第2節:砂の味、小さな友人
ガタガタッ。
入り口のトタン板が揺れる音で、私は現実に引き戻されました。アイゼンの指先を磨き始めて、どれくらい経ったでしょうか。崩れた天井の隙間から差し込む光は、もう夕暮れの鈍色に変わり始めています。
「マシロ。起きてるか?」
低く、少ししゃがれた声と共に現れたのは、一人の少年でした。煤けた頬に、継ぎ接ぎだらけの服。伸びかけの髪をかき上げながら、彼は足音を立てずにこちらへ歩いてきます。
「……テオ」
「また磨いてんのか。……そんなに大事なのか、そいつ」
彼は呆れたようにため息をつきました。テオ。背丈は私より頭一つ分低いけれど、その鋭い眼差しは、12歳という年齢よりもずっと大人びて見えます。一年前、ここで行き倒れていた私を見つけてくれた、命の恩人であり「共犯者」です。
他の村人たちは、私に近づこうとしません。
塔から落ちてきた「不吉な白い髪」。そして何より、背後に鎮座する鉄の巨像が、眠っていてもなお放つ「生物を拒絶する重圧」。
それらが、私をこの無法地帯で皮肉にも守る「結界」になっていました。
平気でこの結界をまたいでくるのは、テオくらいのものなのです。
「飽きたりしません。これは、大事な日課ですから」
「で、そのデカいの……まだ動かないのか?」
「……まだ、寝ているだけです」
私がむっとして言い返すと、テオは鼻を鳴らして笑いました。憎まれ口ばかり叩きますが、その瞳に悪意がないことを私は知っています。彼は懐から、油の染みた包みと、蓋つきの古びた缶を取り出しました。
「ほら、これ。今日は大収穫だ」
放るように渡された缶からは、湯気が立っています。蓋を開けると、薄いけれど温かい香りが漂ってきました。
「これ……スープ?」
「ああ。『豆のスープ』だ。親父が寝てる間にくすねてきた。……貴重なんだぞ、これ」
私は目を見開きました。この不毛な土地で、水気のある食事は宝石より貴重です。それを、私なんかに。
「いけません、テオ。これはあなたが食べなさい。育ち盛りなんですから」
「俺はもう済ませた。……それに」
彼は視線を逸らし、バツが悪そうに頭をかきます。
「そんなガリガリじゃ、そいつが目覚めた時に踏み潰されちまうぞ。……まあ、俺も人のこと言えねーけどさ」
ぶっきらぼうな優しさ。私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じ、ありがたく缶を受け取りました。
「……ありがとうございます」
一口飲むと、塩気と豆の味が枯れた喉に染み渡ります。美味しい。砂の味じゃない、命の味がします。
ふと、スープを渡してくれた彼の手の甲に、赤黒い痣があるのに気づきました。殴られたような、新しい傷跡。
「テオ、その手……」
「……別に、マシロが喜ぶと思っただけだ。変な意味じゃねえから」
彼は舌打ちをして、パッと手を隠しました。
「ちょっとヘマしただけだ。親父に見つかりそうになって……慌てて逃げたら転んだ」
「でも……」
「平気だって。このくらい、いつものことだから」
彼は強がって笑いますが、痛くないはずがありません。私は、スープの温かさと引き換えに刻まれたその傷を見て、無意識に自分の胸元を握りしめました。
(……私が、無力だから)
もし、私に力があれば。この傷を治して、あの子に美味しいものをお腹いっぱい食べさせてあげられるのに。今の私にできるのは、彼が命懸けで運んでくれたスープを啜り、ただ生き延びることだけ。
「……ごめんなさい、テオ」
「だから、謝るなって。……俺が勝手にやってることだから」
テオは私の隣に座り込み、アイゼンの巨大な脚に背中を預けました。
その横顔は、少年というよりも、戦士の休息に近い疲労感を滲ませていました。
「いつか、こいつが動いたらさ。俺も乗せてくれよな」
「ふふ、そうですね。約束します」
この穏やかな灰色の日々が、ずっと続けばいい――その願いが鮮血の色で塗りつぶされることになるなんて、私はまだ知らなかったのです。




