第21話 月の音が聞こえる部屋で 後編
「……名前、どうしようかな」
ぽつりと桜が呟いた。
「ブランド名?」
と千夏が顔を上げる。
「うん。自分の“ものづくり”を象徴する言葉。……ネットで販売しているから、ずっと考えてはいるんだけど、なかなか、しっくりくるのがなくて」
桜はペンを手に、ノートにいくつかの単語を書いては線を引き、また新しく書き直す。
「音、響き、つながり、透明……うーん、どれも好きだけど、言葉にすると固くなるというか……」
少し苦笑いして、ノートを拓海と千夏に見せた。
「“音”がテーマなんだよね?」
拓海がページを覗き込みながら言った。
「うん。私にとってアクセサリーって、“音”みたいなものなんだ。誰かの心に、ふと鳴り響く感じ。大げさだけど……そういうイメージ」
しばし、沈黙が流れる。
拓海は机のペンを手に取り、何気なく指先で回しはじめた。
器用にくるくると回転させながら、目線はノートのデザイン画に落ちている。
「……音……響く……鳴る……」
「울리다……だったっけ」
「和……調和……」
「なんか、こう……余韻が残る感じ」
「音色……残響……」
「音は소리……」
「소리……和……」
ぶつぶつと、思考の断片を漏らすように言葉が続く。
そして、ふと手元でバランスを崩したペンが、机の上にコトンと落ちた。
その小さな音に、拓海がぽつりと呟く。
「……あ、ソリワ」
彼自身、何かが腑に落ちたような顔をした。
拓海が顔を上げて言った。
「“SORIWA”ってどうかな?」
「“ソリワ”? かわいい響き!!」
と千夏が反応する。
拓海は真剣な眼差しで、ゆっくりと言葉をつなげた。
「“sori”は韓国語で‘소리’。つまり“音”。でもそれだけじゃなくて、“소리가 잘 맞는다”って言葉があるんだ。“音が合う”って直訳だけど、実際には“気が合う”とか“相性がいい”って意味になる」
「へえ〜」と千夏が感心したようにうなずく。
「で、“wa”は日本語の‘和’。調和とか、心のつながりを表す言葉。日本と韓国、どっちの意味もこめられるし、音の響きも柔らかいでしょ?」
桜は、口の中でそっと「そりわ……」とつぶやいてみた。
優しく、どこか心地よい響きが残る。
「でも実は、日本語の“ソリ”にも意味があって。“馬が合う”っていう言い回しとか……それに、音楽でも“奏でる”って意味で使われたりもする。誰かと一緒に、音を合わせるイメージ」
「“誰かと響きあう”……」桜がぽつりと呟く。
「さらに言うと、韓国語で“와”って、“〜と”とか“〜と一緒に”って意味があるから、“소리와”で“音と共に”って意味にもなる。偶然だけど、すごく桜っぽいと思う」
千夏が「うわ、そんなに意味詰まってるんだ……!」と驚いたように声を上げると、すかさず続けた。
「待って、天才じゃない? その名前、意味も響きも完璧すぎる……!」
目を輝かせたまま、拓海の方をまじまじと見つめる。
「こういうの、さらっと出してくるのズルいなあ……。普通、思いつかないよ?」
拓海は照れくさそうに視線をそらし、落ちたペンを拾い上げながら肩をすくめた。
「ペン回しながらぼんやり考えてたことが、たまたま口から出てきただけ」
そう言ってから、いたずらっぽく笑う。
「……でも、まぁ、もっと褒めて」
千夏が吹き出し、「はいはい、天才天才!拓海様!」とおどけて返し、
桜はそのやり取りにくすっと笑った。
「SORIWA。うん、すごく、いい」
桜の心の奥では、小さな音が確かに鳴りはじめていた。
それは、まだ名前もつかない“これから”の音――。
千夏がそっと言葉を継ぐ。
「本当、『SORIWA』って名前だけで、ひとつの物語を感じるよ。桜の作品に込められた“音”が、国を超えてつながってるみたい」
桜は静かに頷いた。
「この名前なら、私の作品が……誰かの心に届くかもしれない。少しだけ、そんなふうに思える」
桜はスマホを手に取り、アートマーケットの出店申請ページを開いた。
スクロールする指先が、一瞬だけ止まる。
でも桜の指は、静かに“申し込む”ボタンを押していた。
「……受けてみる。やってみるよ、“SORIWA”として」
言葉にしたとたん、胸の奥で、ひとつの音がはじけた。
◇◇◇
「よし、ブランド名が決まったなら、次は制作計画だね」
拓海が声を弾ませる。
「準備期間は短いけど、受注生産と現品販売のミックスでやってみよう。僕が搬入の段取りとかも全部サポートする」
その手際のよさに、千夏が目を丸くした。
「……てか拓海さん、なんでそんなに仕事できるの? どこかの営業さんとか?」
「ん? ちょっと慣れてるだけだよ」
さらっと流すように言って、拓海はにこっと笑う。
「でも頼りにしていいってことだよね?」
千夏がいたずらっぽく言いながら、テーブルにメモを広げる。
「どんなアイテムを、何点くらい用意するか。ディスプレイはどうするか。当日のスケジュールは……」
自然と企画会議が始まり、テーブルの上には未来への青写真が少しずつ広がっていく。
桜は、久しぶりに“手応えのある忙しさ”に胸が高鳴った。
小さな箱を開けるような怖さは、まだ少し残っている。
でもそれ以上に、「進んでみたい」という気持ちの方が、確かに勝っていた。
三人の間に流れる空気が、やわらかく変わっていく。
登場人物
桜 20歳韓国へ語学留学中 純とは遠距離恋愛を解消した
語学堂(語学学校仲間)
千夏 20歳
拓海 30歳(桜と千夏とは語学堂は一緒だが、拓海は上級クラス)
韓国人気アイドルグループ
IRISメンバー
テフン IRISリーダー ジュンと二卵性双子
ジュン テフンと双子
ミンソク 末っ子
ハユン 最年長




