第4節:共犯の契り
『――主よ、白き静寂を。――迷える魂に、還るべき無垢を』
坑道の入り口から、風に乗って微かに聞こえてきたその歌声に、男が弾かれたように顔を上げました。先ほどまでの絶望に満ちた表情が、一瞬で凍りつきます。
「……チッ、もう嗅ぎつけやがったのか」
彼は舌打ちをして立ち上がり、泥に落ちていたナイフを拾い上げました。外の雨は小降りになっています。その雨音をかき消すように、ザッ、ザッ、ザッ……と、何十人もの規則正しい足音が、確実にこの廃坑へ向かってきていました。
粛清騎士たちです。
彼らの歌声には、怒りも、憎しみもありません。ただ世界を漂白するためだけの、機械の歯車が回るような冷たい音色。その人間味のなさが、底知れぬ恐怖となって私の背筋を撫で上げました。
彼は坑道の入り口と奥の暗闇、そして私たちを交互に睨みました。彼は一瞬だけナイフを私に向けましたが、すぐに私の『痣』を見て、忌々しげにそれを下ろしました。
「……殺して色を奪っても、もう『残りカス』じゃ割に合わねぇな」
そう吐き捨てると、彼は私を見下ろして、極めて冷酷な提案を突きつけてきました。
「おい、狂人。俺がここから抜け出す道を案内してやる」
「……え?」
「タダじゃない。俺が案内する代わりに、いざという時は、そのデカブツを動かせ」
彼の言いたいことが、すぐに理解できました。
つまり、教団の追手に見つかった時、アイゼンを「防壁」、あるいは暴れさせて「囮」にしろということです。
「……私が次に色を使えば、取り返しのつかないことになるとわかっていて、そう言うのですか?」
「ああ。どうせお前は、こいつを捨てられないから勝手に死ぬんだろ? だったら、俺の生存確率を上げるために死ね」
彼は、まったく悪びれる様子もなく言い放ちました。そこには、先ほどまでの悲痛な姿はありません。ただ生き残るためだけに他者を利用する、研ぎ澄まされたハイエナの目。
「いいか、ガキを守りたいなら俺に従え。……どうする」
選択の余地などありませんでした。今の私では、リアを守ってあの白い悪魔たちから逃げ切ることは不可能です。それに……奇妙な安堵すらありました。彼に「利用価値」を認められたことで、私が死ぬ理由ができたからです。
「……分かりました。道案内、お願いします」
「交渉成立だな」
彼は鼻を鳴らすと、私からアイゼンの革紐をひったくりました。
「どけ、足手まといが」
彼は革紐を肩に掛け、泥に沈んだ鉄塊を引き上げようとして――。
「ぐ……っ!? な、重っ……!! 」
ズン、と彼の膝が折れ、顔から血の気が引きました。あまりの質量に、色漏症で体力が削られた彼の体躯が悲鳴を上げたのです。彼は信じられないという目で私を振り返りました。この常軌を逸した重荷を、半死半生の少女が一人で運んできたという事実に、改めて戦慄したのでしょう。
「てめぇ……よくこんなもんを……っ!」
「……手伝います」
私は彼の隣に並び、もう一本の予備の紐を手に取りました。
「……フン、当たり前だ。一人で運べるか、こんなクソ重いもん」
彼は吐き捨て、震える手で紐を握り直しました。
二人で声を殺し、泥に顔を突っ伏さんばかりに前傾して、ようやく鉄板が「ズリ……」と動きます。
(……重い。けれど)
一人で引いていた時よりも、肩に食い込む痛みは、わずかに、けれど確かに軽くなっていました。
「あ、ありがとう! おじちゃん、ちからもちぃ!」
「俺はお前らの仲間になったわけじゃねぇ、勘違いすんな! ……あと、俺はおじちゃんじゃねぇ!」
リアが嬉しそうに駆け寄るのを、彼は荒い息を吐きながら冷たく突き放しました。それでも、彼と歩き出したおかげで、私の肩の激痛は和らいでいました。代わりに、絶え間なく脈打つ右腕の痣が、熱い警鐘を鳴らし続けています。
「……私の名前は、マシロです。あなたは?」
暗闇に向かって必死に鉄を引く彼の背中に、私はそう問いかけました。彼は立ち止まらず、坑道の奥を見つめ、低く答えました。
「緑だ。……勝手に死ぬなよ、マシロ。俺の盾なんだからな」
ガリ、ガリリリリ。
祈りの歌声が、すぐそこまで迫っています。
愛という名の重荷を背負うことになった略奪者。世界の残酷さを知らない無垢な少女。そして、己の狂気を抱きしめたまま、死の淵を歩く私。
白き狂信者たちが迫る中、私たちは奇妙で、あまりにも脆い「共犯関係」を結び、暗闇の奥へと足を踏み出しました。




