寄せる黄色い波
纏めた髪を緇撮で結っている。鼻の下の八字髭を歪め、品定めしているようだった。
その隣に控える者は、折上巾を被った円らな瞳だった。面貌の半分が髭で覆われている。
而立の頃の二人が頭に備えた巾は、揃って黄色だった。
「おいおい、こりゃあとんでもないものを見つけちまったんじゃねえか、黄邵?」
八字髭の野盗のような男が舌なめずりしながら、顔の半分が髭の黄邵に言った。
「金目の代物を隠してるんじゃねえか? ひょっとすると糧食の蓄えもあるかもしれねえ。何儀よ、親分が知るところとなる前に、俺たちで総取りってのはどうだ?」
目を細めて不気味な笑みを浮かせた賊徒のような黄邵が、八字髭の何儀に持ち掛けた。
「そりゃあ、いいな」
何儀と黄邵は北叟笑んだ。春の息吹を感じ始めた山中から、原野に広がる砦のような邑は、黄巾賊の残党、その垂涎の的となった。
西暦一八八年、春――。
邑のことを塢と呼ぶ者が増えていた。許淵の屋敷に方士の元緒が居候するようになってからだった。許淵のことを塢主と呼ぶ者も増えている。
風が新緑の香りを運んでいた。
北東の角楼に胡座し、欠伸を晒していたのは元緒だった。元緒が逸れたという連れの者は、まだ許塢に現れなかった。諦めて許塢から去ることも思慮にはあった。
「冬はこれからが本番。冬を越してからにしてはどうだい?」
元緒は、塢主である許淵の言葉に甘んじた。連れの来訪を待つように、昼間は角楼で過ごす日々が多くなっていた。
塢の四隅にある角楼には、毎晩、邑の者が交代で見張りに立った。異変があれば、屋根から吊り下げられた鐘を鳴らすことになっている。
「ありゃ?」
眠気眼の元緒は、東の遠方に目を凝らした。黄色の頭巾を巻いた二千ほどの軍勢が寄せているように見える。
目を見張った元緒は、弾かれたように立つと、吊り下がった鐘に身を寄せた。
「儂もつくづくついてないのう」
元緒は渋々、撞木を手にすると強かに鐘を打ち鳴らすことを繰り返した。
「――――⁉」
東西南北の門が閉まる音がした。それに続いて、門を補強する戸板を下げようと滑車を回す音が響いている。
「ほう。思いのほか迅速に対応するではないか。役割は予め決めておったか」
元緒が笑みを浮かせて感心していると、緊張の面持ちで角楼に姿を現したのは、許淵と許定の父子だった。
それに遅れて、張鴦と薛麗、そして、許褚が十人ほどの若人を引き連れて角楼に登ってきた。若人の群からひょっこり顔を出したのは、許林杏だった。
東に面した墻壁の上には、弓矢を手にした者が集まり始めていた。
黄色の軍勢は、明らかに許塢を目指して寄せている。騎馬百、歩兵千七百ほどだった。陽を照り返した得物の刃が綺羅と光って見える。
「やはり、こういう日が来るのか……」
渋面の許淵が肩を震わせながら、寄せる黄の荒波に目を凝らしていた。塢主は怖気づいたかに見えた。刹那、その渋面は不気味な笑みへと転じた。
「ここは野盗の類に陥とされるような塢じゃねえ。黄巾の餓狼どもめ、追い返してやらあ」
許淵の震えは武者震いだった。寄せる黄巾の群れに据えた眼差しは冴えていた。
「定! 褚! 手筈どおりだ! みんな、黄巾の残党を追い返すぞ!」
「応よ‼」
邑の者たちは勇んで持ち場へと向かった。行き場を失ったのは、元緒と許林杏だった。餓狼の群れから鬨の声が聞こえる。許林杏は不安気な表情だった。
「許林杏や、少し下がっておれ。お主は機敏じゃ。儂が伝令の任を命ずる。大切な役目じゃ。お主の活躍で、あの黄巾が退散すると言っても過言ではない。引き受けてくれるか?」
柔らかな笑みで元緒が許林杏に尋ねた。
許林杏の瞳には、活き活きとした光が宿った。
「はい! 元緒さま」
「うむ。好い好い。何も恐れることはないぞよ。常に平静であれ」
弓矢を手にした若人たちにその場を託すようにして、元緒と許林杏は角楼を降りた。墻壁に沿って東の門楼へと向かった。入れ替わるように角楼へ登ってきたのは、張鴦の父、張平だった。
塢の中に矢が射込まれ始めた。すぐに千矢の驟雨となった。