第4話 まかない
バイトを始めたばかりの春。
駅前の落ち着いた雰囲気のカフェ『珈琲 雫』は、メニューも空気も少し大人っぽくて、最初の頃は背筋を伸ばしてばかりいた。
そんな中で、彼――純は、はじめて話しかけてくれた先輩だった。
「今日から入る子? 桜ちゃん、だっけ」
「はい、よろしくお願いします」
「俺は純。建築学科で3年。よろしく。あ、敬語いらないよ。ここ、あんま上下関係ないから」
笑った顔は少し照れたようで、でも目元はちゃんとまっすぐだった。
数週間が経った。
シフトがよく被る純は、無口そうに見えて意外とよく話す人だった。
丁寧にコーヒーの入れ方を教えてくれたり、失敗して落ち込んだ時も黙って片付けを手伝ってくれたり。
ある日、制服のエプロンに、小さな彫金のバッジをつけてみた。
桜の花と、コーヒー豆の意匠。真鍮のくすんだ金色が、少しだけ店の雰囲気になじんでくれた気がした。
趣味で始めた彫金。東京に出てきたのも、それを本格的に学ぶためだった。
だけど、自分が作ったものを人前に出すのは、やっぱり少しだけ勇気がいった。
「……それ、自分で作ったの?」
純が、ふいに言った。
「うん。彫金、やってて……桜の花と、コーヒー豆。なんとなく、この店っぽいかなって」
彼は、しばらくそのバッジを見つめていたけれど、
やがてふっと、笑った。
「似合ってる。……桜らしい」
その夜、帰ってすぐ、同じモチーフで小さなヘアピンを作った。
そんなある日、まかないのグラタンをふたりで食べながら、桜はふと訊いた。
「純くんって、建築なんでやってるの?」
「うーん……地元の商店街がなくなっちゃったんだよね。俺、小さい頃あそこでよく遊んでてさ。だから、“なくならない場所”を作りたかったのかも」
それは、桜が思っていた以上に、まっすぐで、強い言葉だった。
「……なんか、かっこいいな。そういう理由」
「いや、そんなにかっこよくないよ。でも、今の夢は“誰かの居場所を作る”ってことかな」
“誰かの居場所”。
その言葉が、桜の胸に静かに残った。
いつか、自分の作るものも、
そんなふうに、誰かのささやかな灯りになれたら――
ふと、そんな未来を、ほんの少しだけ思い描いた。
登場人物
桜 韓国語学留学中 20歳 純とは約1年前に珈琲雫のバイト先にて出会う
純 日本の建築学科3年生。桜と遠距離恋愛中
テフン 韓国アイドル IRISのメンバー