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第三部・第26話 前線が、前でなくなる

最初は、

配置図の違和感だった。


「……この線、

 意味ありますか?」


会議室のスクリーンに、

赤い線が引かれている。


前線。

迎撃想定線。

被害想定境界。


これまで、

何度も書き直されてきた線だ。


「意味はある」


即座に、

誰かが答える。


「敵は前から来る」


「攻撃は、

 前線を越えてくる」


「だから、

 線を引く」


それは、

当たり前の前提だった。


——今までは。


「でも」


別の担当が、

言葉を継ぐ。


「雪花は、

 前線にいません」


沈黙。


「後退?」


「いいえ」


「撤退?」


「違う」


「なら、

 何だ?」


誰も、

即答できない。


スクリーンが切り替わる。


雪花の、

現在位置。


前線の後ろ。

迎撃圏の外。

攻撃角度の死角。


「……ここからじゃ、

 効率が悪い」


「はい」


「威圧にもならない」


「はい」


「なのに、

 そこにいる」


「……はい」


会議室に、

重たい空気が落ちる。


「前線、

 意味なくないですか?」


若い分析官が、

勇気を出して言う。


「敵が、

 前線を使ってない」


議長が、

ゆっくりと口を開く。


「我々は、

 前線がある前提で

 敵を見てきた」


「だが、

 敵がそれを

 前提にしていない場合——」


言葉が、

途切れる。


「……こちらが、

 勝手に

 “前”を決めているだけ」


誰かが、

呟いた。


「雪花は、

 戦っていない」


「だが、

 見ている」


「前線ではない場所を」


「……何を?」


その問いに、

答えは出ない。


「前線って、

 何だ?」


別の声。


「敵が最初に

 殴ってくる場所?」


「被害が

 一番出る場所?」


「迎撃しやすい場所?」


どれも、

今は当てはまらない。


「もし」


議長が、

一段低い声で言う。


「敵が

 “戦場”を

 こちらと共有していないなら」


「前線という概念そのものが、

 古い」


会議室が、

ざわつく。


それは、

戦術の否定ではない。


思考様式の否定だった。


「対応策は?」


誰かが、

現実に戻そうとする。


議長は、

即答しなかった。


代わりに、

こう言った。


「前線を、

 守るのをやめる」


沈黙。


「正確には」


「前線“だけ”を

 守るのをやめる」


「……全域?」


「全域ではない」


「だが、

 重点を置かない」


スクリーンに、

新しい配置案が表示される。


前線:維持


後方:監視強化


中間域:即応部隊配置


戦線が、

“面”になる。


「これは……」


誰かが、

息を呑む。


「守りが、

 薄くなります」


「なる」


議長は、

否定しない。


「だが、

 前線が前でないなら、

 薄くなる場所は

 必ず出る」


「賭けですね」


「そうだ」


議長は、

はっきり言う。


「だが、

 すでに我々は

 賭けに出ている」


「理解できない敵に対して、

 理解できる前提で

 動いている」


「それが、

 一番危険だ」


会議は、

短く終わる。


結論は、

一行だけ。


・前線概念の再定義を開始

・敵は「前から来ない」可能性を含める


会議室を出る直前、

誰かが、ぽつりと言った。


「……雪花は、

 何を見てるんでしょうね」


議長は、

足を止めずに答えた。


「こちらが

 見ていないものだ」


その頃。


雪花は、

低い位置から

街を見ていた。


前線は、

見ていない。


敵も、

見ていない。


——一点だけを、

静かに見つめている。


地球側は、

まだ知らない。


前線を疑い始めた

この瞬間こそが、

すでに

 次の戦場に

 足を踏み入れている

ということを。

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