大防衛
塢の老夫たちは工房に身を移すと、一斉に作業へ取り掛かった。どれも嬉嬉としている。
「こんなことなら、許淵の言うとおり、さっさと拵えておくべきだったのう」
「全くだ。いつまで戦が続くかわからん。矢を切らせては、応戦もできんからのう」
「さあ、急ぎ万本の矢を拵えようぞ」
東門へ寄せた黄巾が放つ矢も西門付近までは届かない。西側に身を寄せた女たちは、ありったけの食材を持ち寄っている。普段にも増して、機敏に料理の支度を始めた。
「腹が減ってしまっては、戦ができないからね」
「若い者には、随分と活躍してもらわんと」
「腹持ちの良いものを作り続けようかねえ」
黄巾の残党に襲撃されてもなお、許塢に恐れを成す者はひとりもいなかった。それもその筈、邑の者が総出で苦労を伴い築き上げた塢に、誰もが絶対の自信を持っていた。
「ありったけの矢を射ち込め! ぼやぼやしてないで城壁を登れ!」
剣を掲げた八字髭の何儀が、馬上から兵たちを捲くし立てている。
「騎馬は丸太を城門にぶち当てろ! 中には財宝があるに違えねえ。早いもの勝ちだぞ!」
髭面の黄邵は、槍を引っ提げて馬上から兵たちを煽った。
無数の矢が塢に射込まれる中、黄巾賊の兵たちが次々と墻壁にへばりつく。縄を使ってよじ登ろうとしている。
騎馬隊は、運んできた丸太を二頭の馬で引くように縄を括りつけている。門に向かって駈け、その勢いで門に丸太を当てるつもりのようだった。
塢からも矢を射返していた。女墻に身を隠しながら、深目から矢を放っている。
「関城よ、仕掛けろ! 続けて護城墻からだ!」
東の門楼に身を置いた許淵は、門と墻壁に取りつく黄巾賊を眼下に認めると、門外の東南に建つ関城に合図を送った。
既に関城には、張鴦と薛麗を初めとする若人五百ほどが入っている。関城の上から門と墻壁に取りつく賊の背後に矢を放つ。間を置かず関城と護城墻から打って出、大打撃を与える算段だった。
東門に近い護城墻の内側には、許定と許褚の兄弟が五百ほどの若人を従え待機している。
「薛麗! 張鴦! 合図が出たぞ!」
東南の角楼、その前方に関城がある。盛んに矢を放ちながら、東南の角楼から薛宇が声を張った。
「わかってるわよ! みんな、やるよ!」
勇んだ薛麗が黒髪を靡かせ号令すると、関城の上からは東門に群がる賊の背に向かい幾本もの矢が放たれ始めた。黄巾の兵がばたばたと斃れている。
中でも、薛麗が放つ矢は必中だった。弓に矢を番え、放つまでに一切の雑念と無駄がない。一連の流麗な動きで放たれる矢は、賊徒の躰に吸い込まれるように宙を走った。
「行け、張鴦! 突撃して追い払ってこい!」
薛麗の合図で、関城からは三百を率いた張鴦が飛び出す筈だった。
「……怖え。……怖えよ。……躰が震えて、思うように動かねえ。俺たちは兵士でもねえんだぜ。それをいきなり戦だなんて……。できる訳ねえだろ……」
槍は手にしているが、恐れを成した張鴦が好機を逃そうとしている。張鴦が抱いた恐怖は、蝟集した三百の若人にも伝播しそうだった。
薛麗は関城の内側を覗き込むと、張鴦を初めとした三百が戦慄しているのが見えた。
「チッ」
舌打ちした薛麗は、震え上がった若人に声を荒らげた。
「何を臆病風に吹かれてやがる、張鴦! さっさと敵を蹴散らしてこい!」
「……怖えもんは怖えんだよ。震えが止まらねえんだよ」
怖気づいた張鴦が声を震わせた刹那だった。
ドオオオン――。
どれも得物を手にしている。轟音と共に東門近くにある護城墻の門扉が開かれると、勢いよく躍り出たのは五百ほどの若人だった。関城に籠った鈍重な部隊に業を煮やし、飛び出していた。
その先陣を切って黄巾の群れに身を躍らせたのは、魁偉の風貌に加え、身丈八尺(約百九十㎝)もある巨軀だった。太い腕に携えた槍を薙ぎ払うたびに、七、八人の黄巾兵が斬られて後方に吹き飛んでいる。その槍の主は、烱烱とした眼光の許褚だった。
まるで嵐だった。許褚に近づく黄巾兵は、血飛沫を上げ宙に身を翻らせ、首が鮮血の尾を引き刎ね飛んだ。まさに無双の如き豪傑の武者振りだった。
「褚よ、門前の敵を払い除けるだけでいい! 深追いはするな!」
許定は、黄巾兵に剣風を浴びせながら許褚に言い放った。