第12話 コーヒーの香りと、遠距離のメッセージ
韓国の街並みが、日々少しずつ桜の目に馴染んできた頃。
留学先での生活は、最初の頃の不安と緊張を乗り越えて、徐々に落ち着いてきていた。
カフェでの勉強が、今や日課になっている。
毎日、同じ席で、同じようにノートを広げていると、ときおり店の温かな空気が、桜をそっと包み込む。
「あ、この香り……」
カフェの扉を開けた瞬間、漂ってくるのは、焼きたてのパンと濃いコーヒーの香り。
それだけで、桜の心はふわりと緩む。
そして、ふと――純を思い出す。
「純と一緒に、この店に来たことがあったらな」
甘いパンと、少しだけ苦いコーヒー。
あの日、純はこんなことを言っていた。
「コーヒーの香りって、どこか懐かしい感じがするよね。まるで、誰かを思い出させるみたいな」
その言葉がふいに蘇り、桜は少し笑った。
まさにその通り。いまの桜にとって、コーヒーの香りは――純そのものだった。
「帰りに、この店のコーヒー豆、買って帰ろうかな」
そう思いながら、またノートに目を戻す。
* * *
しばらくすると、桜のスマホが静かに振動した。
画面に表示されたのは、“내 자리 준(私の居場所 ジュン)”
一瞬、胸がきゅっと鳴る。
心がふっと弾んだ。
「桜、今何してる?」
たった一行のメッセージ。
けれどその文字の奥に、彼の声や表情まで浮かんでくるようだった。
何度も、何度も読み返してしまう。
気づけば、口元がゆるみ、ふわりと笑みがこぼれていた。
「カフェで勉強してるよ」
そう返信して、もうひとこと加える。
「ここ、純が好きそうなカフェだよ。コーヒーとパンがすごく美味しいんだ。私はラテだけど笑 今度一緒に来られたらいいな」
メッセージを送ったあとも、ふふっと小さく笑う。
あたたかなカフェの香り。静かな午後。
そして、純からのひとこと。
それだけで、今日という日が、少し特別に思える。
ほどなくして、純から返信が届いた。
「本当に? じゃあ、俺も行きたいな。
桜が勉強してるとこや韓国の建築、見てみたい」
その言葉が、桜の胸にやさしく響いた。
カフェの窓の外に目をやりながら、心の中でそっと思う。
――その日が来るまで、頑張ろう。
手を止めて、カップにそっと口をつける。
やわらかく広がるラテの味が、まるで静かな励ましのようだった。
もう一度、ペンを取り直し、ノートに目を落とす。
ほんの少しだけ、気持ちが軽くなっていた。
登場人物
桜 20歳韓国へ語学留学中 純とは遠距離恋愛中
純 建築学科3年
韓国人気アイドルグループ
IRISメンバー
テフン IRISリーダー ジュンと双子
ジュン テフンと双子
ミンソク 末っ子
ハユン 最年長