第二部・第16話 距離が変数になった日
最初に異変を検知したのは、
人間ではなかった。
統計モデルの更新ログ。
日次の微調整。
いつもなら、
自動承認で流れる処理。
だが、その日だけは、
フラグが立った。
【生活圏相関値:変動】
「……?」
担当官が、
画面を確認する。
相関値は、
下がっている。
急激ではない。
切断でもない。
だが、
継続的に、意図を持ったように下がっている。
「兄妹の接触頻度、
減ってますね」
「物理距離?」
「いいえ。
生活圏は同一です」
「……心理距離か」
次のグラフが表示される。
同居時間は変わらない。
会話時間も、
大きくは減っていない。
それなのに。
反応遅延時の“兄の影響係数”が、
急速に薄れている。
「……本人が、
調整してる?」
「無意識レベルでしょう」
「意図的なら、
もっと急激に下がる」
分析官が、
淡々と説明する。
「これは」
「選択肢として“距離”を考え始めた挙動です」
その言葉で、
会議室の空気が変わる。
「……想定より、
早いな」
「はい」
「本人が、
“自分が交渉点になり得る”と
理解した可能性が高い」
誰かが、
小さく息を吐く。
「……知らせていないはずだ」
「ええ」
「だからこそ、
自力で辿り着いています」
それは、
能力の強さを示す証拠でもある。
「影響は?」
「兄の行動予測に、
わずかな揺らぎが出始めています」
「判断速度?」
「低下ではありません」
「安定です」
その言葉が、
妙に重かった。
「……安定?」
「はい」
「彼は、
“守れない前提”を
組み込み始めています」
「つまり」
「覚悟が進行中です」
沈黙。
第一部を知る者ほど、
その意味が分かる。
覚悟が進んだ主人公は、
最も危険だ。
「……勇者エレギオンの観測範囲に?」
「入っています」
「すでに、
この変化は
“交渉材料の変質”として
評価されています」
「……早すぎる」
「いえ」
分析官は、
首を横に振る。
「彼らにとっては、
予定通りです」
資料が切り替わる。
【交渉価値評価】
・特異点本人
・同居家族
・相互依存度
相互依存度のバーが、
ゆっくりと下がっている。
「……価値が下がるなら、
良いことでは?」
その問いに、
すぐ答えは返らない。
「……いいえ」
責任者が、
静かに言った。
「交渉材料が消える前に、
交渉は仕掛けられる」
「距離が完成する前に、
動く」
「それが、
彼らのやり方です」
「……つまり」
「猶予が縮んだ」
会議室に、
明確な理解が落ちる。
「対応方針は?」
「直接介入は、
まだ行わない」
「だが」
「距離が確定する前に、
次の手が来ると想定する」
「勇者本人が?」
「可能性は高い」
「彼は、
“選ばせる前に来る”勇者です」
その言葉が、
重く残る。
会議が終わる頃、
外は夕暮れだった。
同じ頃。
妹は、
自室でノートを閉じる。
兄は、
別の部屋で
何かを考えている。
同じ家。
同じ時間。
それでも、
二人の間にある距離は、
確実に変わり始めていた。
世界はそれを、
兆候と呼ぶ。
だが。
それは、
家族にとっては
選択だった。
第二部は、
「来訪」の後段へ向かう。




