第三部・第37話 夢のタッグ(未成立)
異常は、前触れなく起きた。
前線でも、
後方でも、
雪花のいる空域でもない。
もっと手前。
もっと日常に近い場所で。
「……嘘だろ」
神崎紫陽は、
端末の警告表示を見て、
思わず声を漏らした。
局所的な歪み。
時間同期エラー。
確率変動値の急上昇。
——どれも、
“単独では問題にならない数値”。
だが。
同時に出るはずがない。
「管理側、聞こえますか」
返答は遅れた。
通信が、
微妙に噛み合わない。
紫陽は、
迷わなかった。
ここで迷えば、
何かが壊れる。
「……紬」
呼びかけは、
短かった。
妹は、
すぐに来た。
制服のまま。
装備もない。
だが、
目だけが違う。
「兄様」
その呼び方に、
紫陽の胸が一瞬だけ締め付けられる。
「時間がない」
「分かってる」
説明はいらない。
二人は、
並んだ。
その瞬間。
周囲の空気が、
一段階、静かになる。
音が消えるわけじゃない。
ただ、順序が揃う。
確率が、
歪む。
時間が、
引き伸ばされる。
観測値が、
意味を失い始める。
「……やばい」
遠くの管制室で、
誰かが呟いた。
「数値が、
噛み合ってない」
「重なってる……?」
紫陽は、
判断を一つだけ下す。
「紬、
“軽いやつ”でいい」
「うん」
紬が、
スキルを起動する。
対価。
時間。
ごく僅か。
それだけで、
世界の動きが
一拍、遅れる。
紫陽の“運”が、
そこに重なる。
幸運でも、
天運でもない。
ただ、
失敗しない確率。
結果。
歪みは、
止まる。
爆発しなかった。
崩壊もしなかった。
だが。
「……兄様」
紬の声が、
震える。
紫陽が振り向く。
妹の指先が、
白い。
力を入れすぎている。
「ここまで」
紬が言う。
「これ以上は、
ダメ」
「いけるだろ」
紫陽は、
即座に返す。
「今なら——」
「いけるから、
ダメなの」
紬は、
はっきり言った。
紫陽は、
言葉を失う。
「今の状態で
もう一段踏み込んだら」
紬は、
自分の胸に手を当てる。
「私、
戻れなくなる」
その言葉で、
すべてが繋がる。
能力効率。
視線。
評価が動かない理由。
「……分かった」
紫陽は、
一歩、下がる。
紬も、
スキルを切る。
時間が、
元に戻る。
確率が、
雑音を取り戻す。
周囲は、
何事もなかったように
動き出す。
管制室。
数字が、
落ち着く。
「……今のは?」
「未成立」
誰かが、
そう記録した。
遠く。
雪花が、
初めて、はっきりとこちらを見る。
一瞬だけ。
(……危ない)
雪花は、
そう判断する。
(あれは、
完成してはいけない)
視線が、
外れる。
攻撃は、
来ない。
その場に残ったのは、
並んで立つ兄妹だけだった。
「ごめんね」
紬が、
小さく言う。
「夢、
止めちゃって」
紫陽は、
首を振る。
「止めたんじゃない」
一拍。
「まだだ」
紬は、
少しだけ笑った。
その笑顔が、
後で思い出すと
やけに遠く感じることを。
この時の紫陽は、
まだ知らない。




