第3節:『赤の衝動』
灰色の荒野を走り続けて、三日が過ぎました。変わり映えのしない景色と、絶え間ない振動。燃料計の針が半分を切り、私たちの疲労がピークに達した頃です。
視界の先に、赤茶けたレンガ造りの廃墟群が見えてきました。
地図によれば、そこはかつて鉱山労働者たちが暮らしていた集落の跡地。ここを抜ければ、目的地の「赤の炉」まではあと少しのはずです。
「……おい、止まれ。様子がおかしい」
キキーッ、と不快な音を立てて、『鉄の柩』が急停止します。
ガラス越しに見た光景に、私は息を呑みました。
廃墟の影から、ぼろ布を纏った人々がわらわらと湧き出してきたのです。その手には錆びた鉄パイプや、石塊が握られています。彼らの目はぎらぎらと充血し、口元からは泡を吹いていました。
ただの盗賊ではありません。「色」に飢え、理性を失った人々です。
「ちっ、人間崩れが待ち伏せかよ。数が多すぎるな」
舌打ちをしたヴェールさんが腰の短剣に手を掛けました。
ガン! ガガン!
暴徒たちが投げた石が、車体に当たり始めます。硬い金属音が響くたび、リアが「ひっ」と短く悲鳴を上げて耳を塞ぎました。
「マシロ、お前はリアを見てろ。俺が追い払う」
「ま、待ってください! 一人じゃ無理です……!」
「無理でもやるんだよ! この車を囲まれたら終わりだ!」
ヴェールさんは怒鳴ると、扉を蹴り開けて外へと飛び出していきました。
瞬時に数人の暴徒が彼に襲いかかります。ヴェールさんは短剣を振るい、器用に攻撃を捌いていきますが、相手は痛みを感じないかのように次々と押し寄せてきます。
――ダメ。このままじゃ、押し潰される。
いつもなら、アイゼンが前に立ってくれた場面です。どんな攻撃もその分厚い装甲で弾き返し、私やリアには指一本触れさせなかった。でも、今はいない。私の前に立ってくれる「盾」は、どこにもないのです。
(私が……私がやらなきゃ)
恐怖で震える足に力を込め、私は外へ出ました。熱い風が頬を叩きます。
一人の暴徒が私に気づき、奇声を上げて飛びかかってきました。錆びた斧が振り上げられます。
「あ――」
その瞬間、思考が真っ白になりました。怖い。死にたくない。いつもなら、ここでアイゼンの背中に隠れられた。でも、今はいない。
(嫌だ、死にたくない。まだアイゼンに会えていないのに)
振り下ろされる錆びた刃が、永遠のようにゆっくりと迫って見えました。引き伸ばされた時間の中で、私の恐怖は、針が振り切れるようにして別の感情へと反転しました。
それは、身を焼くような、熱くてどろりとした「拒絶」でした。
――邪魔だ。
私の邪魔をしないで。私の旅を終わらせないで。
どけ。消えろ。いなくなれ。
溢れろ。
「来ないでぇぇッ!」
私は悲鳴と共に、右手を突き出しました。
「治したい」なんて思う余裕はありませんでした。ただ、目の前の恐怖を押し退けたくて、全身の血が沸騰するような感覚のままに力を叩きつけたのです。
ドクン、と。
私の掌から、いつもの優しい光ではなく、禍々しい深紅の奔流が溢れ出しました。
「ア、ガ……ッ!?」
暴徒の動きがピタリと止まります。
燃えたのではありません。吹き飛んだのでもありません。私の「赤」が、彼の身体に侵入し、強制的に満たしたのです。
ひび割れた血管に、萎縮した細胞に、許容量を遥かに超えた「過剰な生命力」が、暴力的な勢いで注ぎ込まれました。コップにバケツの水を注げばどうなるか。答えは、決壊です。
ボコォ、ボコボコッ!
異様な音が響きます。暴徒の皮膚が内側から赤く波打ち、風船のように膨れ上がりました。受け止めきれない「色」の圧力に、肉体が悲鳴を上げたのです。
「あ、あ……」
暴徒の目が飛び出し、何かを言おうとして――。
パァン!
乾いた破裂音と共に、その肉体が弾け飛びました。血と肉片が花火のように撒き散らされ、私の頬や白い服を赤く汚します。破壊ではありません。それは、器の限界を超えて中身を詰め込みすぎた結果の、無惨な自壊でした。
「……え?」
私は、自分の手と、目の前に広がる惨状を見比べました。レンガの壁も、飛び散った肉片も、余波を受けた地面も、すべてがドロドロに溶け崩れています。
襲いかかろうとしていた他の暴徒たちが、恐怖に顔を引きつらせ、蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。後に残ったのは、私の荒い息遣いと、肉が焦げるような甘い匂いだけ。
「……おい、マシロ」
煤だらけになったヴェールさんが、呆然とした顔で私を見ていました。その瞳に浮かんでいたのは、安堵ではなく「畏怖」の色でした。
「お前、今のは……」
彼の言葉に、私は震える右手を見下ろしました。
黒い痣が、以前よりも濃く、禍々しく脈打っています。
私が、やったの?
ただ「来ないで」と願っただけで、人がこんなふうに壊れてしまうの?
恐怖で足がすくみそうでした。
けれど、心のどこか奥底――「赤」が脈打つ場所だけが、痺れるような高揚感に包まれていました。もっと焼きたい、もっと壊したい、というおぞましい渇望が、胎動のように疼いていたのです。




