燎原の火の如き乱の中で
月は出ていなかった。
夏草や野黍が生い茂る鬱蒼とした原野に、突如として火の手が上がった。ひとつだけではない。点じられた火は五百にも及んだ。鬨の声と共に、炎の波が雪崩れ込んでいた。
寝込みを衝かれた陣中の兵は、どれも黄色い巾を頭に巻いている。不意を襲われ、軍衣にまで火が燃え移った黄巾の賊は、右往左往しながら算を乱して逃げ惑った。
赤と黒に彩られた揃いの鎧を纏っている。夜襲を決行したが先を越されていた。燃え盛る原野に急行したのは、五千ほどの官軍だった。それを率いる騎乗の将はまだ若く、眉は秀で、唇は紅く、豊かな頬をしている。
黄巾賊の陣に夜襲を仕掛けたのは、官軍ではなかった。その風体から、急拵えの義勇軍に見えた。
聡明そうな若将の瞳に、蜘蛛の子を散らすような黄巾の兵が映った刹那だった。
「――――⁉」
逃げ惑う黄巾の兵を追い討つように、摚っと紅蓮の炎から飛び出したのは三騎だった。
中央を駈ける者は、広い額に冴えた双眸、高く通った鼻梁に引き締まった口許、その立派な面貌もさることながら、容姿からは英雄の気風が漂っている。それに加え、左右に従う武将は目が爛と輝き、いずれも豪壮な長柄の武器を手にした武者振りの良い偉丈夫だった。
若将は、炎に照らされた三騎に思わず目を奪われた。
「まるで、高祖劉邦と警護する樊噲のようではないか。それも樊噲が二人とは。いつか私も、あのような豪傑を身辺に侍らせたいものだ」
英雄たらんとする若将は、息の合った三騎の背に笑窪を送った。