震わせる彼を、沸き起こった爆笑の渦が包みこんだ。

「すげー音!大丈夫かよー」「





、天誅!」「ドジだなぁー結城、しっかり」

 彼らの声に半笑いで応えながらいそいそと立ち上がった彼はまっすぐ黒板に書かれた二つの言葉を見つめる。『レム睡眠』『ノンレム睡眠』、波線はなかったが、意識は混乱の渦に叩きつけられる。

 耳の中で日向葵の忠告が響き渡った。


「物語を始めるにあたり――」

 人気がなくなった校舎、その日の単元がすべて終わり、教室は昨日と同じ静寂に包まれている。

 二年一組に二人の生徒が残っていた。

 稲葉冥利はキャスターのついた教師用オフィスチェアに腰を下ろし、机を挟んで自分の席に結城裕也はつく。お見合いのように向かいあうかたちだが、彼の精神は落ち着いていた。

「まず決めなきゃいけないのはジャンルだ」

 結城の言葉に、稲葉はふんふん頷きながらA5サイズのノートに『ジャンル』と書き付け、大きく丸で囲った。

「それなんだ?」

「ん?」

「いや、そのノート」

 その問いかけにしたり顔で応じると、ノートをたてて表紙が彼に見えるようにした。ピンクの大学ノートのタイトル欄には『作戦ノート』と綴られている。

「意見を分かりやすくまとめるために用意した」

「ああ、そう。ヤル気満々だな」

「結城はどんなの書きたい?」

「俺はべつになんでも。まかせるよ」

「うーん」

 稲葉冥利は顎にシャープペンシルのノック部分をあて、語尾を間延びさせた。その可愛いらしい所作に精神を揺るがされないよう平常心を保って、後頭部をぽりぽり掻きながら結城は質問した。

「その前に聞き忘れてたんだが、コンクールってのはどんな小説を対象としてるんだ?」

「え?」

「だから色々あるだろ。出版社の得意なジャンルとか、応募要項とか。それに合わせた話作りをしなくちゃ」

「た、対象作品?」

「そういや賞金とかってでんのか?締め切りはいつなんだ?文字数とか決められてんだろ?」

「あ、えっと、その」

「どうせ中学生にできることなんてたかがしれてるし、とりあえずは入選を目指そうぜ」

「う、うん。そうだ。ベストを尽くすに越したことはないけど、いまのうちに限界を知っておくのも大切」

「それで」

 歯切れが悪くなった稲葉にクエスチョンマークを浮かべながら結城は尋ねる。

「コンクールの名前は?」

「うん、っと」

「もしかして忘れたのか?ならとりあえず出版社とか最低限わかること言ってみ。いま携帯で調べてみるから」

「そ、そういうわけじゃなくて。えーと、い、稲葉冥利賞ー、なんて」

「……」

「だ、だめ?はは」

「おい、お前」

 彼の矢継ぎ早の質問に稲葉は目をしばたたせる。

「まさか、なにも決めてないのか?」

「うん」

 その可愛らしい首肯に、結城は呆れてモノが言えない、というありがちなフレーズをリアルで体感しながら、殺意抑えこむよう額に手をあてた。

「怒るかもしれないから黙ってたけど、正直に言う」

 捨て鉢になりかけた彼とは対照的に決意をきめたような語気で彼女は告げる。

「私は『特別』になれるならなんでもいい」

「どういう意味だ」

「連綿とした退屈な人生を終わらせたい」

 まるでオペラでも演じるような手振りで彼女は立ち上がった。

「このままダラダラ生きてても予定調和なレールを走って、終りを迎えるだけ。死にたくないから生きてる得るものない人生」

 直球な心情に結城は舌打ちが漏れそうになった。

 今さらこいつは何を言い出したんだ。わかりきったことじゃないか、焼け野原時代ならまだしも今時の中学生は自分達のおかれた現状を冷静に判断し、褪めた将来設計を漠然的とはいえ終えている。それを嫌だと夢物語に浸るやつを口では応援してるよと言いつつせせら笑うのが俺らの年代のコミュニティーだ。

「手っ取り早く殺人でもしてろ。少年法でそこまで深い罪にはならないし、少女Aをメディアは楽しく分析してくれるぞ」

 簡単に非日常が味わえるお手軽な提案だ。

「それも考えた」

 思わぬ切り返しにゾクリと粟立つ。

 引かせる為に言った冗談なのに、稲葉の瞳は本気だった。

「だけどせいぜい2週間ワイドショーを騒がせて、よくある犯罪の一つに仲間入りするのが関の山。どんな残酷な手段を用いても一過性な行動じゃ着飾った特別はすぐに剥がれる。それに誰かを傷つけるのはセンスがない」

「お前は何になりたいんだよ。そんな特別とやらに憧れるならアイドルにでもなったらどうだ?」

 結構いいとこまで行けるだろうよ、とは言わなかったが、わりかし本気だった。

「幸福とはなにか。なにをして喜ぶのか。わからないまま終わる。そんなのは嫌だ」

 どこかで聞いたことのあるリズミカルな発言だったが、あえて言及はしなかった。

「探して、考え、方法も手段も未だにでないけど、今こうして悩んでいる私自身の名前を、誰かに覚えていてほしい」

「つまりお前、俺に……」

「そうではなく」

 男心を弄ぶな、と結城は思った。

「書籍としてカタチに残るのは目的としては合致する。全国あまねく人間に『生きていた証』をたらしめる」

「なんでお前の名前を売るのに俺が手を貸さないといけないんだ」

「嬉しかった」

「は?」

「私以外にも、『特別』を探している、『変化』を求めているヒトがいたことが」

「おいおい一緒にすんなよ。俺が書いてたのは本当に暇つぶしで」

「結城となら、私は変われると思った」

 いきなりの恥ずかしいセリフに、次の弾として装填されていた文句が「んぐっ」と音をたてて喉の奥で暴発した。

「私とじゃ、ダメ?」

 やっぱり稲葉冥利は、男心をくすぐるのがうまい。

 ドライな性格とはよく言われるが、殊勝な彼女の声に、結城に残された選択肢は一つしかなかった。

「ま、やれるとこまで頑張ろうぜ」

 四組のヒマワリの言っていたことが、少しだけわかった気がした。


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