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すべて終わりのファーストキス


 教室とは不思議なものだ。見慣れた光景のはずなのに、夜の色が加わるだけでこんなにも違和感を感じるなんて。

 空気は異様に澄んでいる。まるで山の頂上みたいだ。人気がない校舎、イメージとしては深夜に近い。宿直の先生の見回りを心配する必要がないことだけが、現実との相違点だろう。

「起きろ稲葉、目覚めの時間だ」

 結城の声が教室に響いた。

 腕を枕に俯せて惰眠を貪る少女の姿があった。夜空に浮かぶ月を考えれば、当たり前のように思えるやもしれない。しかしながら、机に顔を伏せて寝ること事態、睡眠の取り方としては間違っている。

 夜はベッドで寝るべきだ。目覚まし代わりの声に反応を示さない彼女に結城は多少イライラしながら再度声をかけた。

「おきろ!寝坊助!」

 相変わらずなんの反応も示さない。稲葉にしてみたら寝ている夢を見ているようなものだから仕方がないのかもしれないが。

 仄かに射し込む月明かりに癒される事はなく、イライラが頂点に達した結城は、少女が腰かける椅子を蹴りあげた。

「きゃぁっ!」

 稲葉冥利は甲高い悲鳴をあげて飛び起きた。

「よーぅ、ようやくのお目覚めだなぁ」

 勘違いした田舎のヤンキーみたい声を間延びさせ、頭をポリポリとかく稲葉を結城は睨み付けた。

「……おはよう、ユーユー」

「単刀直入に聞くぞ、稲葉」

 挨拶に応えることなく、結城は続けた。

「お前、意識があるだろ」

「……」

 平坦なイントネーションは質問ではなく決め付けだった。稲葉はなにも言わず無表情のままだ。

「稲葉冥利の夢は他者を引きずり込む、行きすぎた矛盾は現実に影響を与える……。無自覚だったら相当脅威だよな」

「……」

「どうなんだよ実際」

 一度目を伏せてから、引き結んでいた唇を開き、稲葉は声をあげた。

「なんの話?」

「とぼけんな。お前の夢の話だよ」

「根拠は?証拠は?考拠は?」

「……まぁ、そんなものないけどさ」

 隣の席に腰を下ろし、頬杖をつく。

「出来すぎだとは思わないか?目の前にいるお前にしても呑み込みが早いしな」

「それは私があなたのイメージの具現化体だから」

「まあ、いいさ。証拠は無いが考拠はある」

 視線の先の稲葉は逃げることなく真っ向から向き合っていた。

「始めて夢に取り込まれたとき、そのときもお前はここで机に伏せていた」

「へえ」

 稲葉はとぼけたが、結城は気にせずに続ける。

「アイスピック男を無理矢理終わらせることができたのも、お前が夢の中の俺を見ていたからだ」

「……」

「何年前だが奈黒町で起きた事故はお前が原因だと聞いたが、実際はどうなんだよ?」

 少しの間無言になったが稲葉は申し訳なさそうに微かに目線を下げて、続けた。

「……あれは、確かに、私のせい。弁解する気はない」

「聞いた話と違うな。お前は一種の記憶喪失だかで、その時のこと、なんも覚えてないんじゃないのか?」

 返事を促す結城の視線に根負けしたのか、その小さな唇を開いた。

「私はユーユーが造り出した虚構だから、あなたが臨む受け答えしかしない 」

「はっ、だったら今ごろお前はスッポンポンだ」

 目を丸くした彼女を無視する。

「正直に答えろ、稲葉。自分の夢が厄介事だってこと、十二分に理解してるはずだろ」

「……」

「俺は自分が登場しない夢なんて滅多にみない。自分自身が主人公なんだから。お前はどうなんだよ?」

「……ごめんなさい」

 呟くみたいに稲葉は謝った。

「本当に最近になってだけど、気がついたの」

「ほう」

「きっかけは始めて会った桃ちゃんに既視感があったこと。初対面だと言っていたのにユーユーとは同じ委員会だという矛盾。事故のことはうっすらだけど原始記憶としてあった」

 桃は図書委員じゃないし。

「全部を踏まえてなんとなく変だなー、って」

「それで?」

「それから何回か夢みて、想像はついたけど、嘘偽りなくいうなら、今もそんなことありえないと思ってる。このユーユーは私が造り出したユーユーなんじゃないかって」

「まあ、普通そうだよな」

 おれも信じるまで時間かかったし。

「でも、俺はここにいる」

 訴えかけるように瞳を真っ直ぐ見つめる。稲葉は恥ずかしそうに視線を逸らした。

「それはそうと、昼間はすまなかった。ただの八つ当たりなんて、みっともなかったよ」

「悪いのは全部私だから、謝るべきも、この私」

 謝罪することができて、胸のつっかえが取れた気がした。

「でもなんでアイスピック男なんだ。殺されかけたし、つうか桃は大丈夫なのか?」

「桃ちゃんなら、平気。私が保証する。なんでアイスピック男なのかは私もわからない」

「はぁ?なんでだよ、お前の夢だろ」

「自分でみたい夢を操れるわけないよ、ユーユー」

 クスリと彼女は微笑んだ。

「それにしても、」

 その笑みがなんとも言えず魅力的で思わず、ドキッとしてしまった結城は動悸を誤魔化すための無理矢理話題の転嫁を試みた。

「いつになったらこの夢は終わるんだ?ヒマワリは10分周期くらいで睡眠にはリズムがあるって言っていたが」

「いやがうえにも起床すれば夢は終わる」

「ならさっさと起きろよ。稲葉」

「ユーユーは早く夢を終わらせたいの?」

「まぁな。ヒマワリとかに心配かけてるから無事を報告しなくちゃなんないし」

「私はできるだけ長く夢を見ていたいけど」

「なんでだよ?」

 めんどくさいだけだろ、と続きの言葉をあげる前に稲葉のほうが先に口を開いた。

「だって夢の中なら私は特別だし、……なにより、誰もいない世界に二人きりというのはえもいわれぬ高陽感がある」

「それは確かになぁ」

 納得がいったように首を上下させる。静まり返った夜の教室はそれだけで自らが世界の支配者になったように感じさせられる。たとえそれが虚しい世界の幻とわかっていようともだ。

「でも、ユーユーが終わらせたいのならそうしよう」

「いや別にほっといても終わるだろうからあせる必要はないんだけどな。……ん?終わらせられるのか?」

「区切りがつけば、物語は完結する」

 ヒマワリだかが言っていた言葉の引用のように感じられた。

「それだったらアイスピック男を倒して終わりだろ?まだ延長してんのが甚だ疑問だわ」

「ユーユー、世界はもうすぐ終るよ」

「そりゃわかってるけど、どうやったって、」

 言葉が最後まで紡がれることはなかった。唇が柔らかな感触で塞がれたからだ。

「んっ」

 暗闇で映える彼女の決め細かな肌が仄かに桜色に染まっているのがわかった。暖かな吐息が不快感を伴うことなく、結城の頬に優しくかかる。

 唖然としていいのか、呆然としていいのか、脳が燃え上がるような混乱に襲われたところで、結城の唇は解放された。

「えへへ」

 照れ臭そうに唇を舐め、稲葉は目を丸くしたまま固まる結城に言葉をかけた。

「もしかして、ファーストキスだった?」

 物語の終わりをフレンチキスで飾りたい、といっていた稲葉の言葉を思い出しながら、曖昧に頷く。

「ん、あぁ」

「安心して、夢の中だからノーカウント」

 いや、俺は数えるよ

 結城がそう声を張り上げる前に、視界は沸々と歪み、気がついたらベッドの上で、自室の天井を眺める自分がいた。


 やられた。

 いろいろと、してやられたな。


 残った気力で点滅するケイタイを手繰り寄せ、着信履歴に残るヒマワリの電話番号を選択する。アイスピック男に壊された携帯電話だが、破壊は夢の中だけで現実に影響はなかったらしい。もし壊れたままなら冥利に謝罪と賠償を要求するところだ。数回のコール音の後、キンキン声が鼓膜を刺激した。

『もしもし!!ユーユー、無事!?』

「……わりかし大丈夫です」

 耳から数センチ話すくらいがちょうどいい音量でヒマワリは語気をあらげている。

『冥利ちゃんが、保健室で見つかったんだけど、ナニがあったの!?私たちが質問してもはぐらかされるだげで答えてくれないし、冥利なんだかふにゃふにゃしてるし』

「色々あったんだよ」

 たち……ということは、桃ちゃんはヒマワリの近くにいるらしい、それがわかれば安心だ。

 疲れがどっと身体を休めるように囁きかけてきている。時計をみれば放課後を迎えたばかりの時間帯。さっきまで真っ暗闇で格闘をしてたなんて、夢のようだ。……夢なんだけど。

「ともかく俺は無事だから」

『あっ、ちょっと、ユーユー!』

「桃ちゃんにもよろしく」

 まだなんか喚いていたがすべてをシカトし、安寧とした睡眠を貪ろうと結城は枕に顔を埋めた。

 巡る血液が沸騰するように、耳まで真っ赤にしていたが、一度眠ればいくらかましになるだろう。









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