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許氏の塢  作者: 熊谷 柿
第1章
2/15

頑固一徹

 西暦一八四年、後漢末――。

 生活に困窮こんきゅうする農民を扇動した黄巾の乱の発端は、太平道という信仰宗教だった。

「黄天まさに立つべし」

 黄天とは、太平道が信奉する神のことである。信者だけではない。漢の朝廷に不満のある者であれば、誰でも黄色の巾を頭に巻いた。

 全土での一斉蜂起に、朝廷は各地に将士を派遣し、乱の鎮定に躍起となった。その甲斐あってか、わずか一年足らずで乱を平定するに至った。

 しかし、乱の根本的原因である政治腐敗は改善されることはなく、黄巾賊の残党は、依然として広範な地域で跋扈ばっこする世となっていた。

 予州よしゅう沛国はいこくしょう県――。沛国の最西部にある、汝南郡じょなんぐん寄りの田舎だった。その田舎にも乱の爪痕は残っていた。

 強仕の頃も半ばを過ぎている。黒髪を白の巾で結ったひとりの丈夫じょうぶが、荒れ果てたむらを前に途方に暮れていた。許淵きょえん――。その丈夫の名だった。

「たかが農民反乱だぞ。戦の素人に官軍が負けるか、普通?」

 渋面じゅうめんを浮かせた許淵から、胸中のあきれ声が漏れ出ていた。

 黄巾の乱が勃発ぼっぱつして間もなく、汝南郡も黄色い荒波に襲われた。各地の城郭まち邑落ゆうらくは、黄巾賊の垂涎すいぜんの的となり、汝南の太守は邵陵しょうりょう県から兵を率いて対抗したが、ものの見事に大敗した。

 その敗報が邑にもたらされた頃、邵陵県から取って返した黄巾賊の襲撃にっていた。

 嵐が通過したようなものだった。田畑は踏み荒らされ、蓄えていた糧食は略奪された。家畜も奪われ、容赦なく壊された住居は資材として持ち去られた。それに抗ったむら人も殺された。農民が農民を襲う世に愕然がくぜんとなった。

 荒廃した邑に残ったのは、崩れ掛けたほこらだった。昔から邑にあるが、何をまつったものなのかわからなかった。

 そして、二人の息子とひとりの娘だった。

ていちょ林杏りんあん

 許淵は、振り返りもせず、後方に立ち尽くした長子の許定きょてい、次子の許褚きょちょ、そして、子女の許林杏きょりんあんを呼ばわった。

「はい、父上」

 応じたのは、長子の許定だった。よわい二十四を迎えた精悍せいかんな丈夫だった。

 許淵は、腕組みをして胸を張ると、前を向いたまま続けた。

「朝廷は信用できねえ。税は巻き上げるだけ巻き上げるが、俺たちを守る力は持ってねえ」

「…………」

 許定は、真摯しんし眼差まなざしで父の背を見遣みやった。

「自分たちの身は、自分たちで守るしかねえんだ」

「父上は、怒ってるの?」

 許定に手を握られた五歳の許林杏が、愛くるしい笑みで許定を見上げた。

 口許に人差指を立てた許定は、小妹の許林杏に目を細めると小声で返した。

「静かに。こういうときはね、父の背をよく見ておくんだよ、林杏」

 大きくうなずいた許林杏は、にこにことして許淵の背に目を輝かせた。

 病弱だった母親は、許林杏を産んで間もなく世を去っていた。

「お前らも力を貸せ。俺は築いてやる。賊にも揺るがない邑を、乱にもおびえない邑をよ」

 振り返った許淵は、破顔だった。どんな苦境にも弱音を吐いたことがない。許淵には、困難を克服する度に強くなると思い込んでいる節があった。

「はい、父上」

「はい!」

 拱手きょうしゅした許定に続き、許林杏が元気に手を上げた。

「ん」

 魁偉かいい風貌ふうぼうに加え、身丈八尺(百九十㎝)に届こうというからだだった。長子の許定より上背と胸板がある。その腕は大樹の幹ほどもあった。許褚――。齢二十三を数える許淵の次子だった。父のように腕組み、胸を反らしている。がえんじた寡黙な許褚の瞳は冴えていた。

 三兄妹には、父が苦境を乗り越える度に、その背が大きくなるように映っていた。


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