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第三部・第25話 雪が、降らない

空は、

曇っていた。


灰色。

重い。

今にも、

何かが落ちてきそうな色。


——それなのに。


「……降らない」


八乙女いろはは、

小さく呟いた。


手を伸ばす。

指先。


冷たくなるはずの感触は、

来ない。


周囲では、

警戒態勢が続いている。


結界。

監視。

避難誘導。


誰もが、

「次は雪だ」と

思っていた。


それは、

経験則だった。


雪花が来る。


なら、

雪が降る。


白く、

冷たく、

形を残す破壊。


——今までは、

必ずそうだった。


「……おかしいね」


いろはの声は、

静かだった。


恐怖は、

ない。


ただ、

違和感だけがある。


管理側から、

簡易確認が入る。


「周囲温度、

異常なし」


「氷結反応、

発生していません」


「降雪予兆、

観測されず」


言葉は、

淡々としている。


だが、

その裏で

誰もが同じことを考えていた。


——来ているのに、

来ていない。


いろはは、

足元を見る。


舗装された地面。


白くならない。


濡れもしない。


割れない。


「……きれい」


ぽつりと、

そう言った。


誰も、

それを咎めない。


彼女は、

ランドセルを抱え直す。


布地。

柔らかい。


服の裾を、

軽く整える。


汚れがないことを、

確かめる。


その瞬間。


胸の奥で、

何かが

ひっかかる。


(……来てる)


理由は、

分からない。


でも、

分かる。


「……見られてる」


いろはは、

顔を上げる。


空ではない。


前線でもない。


少し、

離れた場所。


攻撃が届かない距離。


そこに、

雪花がいる。


——はずだ。


だが、

雪は降らない。


氷も、

花も、

ない。


あるのは、

沈黙。


管理側の回線が、

ざわつく。


「……本当に、

 準備してない?」


「センサーは

 嘘ついてない」


「じゃあ、

 なんで何も起きない?」


誰も、

答えられない。


いろはは、

小さく息を吸う。


冷たい空気。


でも、

凍らない。


(……違う)


彼女は、

はっきり思う。


(この人、

 今は壊す気がない)


理由は、

分からない。


分かってしまうのは、

ただの勘。


その勘は、

能力じゃない。


予知でも、

計算でもない。


感情でもない。


「……降らないなら」


いろはは、

一歩、前に出る。


誰も、

止めなかった。


止める理由が、

見当たらなかったから。


その瞬間も、

雪は降らない。


風は吹く。


雲は動く。


だが、

白は落ちてこない。


管理側のログに、

短い一文が残る。


・雪花接近中

・降雪反応なし

・対象:八乙女いろは周辺

・理由:不明


誰かが、

呟く。


「……止めた?」


別の誰かが、

首を振る。


「いや」


「止まってない」


いろはは、

空を見上げない。


ただ、

前を見る。


そこに、

何かがいると

知っているから。


雪は、

降らない。


それは、

安全の証でも、

撤退の合図でもない。


ただ、

起きるはずだったものが

起きていない。


その事実だけが、

場に残っていた。

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