第1節:地下道の先
どれくらい、湿った暗闇の中を歩いたでしょうか。カビと土の匂いが充満する廃坑の地下道を、私たちはヴェールさんの背中だけを頼りに進んでいました。
「……おい、止まれ」
彼の目の前には、分厚い鉄の扉――ではなく、地下道の壁をくり抜いて作られた、奇妙な「受付窓口」のような場所がありました。赤い提灯が一つだけ、ボンヤリと揺れています。
「……チッ。今日は『ハル』が番をしてやがるのか。ツイてねえな」
ヴェールさんが苦々しく呟きました。窓口の奥には、紫色の煙が充聞していました。甘い、痺れるような香り。その煙の向こうに、人がいました。豪奢な長椅子に横たわり、極彩色の扇子を気怠げに揺らす人物。男のようにも、女のようにも見えました。ただ、磁器のように白い肌と、切れ長の瞳が、妖艶な美しさを放っています。
「――おや。ドブネズミが一匹、迷い込んだかと思えば」
その人物――春が、扇子をパチリと閉じて身を起こしました。流し目が、ヴェールさんを、そして私とアイゼンを舐めるように観察します。
「あら、ヴェールちゃんじゃないか。久しぶりだねえ。……で? その後ろの『巨大なゴミ』と『指名手配のお嬢ちゃん』は、何のお土産だい?」
「……通行料なら払う。だから通せ、ハル」
ヴェールさんが懐から、なけなしの「色の小瓶」を取り出しました。その液体は、かつての私がアイゼンに注いだ輝きとは程遠い、泥のように濁った薄い赤色でした。
しかし、春は扇子でそれを遮りました。
「いらないよ」
「あ?」
「今日は『白』がうるさいんだ。上層の掃除屋どもが、血眼になって『不純物』を探し回ってる。……あんたたちみたいな、ね」
春が、私をじっと見つめました。その瞳には、値踏みするような冷たい光が宿っています。私は思わず、アイゼンの背後に身を隠そうとしました。
「私の可愛い街を、消毒液でビショ濡れにされるのは御免なんだよ。……と言いたいところだけど」
春はふわりと微笑み、手元のスイッチを押しました。ガゴン、と重い金属音がして、横の隔壁扉が少しだけ開きます。
「特別に通してやるよ。その代わり――中で騒ぎを起こしたら、私が直々にあんたたちを『白』に売る。……いいね?」
「……恩に着るぜ」
ヴェールさんが短く答え、足早に扉をくぐりました。私も慌てて続きます。すれ違いざま、甘い煙の匂いと共に、春の囁き声が耳元に届きました。
「せいぜい気をつけるんだね、魔女さん。……今のこの街は、いつもより『夜』が深いよ」




