表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女は直したい。 〜動かなくなった鉄塊(あなた)と明日を迎えるため、私は世界を塗り替える〜  作者: wattamen
5章:ネオンの灯りと偽りの夜

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/39

第3節:ヴェールのアジトと初めてのベッド

「……ここに、泊まる……の?」


 思わず、私は息を呑みました。ヴェールさんに案内されたのは、路地裏の奥にある、傾きかけた古びた酒場でした。看板には『赤錆亭』と書かれており、中からは陽気なリュートの音色と、酔っ払いたちの笑い声が漏れ聞こえてきます。


「正確には、この酒場の『屋根裏』だ。家賃代わりの用心棒を引き受けてるから、ツラは効く」


 彼はそう言って、酒場の裏口にある狭い階段を指差しました。しかし、その階段はあまりに狭く、急勾配でした。


「……アイゼンは?」


 私が振り返ると、巨大な鉄の身体を持つ彼は、路地裏の薄暗がりで静止していました。どう考えても、あの階段を登ることはできません。


「デカブツは下で待機だ。屋根裏に入れたら床が抜ける」


「……でも」


 私はアイゼンの冷たい指を握りしめました。彼と離れるなんて、考えられません。たとえ一晩でも。


「裏の荷出し場において厚手のシートを被せてやる。……心配すんな、俺の庭でこいつに手を出せる命知らずはいねえよ」


「マシロ」


 ヴェールさんの声が、不意に低くなりました。彼の黒い瞳が、私の顔をじっと見据えています。


「鏡を見てみろ。お前、死人の一歩手前だぞ。今日はもう休め。これは命令でも、取引の条件でもねえ。……俺の忠告だ」


 彼の言う通りでした。立っているのがやっとで、頭の奥がガンガンと痛み、視界がチカチカと明滅しています。私は唇を噛り、一度だけアイゼンの装甲に頬をすり寄せると、重い足取りで階段を登りました。


 ギシギシと軋む扉を開けると、そこは埃っぽい、狭い屋根裏部屋でした。壁には怪しげな武器やコートが掛けられ、床には使い古されたラグが敷かれています。


「わあ……! おうちだ!」


 リアが歓声を上げて、部屋の奥へと走っていきます。そこにあったのは、(わら)を詰め込んだだけの、粗末な布のベッドでした。でも、私にとっては――。


「……すごい……」


 思わず、声が震えました。石の冷たい床でも、砂漠の乾いた地面でもない、柔らかい場所。私はふらふらと歩み寄り、そのベッドに倒れ込みました。ふわっ、と身体が沈み込みます。微かにカビの匂いがするけれど、それは奇跡のように暖かく、優しかった。背中に触れていた痛みが、ほどけていきます。


「ましろおねえちゃん、ここ、かぜがふかないねぇ。ふかふかだねぇ……」


 隣でリアが、子犬のように身体を丸めて潜り込んできました。彼女は布の端を指でなぞりながら、満面の笑みを浮かべて言いました。


「おそらが見えないのは、ちょっとさみしいけど……でも、ここなら『あかいはい』もふってこないもんね」


「うん、そうだね……」


 リア。この子にとっての「おうち」は、ただ「灰が降ってこない」という、それだけの場所。これまで彼女が生きてきた世界の残酷さが、その無邪気な言葉から透けて見えて、私は胸が締め付けられました。私は黙って、その小さな背中を引き寄せ、抱きしめることしかできません。


「……おい、いつまで抱き合ってやがる」


 入り口で壁に背を預けていたヴェールさんが、呆れたように鼻を鳴らしました。彼は部屋の隅にある古い木箱を蹴り開けると、中から何枚か、薄汚れた厚手のコートを取り出しました。


「これでも被ってろ。夜はここでも冷える」


 投げ渡されたコートは、大人の男性用にしては少しサイズが小さいように見えました。


「……ヴェールさんの、服?」


「さあな。昔、ここにいた奴の忘れ物だ。……いつまでも置いてあっても邪魔なだけだろ」


 彼は視線を逸らし、乱暴に髪を掻きました。ヴェールさんのものとは違う、けれど彼と同じ色漏症(しきろうしょう)特有の、あの甘ったるい死の匂い。それは、彼がかつて失った「誰か」の体温が染み付いた遺品なのかもしれません。彼の言葉の裏に、触れてはいけない「過去の重み」が潜んでいるようで、私はそれ以上何も聞けませんでした。


「おい、二人とも飯は――」


 ヴェールさんが言葉を切り、ため息をつきました。リアは既に、私の腕の中で規則正しい寝息を立てています。そして私も――張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと切れました。まぶたが、鉛のように重い。ごめんね、アイゼン。少しだけ、休むね。


「……たく、勝手に寝やがって」


 薄れゆく意識の中で、ドサリと、少し乱暴に毛布をかけられたような気がしました。その時、一瞬だけ頬に触れたヴェールさんの指先は、まるで氷のように冷たく――。その毛布からは、微かに彼のではない、誰か別の人の……古い匂いがしたのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ