第二部・第19話 兄と呼ばない選択
最初に気づいたのは、
家の空気だった。
玄関を開けた瞬間、
いつもと同じはずの室内が、
ほんのわずかに“整いすぎている”。
音が少ない。
物の配置が揃っている。
誰かが、
一つの答えを出した後の空気。
(……会った)
理由はいらなかった。
兄は、
リビングにいた。
椅子に座り、背筋を伸ばし、
視線はテーブルの一点に落ちている。
疲れてはいない。
だが、軽くもない。
選択肢を削り終えた人間の顔だった。
「……おかえり」
「ただいま」
その一言で、確信する。
兄は、勇者と会った。
管理側の連絡が今日は来ていない。
なのに、兄の情報量が増えている。
説明を省いた沈黙が、
それを裏付けていた。
夕食の支度を始める。
包丁の動きは正確で、迷いがない。
今日は、
感情を挟まない方がいい。
「……今日、何かあったか」
問いは慎重で、
踏み込みすぎない距離。
妹は、
すぐには答えなかった。
「……兄」
その呼び方が、
一瞬、喉で止まる。
(……このままじゃ、
もう足りない)
包丁を置き、
振り返る。
「兄、
勇者と会いましたね」
断定。
兄の肩が、
わずかに動いた。
「……どうして、
そう思った」
「空気です」
「兄は、
選択肢を全部見て、
一つ切り捨てた後」
「必ず、
こういう沈黙になります」
否定は、
なかった。
それで十分だった。
「……家族の話を、
されたんですね」
兄は、
短く答える。
「……ああ」
胸の奥で、
理解が確定する。
(……やっぱり)
「私が、
交渉材料になり得る」
「そう、
言われましたね」
兄は、
目を閉じた。
「……否定できない」
それで、
全てが繋がった。
強くなった理由。
管理側の距離感。
世界の視線。
(……私が、
“使える”から)
夕食の鍋が、
小さく音を立てる。
妹は、
その音を聞きながら考える。
兄は、
きっと守ろうとする。
だから、
交渉点になる。
(……なら)
守られる側で
い続けるのは、
最適解じゃない。
食卓に並ぶ皿を、
一つずつ置きながら言う。
「……兄」
声は、
落ち着いている。
「私は」
一拍。
「このまま、
“妹”でいるだけでは
いけないと思っています」
兄の視線が、
初めて真正面から向けられる。
「……どういう意味だ」
妹は、
逃げずに答えた。
「守られる立場だと、
私は交渉材料になります」
「でも」
「立場を変えれば、
意味も変わる」
兄は、
すぐには理解しない。
だから、
続ける。
「距離を取る、
という話ではありません」
「切り捨てる、
という意味でもない」
「ただ」
「役割を、
変える必要がある」
それは、
宣言ではない。
だが、
決意だった。
「……どんな役割だ」
妹は、
一瞬だけ言葉を選ぶ。
「兄が、
世界と話すなら」
「私は、
兄の“後ろ”ではなく」
「隣に立つ立場を
選びたい」
まだ、
呼び方は変えない。
だが、
胸の内では
もう決めている。
(……次に呼ぶときは)
(今までと、
同じ意味じゃ呼ばない)
兄は、
何も言えなかった。
その沈黙が、
答えだった。
二人の距離は、
変わっていない。
けれど。
関係は、
静かに再定義された。
世界が観測する前に、
家族の中で、
一つの覚悟が固まった。
第二部は、
最終局面への助走に入ります。




