表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女は直したい。 〜動かなくなった鉄塊(あなた)と明日を迎えるため、私は世界を塗り替える〜  作者: wattamen
3章 赤錆の救済

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/39

第6節:温かい鉄と、冷たい朝

 目が覚めたのは、カビと古い(ほこり)の匂いがする暗闇の中でした。

 どれくらい、意識を失っていたのでしょう。遠くで鐘の音が響いていますが、追跡者の足音はありません。ここは、打ち捨てられた教会の地下室――あるいは、大きな墓所の一角のようです。


「……ん……」


 身体を動かそうとして、うめき声が漏れました。

 全身の関節が錆びついたように重く、鉛を飲まされたような倦怠感が、思考を泥のように濁らせています。視界はまだ、色を取り戻していません。


 カチャ。

 微かな金属音がして、頬に触れていた硬い感触が離れました。見上げると、そこには見慣れた巨大な鉄兜がありました。アイゼンです。彼は膝を折り、自身の巨体で外からの視界を遮るようにして、私とリアを守る「壁」となっていました。

 けれど、その眼窩(がんか)の奥にあったはずの青い灯火は、今はもう、完全な暗闇に戻っています。


「アイゼン……」


 私は手を伸ばし、彼の胸部装甲に触れました。

 冷たい。数時間前、私のいろを燃料にして動いていた時のあの温もりは、夜の冷気に奪われて完全に消え失せていました。


『……』


 軋む音すら、もう鳴りません。彼は私とリアをこの安全な場所に運び終えた瞬間、最後の力を使い果たし、再び「ただの鉄塊」へと戻ったのです。


「……ごめんね。無理、させちゃった」


 痛む右腕の袖を、ゆっくりと(まく)り上げます。暗闇に目が慣れてくると、そこに刻まれた「代償」の深さがはっきりと分かりました。

 黒い(あざ)は、手首のラインを完全に飲み込み、その先の白い肌へと這い上がっていました 。昨日よりも、確実に範囲が広がっている。

 黒く染まった肌の部分だけ、感覚がありません 。まるで冷たい石に変わってしまったかのように、そこだけが私の体であって、私の体ではないような不気味な違和感がありました。


(……ああ、もう、次はないかもしれない)


 次、彼を動かせば。その瞬間、私の命はまた大きく食い破られる。自分の死期が、明確な「距離」として提示されたことで、不思議と恐怖はありませんでした。あるのは、ただ静かな諦観(てい観)だけ。


「ましろおねえちゃん、おはよう」


 背後で、リアの声がしました。彼女は目をこすりながら起き上がると、私の無事な左手に、自分の小さな手を重ねました。


「おそと、しずかになったね。おにいさんたち、もうねちゃったかな?」


 声は、いつもと同じように明るい。けれど、私の左手を握るその小さな手は、昨日よりもずっと強く、小刻みに震えていました。


「……ねえ、ましろおねえちゃん」


 彼女は何かを言いかけて、口をつぐみます。

 広場で見た「黒い飛沫」のこと。アイゼンの咆哮(ほうこう)のこと。彼女は、死というものを正しく理解していないかもしれません。ただ、本能で「自分が何か悪い魔法を使ってしまった」と感じている。それを言葉にしたら、私が離れていってしまいそうで、怖い――。幼い子供の、精一杯の強がりでした。


「……そうだね。でも、アイゼンが守ってくれたから、もう大丈夫だよ」


 私は、彼女を責める言葉を飲み込みました。

 リアに「きゅうさい」の意味を教えなかったのは、私。アイゼンを凶器に変えたのは、私の『色』。全部、私の罪なのですから。


「いく? おうち、かえる?」


 リアの無邪気な問いかけ。彼女は、また三人で「おうち」に帰れると思っているのでしょう。私は、答えの代わりに立ち上がりました。


「……うん。でも、この街には、もういられない」


 教団の兵士を大勢殺してしまった以上、あの褐色の街(灰砂街)に私たちの居場所はありません。ここから先は、(とう)からの本格的な追手が差し向けられるはずです。私はゆっくりと振り返り、リアの目を見つめました。


「……リアは、ここに残るのよ」


 私は、できるだけ優しく、けれど強い口調で言いました。


「え……?」


 リアの大きな瞳が、見開かれます。


「私たちは、これから追われる身になる。あなたを危険な目に遭わせるわけにはいかない」


 私は、彼女の小さくて温かい頭に手を置きました。


「街が落ち着いたら、誰か優しい大人を見つけなさい。きっと、助けてくれる人がいるから」


 リアは、黙ったまま(うつむ)きました。その小さな肩が、微かに震えています。

 ――ああ、わかっているのです。これが正しい選択だと。テオを壊してしまった私が、また子供を巻き込むわけにはいかない。


「……やだ」


「え……?」


「やだよぉ。ましろおねえちゃん、いっちゃいやだぁ……」


 リアが顔を上げました。その瞳には、大粒の涙が溜まっています。


「おとうさんも、おかあさんも、いなくなった。みんな、いなくなった。ましろおねえちゃんまでいなくなったら……リア、ひとりぼっちだよぉ……」


 彼女の小さな手が、私の服の裾を強く、強く握りしめます。


「おねがい。リアも、つれてって。リア、いいこにする。じゃましない。だから……おねがい……」


 涙声で必死に訴えるリアを見て、私の決意はあっけなく崩れ去りました。

(……ああ、だめだ)

 私は、この子を置いていくことができませんでした。テオを救えなかった。けれど、この子だけは、側にいてほしいと言ってくれている。


「……わかった。一緒に、行こうね」


 私はリアを抱きしめました。これは、正しい選択ではないかもしれない。また、この子を壊してしまうかもしれない。それでも――私は、この温もりを手放せませんでした。


「……その代わり、私の手を離さないでね。……もう、置いていかないから」


「ましろおねえちゃん……だいすきぃ」


 リアの小さな声が、私の胸に染み込みます。


 *


「アイゼン。もう少しだけ、一緒に歩いてくれる?」


 声なき鉄の騎士に問いかけます。返事はありません。

 頼みの綱だった台車は、広場に置いてきてしまいました。私は地下室の隅で、辛うじて息をしていた瓦礫運搬用の古い猫車を見つけました。

 腐りかけた木枠に、錆びついた小さな車輪が一つ。私は地下室にあった古いロープと革紐を即席で結び合わせ、アイゼンの巨体をその鉄板の上へと強引に乗せました。


 重い。あまりにも重い。

 車輪が悲鳴を上げ、地面を削るような不快な音を立てます。自分の命そのものになった鉄の塊を、一歩、また一歩と引きずり始めました。


(……無理だ)


 数メートル進んだだけで、息が上がります。これでは、街を出る前に日が暮れてしまう。追手に見つかるのも時間の問題です。

 それでも。止まるわけにはいきません。


 朝の光が、地下室の鉄格子から差し込みます。私の目には、その光すらも、色あせた灰色にしか映りませんでした。

 私を侵食する黒い(あざ)

 あと何回、彼を動かせるだろう。あと何人、「救って」しまうのだろう。


 ――そして、最後に私が見る世界は、何色なのだろう。


(あの、目が痛くなるほどの黄金色(おうごんいろ)だったら――)


 不意に、脳裏に浮かんだ光景。見たことがないはずの、鮮やか過ぎる世界。私は首を振り、その幻影を追い払いました。


「リア、行こう」


 ギギギ、と耳障りな音を立てて。

 私たちは灰色の朝に、再び歩み出しました。


 第3章 「赤錆の救済」 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ