形勢の傾き
黄巾賊と許塢の攻防は、一進一退だった。
黄巾賊にとって厄介なのは許褚だった。四つの門のどれから、いつ出てくるかわからなかった。
塢に矢を放ちながら、恐る恐る墻壁に近づき、門を丸太で突こうとする。何度か繰り返しているうちに許褚が現れると、甚大な被害を齎した。その縦横無尽な許褚に代わって、許淵が東門の指揮を執っている。
黄巾賊は、寄せては退き、退いては寄せることを余儀なくされていた。それが三日ほど続いた。夜間は攻撃を止めている。
「埒が明かねえな」
鬱屈とした戦況に業を煮やした劉辟は、四方から火矢を射込むよう下知した。塢内は無傷で手にしたかったが、進展を見ない戦況に新たな一手を投じた形だった。
それが、塢には利いた。
四方から一斉に飛んでくることもあれば、一方から飛来することもあった。家屋に火が回っている。塢内の老夫や女たちは、降る火矢をも恐れず、張平を筆頭に消火に走った。
だが――。
遂には工房にも火が移り、食糧庫にまで火の手が回った。
「不覚。ときを見誤ったか――⁉」
これに歯軋りしたのは、元緒だった。巫支祁の手札はもうない。紙片に妖しを呼び込む霊気を込めるのに十日は要する。代わりに、許林杏と二手に分かれ、ありったけの護符を負傷者に貼って回った。
不思議な護符だった。傷が治る訳ではないが、怪我をしたところに貼るだけで痛みが消える。これにより、負傷した若人たちが戦線に復帰していた。
そんな折、南楼から矢を射続ける薛麗は、依然として精彩を放っていた。黄巾賊に向かって走る矢は、相変わらずの必中を見せていた。
「ここの難は、あの女と見た。誰か弓と矢を持ってこい」
馬上の劉辟が指示すると、すぐに弓矢が手渡された。劉辟は門に向かって馬を駈けさせた。弓に矢を番え、狙いを定める。放った。
「ぐっ……!」
宙を切るように走ったその凶矢は、薛麗の左腕に突き立った。
「よし! 一気に門をぶち破れ!」
劉辟は、駈け回りながら黄巾の餓狼に号令した。勢いを増した賊徒が南門へ寄せる。
「これはまずい」
南門の窮地に気づいたのは、元緒だった。元緒は咄嗟に懐中から人型の小さな白紙を二枚取り出すと、ふっと一息吹きかけた。
すると、その小さな白紙は、見る見るうちに龍頭人身の妖し、計蒙に変化した。漆黒の襤褸を纏い、剣を背負っている。二体の違いは、黒と白の剣の柄だけだった。
二体の計蒙は、黄巾の荒波へ飛び込むように、揃って墻壁から跳躍した。
「――――⁉」
黄巾の賊徒は目を剥くと凍りついた。空から降ってきたのは、躰は人のようだが頭は龍の化け物だった。
「な、何だ――⁉」
二体の計蒙は、固まった賊徒たちが動き出すよりも先に背の剣を引き抜くと、疾風の如く黄色の群れに身を投じて斬りまくった。手練者だった。二体の計蒙が繰り出す閃光の如き剣筋は、どれも餓狼の首を虚空へ刎ね飛ばした。
恐れを成した黄巾の賊徒は、折り重なるようにして逃げ出した。
本陣に返した劉辟も異変を察知した。逃げ出す兵の先に視線を走らせると、そこには二体の龍頭人身が旋風のように剣を走らせている。
「珍しいな。ありゃあ、妖しじゃねえか? 塢の中に妖しを召喚できる方士がいるな?」
涼しげな笑みを浮かべた劉辟は、馬から降りると二体の計蒙へ向かって歩き出した。




