夏がくる前に
いまいちジャンルがわからない作品ですが、どうぞお願い事致します。
梅雨明けを迎えた天気は目が眩むくらい輝いていて、開け放たれた窓から夏の気配がゆったりと流れこんできていた。ほんの小一時間前、喧騒に支配されていた教室は、夕刻をむかえ不気味なほど静まりかえっている。
「ドッキリならさっさと言えよ」
理路整然と並ぶ机、上履きの黒ずみが残る通路、それらを挟んで制服姿の二人の男女が向かい合って立っていた。
先制攻撃のようにトゲのある語調で口を開いた少年、結城裕也は自他ともに認める平凡な人間だ。これといった特技はないし、スポーツに恵まれた体格や何か秀でた才能も、授かることができなかった。趣味は読書や映画鑑賞とありがちで、成績や学校生活等、すべてに置いて並な評価を受けてきた。卒業後は誰の記憶にも留まることなく在籍記録はただのデータになりはてるだろう。
生きてきた14年で最も目立ったエピソードは、小六の修学旅行を風邪をこじらせ欠席し、卒アルに別窓が添えられた事くらいだ。
そんな箸にも棒にもかからない人生を歩んできた彼の下駄箱に一通のメモが置いてあった。女子特有の可愛らしい丸文字で『放課後教室に残ってください』。
モテるようなタイプではないし、顔立ちもこれといって誇れるものではない、人生に三度訪れるというモテ期は胎児の頃に終えているわけで、このメモがラブレターでないことくらいとうに見破っている。
分析を数秒で終わらせた凡庸な一中学生にすぎない彼は、なんやかやで教室に居残るという選択肢をとっていた。
「ドッキリ?」
首を傾げたクラスメート、稲葉冥利は優等生だ。丸みを帯びた柔らかな頬、目鼻口一つ一つのパーツが均整に配置されていて、端正な顔立ちは人を引きつける魅力に溢れていた。その一方で特定の人と長く絡むことはなく、宙ぶらりんな存在として二年一組の生徒から認識されていた。
「下駄箱のメモ、稲葉が入れたんだろ」
「うん。来てくれて良かった」
「だったら早く言えよ。俺だって暇じゃないんだ」
「用事あるの?」
「いや、なんにもないけど……」
放課後の教室には稲葉冥利と二人きりというイベントが配置されていた。青臭い青春劇が始まるような鼻の頭が痒くなるシチュエーションだ。
しかしながら懐疑主義者を自負する結城には、彼女の後ろの掃除用具入れが開いて馬鹿な友人が飛び出してくる可能性を捨てきれずにいた。
稲葉冥利の捉えどころのない雰囲気はミステリアスと称され、実際男子からの人気も相当数ある。隠れファンを多く獲得している少女が、俺みたいな日陰者に裏心なしに声をかけるとは考えづらい。
「やっぱり人前でこういう話をするのは気が引けて」
看板持ってドッキリでしたー、という気配はないが、結城は未だに猜疑心を拭えずにいた。
「1ついいか?」
煮え切らない態度に、とぼけてみるのもパターンとしてはアリだが、鈍感を気取らずストレートに終わらせて、イタズラだった時の心のダメージを少なくしようと彼の唇は迅速に動いた。
「告白だよな?」
「こくはく?なんの?」
「いや、だから、愛の……」
「え?」
「ち、違うのか?」
「あ、そっか、あの書き方じゃそんな風にもとれるのか。えっと、わざわざ残ってもらったのは告白する為ではなく」
「じゃあな。窓閉めとけよ」
傷ついた心を隠そうと一歩さげた右足を軸に、綺麗な回れ右する。体育教師がこの場にいたら、教育の賜物だと泣いて喜んだだろう。
「ちょ、ちょっと待って」
立ち去ろうとする彼の背中に、稲葉は声をかけた。
「話は終わっていない」
「付き合ってほしい、ってわけじゃないんだろ」
「うん」
「……」
蝉時雨にはまだ早い向暑の夕暮れ。気のせいとはわかってはいるが耳にヒグラシの切ないメロディーが響く。
虚しく肩を落とす結城に、稲葉は微かに口角をあげ一冊の薄橙色のノートを差し出した。
「これ」
「あ」
見覚えのあるかすれた表紙。視界に収めた途端、顔に熱がのぼる。彼にとって、それはある種の爆弾だった。
「な、なんで……?」
「前々から気になっていた。反応を見るにビンゴみたい」
「まじかよ」
A4サイズで罫線が入ったオーソドックスな学習用ノート。名前欄は空白になっているが、今週のはじめ無くした結城裕也の所有物に間違いない。
「ああ、俺のだ」
耳まで赤くし、彼女の手からノートをひったくる。
中には自作の小説が長々綴られていた。
連続殺人鬼アイスピック男に孤独な戦いを挑む少年の話だ。構想プロットオール無し、ただ思いつくままにシャープペンシルを動かした、作品と呼ぶに呼べない代物、授業中の手慰みだ。
視線を合わせぬようパラパラと捲りながら、結城は精一杯平静を装った。
「ひょっとして読んだか?」
「うん。面白かった。ただあのラストはないと思う」
「うるせぇ、めんどくさくなったんだよ」
「そこが少し残念だったけど、差し引きしても余りあるプラス、とても楽しめた」
てらうことのない真っ直ぐな評価に言葉を失い、彼は唇を引き結んだ。
あまりの恥ずかしさに脳内で悶える彼の裾がちょんと引っ張られる。無意識のうちに帰宅しようとしていたらしい。
「もう少しだけ話を聞いて」
「……ノートサンキューまた明日、これでいいだろ?」
「私は落とし物を届けるためだけに、あなたに残ってもらったわけじゃない」
同じクラスになって2ヶ月ほど経つが、元の面識なんてあってないようなものだ。互いに顔見知り程度の仲で、それ以上も以下もない。
「1つ頼みがある」
彼女は少しだけ強張った声で続けた。どうやら緊張しているらしい。
「今から私と一緒に小説を」
「嫌だぞ。絶対に嫌だ」
「まだ最後まで言ってない」
「俺のノートからの話題なんてロクなもんじゃない。そうだろ?」
「二人でアイデアを出し合って小説コンクールに応募しよう」
「ほらろくでもない」
嘆息ぎみに結城は呟き出口に向かって歩きだした。
「あのノートを読んで確信した、結城には文才がある」
かん高い声でこっ恥ずかしい誉め言葉を高々と言い放つ。人気がないのがせめてもの救いだ。
「私にはないアイデア、構成、キャラクター、どれをとっても引き込まれるものだった」
「お為ごかしはよせ。ヨイショしたところで協力はしないからな。かったるい」
「違う、埋めるには勿体無い才能だと思った。読んでもらいたいからあの小説を書いたんでしょ?」
「ただの暇つぶし。そもそも下手に他人に手垢つけられるより、最初から自分だけで頑張ったほうが完成の喜びも一入だろうぜ」
結城は彼女を無視し、ドアに手をかける。これ以上話をしていても埒があかないと判断したのだ。
ドアを開ける前に、無言になっていた稲葉冥利は静かだが語気のある声を上げた。
「世の中に発信者と受信者という二種類の人間がいる。私は生っ粋の読者だから、一人では書き手にはなれない」
「どういう意味だ」
「読めば読むほど、自分に心がないと浮き彫りにされた。私には文才がない」
「頑張れ。努力でカバーしろ」
冷たく言い放たれたが、彼女はたじろぐことなくピシッと背筋を伸ばし、選手宣誓のような朗らかさを持って彼の瞳を真っ直ぐ見つめた。
「あなたの文章は私の心に確かな感慨を芽生えさせた。結城裕也には筆力がある。発展途上だけど人が書けない文章とアイデアを持っている、協力をお願いしたい」
誉められて悪い気になる人はいない、とはいえ慎重に対応しなくてはならない事柄だと揺らぐ心を冷静に見つめ返す。
「断る。お前の気の迷いに付き合ってやるほど、俺の度量は深くないんだ」
「さすがに一筋縄ではいかないか」
思い通りに事が運ばなかったから不機嫌になった、というわけではなさそうだ。小さく息を吐いて稲葉冥利は独り言を言うようにぼそりと呟いた。
「予定では喜び勇んで賛成してくれるはずだったのに」
率直な意見を鼻でせせら笑う。
「ありえん。そんな軽く見られてるなんて心外だな」
「やった、女の子と会話するなんて一年ぶりだ!はい協力します!みたいな」
いままでの会話で一番明るい声をだされ、一瞬身動ぎ出来なくなったが、それが人を小バカにした演技だと気付いて微かにトサカに来るものを感じた。
「お前は俺をなんだと思ってるんだ?人を敬う気持ちが感じられん」
「あなたは人間味が少しだけ薄い。真心が足りない」
「どっちがだ」
呆れを吐き捨てるように、再び教室のドアに手をかける。
くすんだ白い扉を開け、オレンジ色の日差しが差し込む廊下に歩みを進める。「待って、もう少しだけ」
敷居を跨ごうと足をあげたところで呼び止められ、嫌々ながら無視するわけにもいかず、鼻で息を吐きながら足をゆっくり下ろす。
「どれだけ頼まれようと返事はノーだ。人のノート勝手に見といて押し付けがましいと思わねーのか」
「仮にも落とし物届けて上げたのに」
「感謝してはいるが恩着せがましいとは思わねーのか」
「文脈がちょっと変わっただけじゃない」
蝉はまだ土の中で気合いを溜めていて、辺りは静けさに支配されている。静寂を切り裂く少女の華やかな声、乗り気はしないがしつこいと一蹴するには忍びなかった。廊下を背に振り向く。
「んじゃあと一分だけ話きいてやるから、それで諦めろ」
言い分に耳を傾けるだけで、賛同する気は微塵もなかった。
「ありがとう。結城、私といっしょに小説を書こう」
「だから嫌だって言ってんだろ!人の話きけ!せめて言い方を変えるとか工夫しろよ!」
怒鳴られたのに気にする風もなく、「んー」と上目づかいでなにやら考えていた彼女はやがて握り拳を手のひらをぽんと受け止める古典的アクションをとってから口を開いた。
「一つ提案がある」
「ほう」
楽しそうな声をあげ人差し指をピンとたてて結城の眼前に近づけた。
「ゲームをしよう」
一瞬の沈黙に微かな色があることに気がついた。プラスバンド部の演奏が遠くサンクガーデンから確かな音を風に乗せて二年生の教室まで届かせている。 テッテレー。それはさながらドラえもんが秘密道具を出した時の音に似ていた。「ゲーム?なんのゲームだ?」
かくれんぼ、鬼ごっこ、缶けり、ドロケイ、身体を使った懐かしの遊びから最新のテレビゲームまで、脳内をぐるぐ
ると単語が巡る。
「負けたら勝者の言うことをなんでもきく」
「よしやろう」
即断即決だった。
「……さっきまでの断固とした拒絶の態度は?」
「グダグダうるせぇな。ルールは?」
曲がりなりにも相手は美少女と名高い稲葉冥利。クールな態度を取りながらも思春期少年にはいささか刺激が強すぎて、自制心に悶々とした感情が一瞬だけだが勝ってしまったのだった。
「ルールは古今東西ゲーム。テーマに沿った回答をリズムに合わせて交互に言い合っていく」
「ふうん。お題は」
勝った時、どんな命令をしようか。口調は冷静だが脳内は不純物に溢れていた。いかがわしい妄想は男子中学生の常である。
「うん。……よし」
また手のひらを叩き合わせてから続けた。
「虹の色にしよう」
「……」
彼はあくまで冷静だった。
「それじゃ私から。赤」
「おいちょっと待て」
タイムにたじろぐ。
「な、なに?リズミカルにやらないと失格だと言って」
「七色じゃ全部言ったって絶対先行が勝つじゃないか」
「ち、小さい事にこだわるね」
「人を舐めくさるのも大概にしろよ。やってられるか」
稲葉は結城を勝ち目のないゲームに乗せ、小説を書かせたいらしい。それを看破した彼が彼女の口八丁に付き合うの危険極まりないだろう。
「文化や時代によって虹の色は数は変わり、沖縄では二色だし、七色と決め込むのは紋切り型というか」
なにやらグダグダ言っている彼女を無視して、十字架のような窓枠の影が落ちた廊下に歩みを進める。
「待って、ラス1」
ここまで来るとさすがに疲れてくる。
「しつこいな。気まぐれタイムは終了したの。ちょうど一分位だしな」
彼の後に続いて稲葉も廊下に飛び出た。
「春の七草で勝負」
結城は無言で振り向いて、三白眼がちの目つきを輪をかけて悪くした。
「うっ、あ、秋の七草」
「黙れ」
「ギニュー特撰隊!」
「帰れ!」
彼の一喝を涼しい顔で受け止めた稲葉は徐々に小さくなって行く彼の背中に声をかけた。
「今日1日考えて明日また返事をちょうだい、それでダメなら諦める」
全く災難だ。
結城は小さくため息をついた。美人につきまとわれるのは嬉しいが、相手がぶっ飛んでるとなると話は違う。
窓の外には夏に向かって赤色の飛行機雲が真っ直ぐに伸びていた。




