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帳のなかて

 月は出ていない。街灯の光だけがたよりだ。

 短距離走のペース配分を考えない勢いのある足音のみが響く。二酸化炭素に混じって全てを吐き出すように、結城は闇夜を駆け抜けた。

 追跡者はまけたらしいが、それでも安心はできなかった。

 アイスピック男のことは俺が誰より知っている。

 だってあいつは、自分の想像上の人物のだ。

 早鐘に変化した心臓と荒い呼吸を整えるため、電柱に崩れるようもたれこんだ。小説の中のアイスピック男は、怪人の例にもれず、神出鬼没に設定している。厄介だ、と頭を抱えても、何事も好転することはない。

 実際に命の危険に晒されているのだ、冗談ではない。

「稲葉だ」

 解決案は直ぐに浮かんだ。

 そもそもこの夢(現実にしか感じないが)は、稲葉冥利が結城の自作スプラッタホラー小説に感慨を受けて構築されたものだ。ならば、脱出の鍵は誰がどう考えても彼女が握っている。

 それに、事態はまだ最悪というわけではあるまい。

 稲葉の夢ならば、桃や日向が助けに来てくれるはずである。

 あいつらならば、経験則としてエマージェンシーの対応も抜群だろう。

 助け船が遅いのはちょっと喧嘩中だから、に違いない。いつもの感じと違うのも、彼女たちなら訳を知っているやもしれん。

 早く助けに来てくれよ……、結城が情けないため息をつくと同時に、ポケットがバイブレーション機能で小刻みに震えた。

 音に驚きながら、慌てて画面表示をみてみるとディスプレイには番号だけが表示されていて、未登録の着信であることを知らせていた。 いくらかけても繋がらなかった電話機能、このチャンスを見逃すことは出来ない。

 一抹の不安を感じながら、結城は通話ボタンを押した。

「もしもし」

『ユーユー?ユーユーだよね?』

「向日葵……?ああ、そうだ、俺だよ」

 安心の声が出そうになるのを必死でこらえて、結城は、電話の向こうの少女に感謝した。

「あれ、つうかお前何で俺の番号知ってるの?」

『細かいことはいいんだよ!それより今どこにいるの?』

 連絡先を交換した記憶はないが、電話番号ぐらいクラスメートに尋ねればすぐだろう。

「稲葉の夢の中にいるっぽい。早く助けに来てくれ、厄介な状況なんだ」

 一瞬電話向こうで息を飲む音が聞こえた。

『あー、やっぱり』

「やっぱりってどういうことだよ」

『あたしたちにも状況がよくわからないんだけど、ユーユー、どうやら夢に干渉するのが難しいみたいなんだ』

 戸惑いが、声に滲む。

「どういう、ことだ」

『いい、落ち着いて聞いてね』

 短く前置きしてから彼女は続けた。

『今回の夢は今までのそれとは密度が違う、少なくとも奈黒町のやつと同レベかそれ以上、……手に負えない』

「おいおいおい、ほんとにやめてくれ。今までのことは全面的に謝るから。ドッキリだろ、な?」

 人並みのプライドは持ち合わせているつもりだが、結城はすでに涙声だった。

『あたし達もベストを尽くすからもう少し待ってて!出来る限り早く助けに行けるよう努力するから』

 気休めにもならなかったが、かといって怒鳴り付けるのは筋違いだ。曖昧に頷くことしか出来ない。

「そうだ。稲葉を叩き起こしてくれ!そうすれば、」

『まず、こっちの状況を説明するね』

 昼間のことを怒ってはいないようだが、早口な彼女の言葉に結城は耳を傾けるしかなさそうだった。

『昼休みくらいかな、冥利、気分が悪くなったらしくて保健室にいくことになったんだ』

「……」

 ガキみたいな理由で稲葉冥利を傷付けて、逃げるように早退したあとの状況。別れ際の困惑した表情がまざまざと思い起こされる。

 悪いのは、全部、俺だ。

『あたしと桃ちゃんは見舞いがてら様子を伺おうと彼女が寝ているベッドを訪れた』

 ためるように息を一回切った。刹那の沈黙が、耳障りな静寂を植え付ける。

『だけど、冥利の姿は保健室になかった。養護教諭に話を聞いても早退した記録はないし、学校中を探し回ったけど、彼女の姿は見当たらなかった』

「つまり、行方不明ってことか?」

『失踪したんだよ。ただいま目下捜索中。外履きが下駄箱にあるから校内にいるとは思うんだけど』

「俺が夢に巻き込まれてるってことは、あいつどっかで寝てるってことだよな?」

『それを予想して、干渉を試みたけどうまくいかなくて……。卵の殻をイメージしてもらえれば解りやすいんだけど、ユーユーを束縛している夢はアクセスが易々とできないくらい密度が濃い。これだけ質量のある夢、原因に何か強い精神的要因があるはずなんだ』

 時計の止まった時刻が、ちょうど昼休み終わりくらいなのを思い出す。同時に、その精神的要因の心当たりを彼は得ていた。

『ユーユー、それでそっちはどういう状況なの?』

「あ、あぁ、俺は」

 結城は自らのおかれた状況を端的に伝えた。胸にできた後悔という名のしこりを誤魔化すよう、言葉だけがスラスラと出てくる。

『なるほど、それは驚異だね』

 自分の造り出した殺人鬼に命を狙われる信じられぬ状況、聞き終えた日向はそう言ってから言葉を続けた。

『そのアイスピック男を読んだことないからなんとも言えないんだけど、ユーユーの作った話なら誰よりもユーユーが詳しいはずでしょ? 』

「そうだが、しかし」

『だったら大筋通り完結させればいいんだよ。モデルが存在してる時の夢はストーリー通りにすればいいから楽なんだ』

「……」

『どしたの?黙りこんじゃって』

 ホラーというジャンルすべてに言えることだが、物語の完結が常にハッピーエンドとは限らない。

 アイスピック男も、最期は主人公の善戦虚しく残虐なラストに飾られている。

『だから、例えばさぁ、主人公が手にしてた武器を使ってそいつを倒せばいいんだよ!再現すりゃいいのさ、簡単でしょ』

 そんな彼の気を知らず、日向は至って明るい声を上げた。

『でも注意してね、いくら夢だからといっても傷付けば、現実のユーユーも同じところに傷を負う確率が高い。とくに、冥利の念波は脳の誤作動を引き起こし、一種のブレインロックを』

「だぁぁー、さらに生き残り難易度をあげんなぁ!」

 ジョークみたいな言い回しとは裏腹に状況は切羽詰まっていた。

『え、だけど、ストーリーに矛盾を起こさない程度に行動すればいいだけだよ』

「そうはいかないんだ、もしそんな行動とっちまったら、俺の命は、」

 頭上で、がきんと甲高い音がした。

 言いかけた言葉を唾とともに飲み込むと、冷や汗がどっと吹き出した。恐る恐る目線をあげると、白い光に反射するアイスピックが、電柱に深々と突き刺さっていた。

 しゃがんでなければちょうどこめかみにあたる部分に、小さな穴が開けられている。柄は一本一本が太い指に握られていて、野犬の唸り声如く呼吸音が耳をついた。

「でやがったぁぁぁ!」

 慌てて立ち上がろうとするが、休息を甘受していた足はすくんでうまく動かず、彼は無様に前のめりになって転んでしまった。弾みで携帯を落とし、存外大きな音が静けさに支配された住宅街に響き渡る。

 背後に迫るアイスピック男は、悠々と電柱から、突き刺さった凶器を引き抜くと、包帯の下の唇を醜く歪めた。

「ないないない!」

 結城は腹の底から叫んで後退りを必死で行う。

「ないないないない!」

『何があったのユーユー、だいじょ』

 アイスピック男は地面に転がった結城の携帯電話を突き刺した。ヒビが入った端末は再起不能を物語っていた。

「誰かを傷つけるのはフェアじゃないって、お前言ってたじゃんかよぉっぁ」

 しゃがみこんだ男の隙をついて結城は立ち上がり、創造主たる少女に文句をたれながら脇目も降らず走りだした。

 夢の中では思うように体が動かず、もどかしい思いをするのが一般的ではあるが、稲葉冥利の世界においてはその限りではないらしい、煩わしさは感じなかった。

 体力に自信はないが思いっきり走ることができる。

 せめてもの救いは前述の通り、敵となるアイスピック男の足を遅く設定していること。これは単にゆっくりとした相手の方が読み手の恐怖を煽ることができるから付加したものだが、こうなることがわかっていたなら、火に弱いとか水に弱いとか蒟蒻が切れないとか、そういった分かりやすい弱点を付け加えればよかったと、結城は後悔した。

 走りながら必死になって作戦を練る。

 ストーリー通りに完結させるのは簡単だ。死んでやればいい。

 それが叶わないなら、思考を巡らせるしかない。完結のヒントとして、大まかなストーリーを思い出す。

 小説の中の主人公、孤独に相対する少年は、家族を奪われ、自身もまたターゲットに含まれていることに恐怖を抱いている。一方で、復讐を誓い、謎を解明しながら、アイスピック男と向き合う、大まかな流れがこれだ。

 最期はあと一歩というところを爪を誤り、無惨なラストを迎えることとなる。

「そうだ、消火器!」

 1つ思い出したことがある。物語の後半、学校に追い詰められた主人公は校舎備え付けの消火器で、アイスピック男を一度撃退していた。すなわち、消火器という武器は、有効的な手段だということを示している。

 辺りは住宅街で、消火器を見つけ出すのは骨が折れそうなので、気乗りしないが結城は舞台通り羽炉中学に足を向けた。学校ならば、広いぶん存分に逃げ回ることができる。


 昼間の見慣れた光景とは対照的に街灯の灯りが届いていない夜の校舎は、暗闇に溶ける不気味な存在感を漂わせていた。校門を乗り越え、エントランスに向かう。警備システムは予想通り稼働することはなかったが、最大限の注意を巡らせて、玄関のガラス扉に近づく。

 夢の中とはいえ不法侵入している後ろめたさを、在校生だから、と言い聞かせ、扉に手をかける。

「あれ」

 施錠されていて、開けられなかった。

「畜生、変なとこリアルに設定しやがって」

 ため息をついて、別ルート探索を脳内で開始した直後、墨汁を垂らしたように黒い校庭の真ん中に、何者かが立っているのを視界におさめた。ゆっくりと近づいてくる大柄の男、アイスピック男だ。

血の気が引く。校門から出るにはアイスピック男とすれ違わなければならない。退路を断たれたのだ。

 慌てて扉をガチャガチャさせるが、ドア開くことはない。

「おいおいおい!稲葉ぁっ!」

 アイスピック男はじょじょにその距離を縮めている。

「開けろよぉ!てめぇ、俺がわるかったからよぉっ!」

 裏口までいく時間はないし、校舎に侵入する別のルートを思い浮かばない。万事休すだ。

「開けゴマ!アブラカタブラ!アロホモロ!稲葉の心の扉にアバカムっ!」

 扉は開かない。ガラス戸といえど、割っている間にアイスピック男の餌食になってしまうだろう。

「ちくしょう!」

 惨めすぎる人生の終わりに、悔し涙が、瞳に滲む。

「こんなとこで、謝ったって……」

 力が抜ける。

「俺は、現実のお前に謝りたいんだ」

 ズルリと扉にもたれかかる。アイスピック男はもう目の前だ。

「屑みたいな、幕切れだったな」

 いまわの言葉は偽ることのない彼の本心だった。ズタズタにされたプライドを、取り戻すため少女の心をもてあそび、挙げ句八つ当たりをおこなって、彼女からの復讐の檻に入れられる、自業自得としか言い様のない。

「稲葉、ごめん……」

 届くことのない謝罪を行った途端、背もたれにしていた扉が開き彼は勢いよく、校舎のなかに転がり込んだ。

「ぬわぁっ!え?開いた?アバカムが効いたのか!?って、うおっ!」

 感傷に浸る暇をあたえず、アイスピック男も扉を押し開け校舎に侵入してきた。

 鬼ごっこが再開したのだ。結城は涙を拭って、廊下を駆け抜けた。





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