新しい世界
聖王は人ではない。と言うのは語弊があるが、人からは生まれないという。父も母もなく、ただ聖王として神から与えられる存在である。
それでも――何も変わることはないのにね。彼は、彼である。そう思う。
私はデリアスの空を仰いでいた。高くて青い空には雲一つない。鳥が孤を優雅に描いて飛んでいくのが見えた。さらっと頬を掠める柔らかい風は少しだけ冷たくて、冬が近い事を示している。まぁ、この国の冬なんてどうってことないのだけれど。
昔――フィゼルに居た頃。その寒さを思い出してはあっと手に息を吹きかけていた。
あれから幾度の夜を超えただろうか。気が付けば私たちはデリアスの子供となり十七になっていた。
まぁ。聖王を救ったとあれば、そりゃあこの国の宰相に泣きつかれ感謝されるよね。
それで今回は入国という希望が叶えられた感。前回もいろいろあってこの国の在る家族にに引き取られたんだけど、今回は違い私たちは下町の小さな家に二人で暮らしていた。ちなみにクラベルは学校――国民は漏れなく通う――をとっくに卒業して警備の仕事に付いていた。要人の警備で結構給金は良いらしいがケチなのはなぜだろう。
ともかくとして、クラベルは開けることが多いけれど時々、お土産を持って帰ってきてくれる。呪われそうな絵葉書とか、木彫りの熊とか。美意識が高いシュガーはひたすら眉を顰めていたけど私はそれなりに嬉しい。
何より私たちのことを考えて買ってくれることが有難かった。
「おはよう。姉さま」
声を掛けられて振り返った先には我が愛しの弟と言っていいのだろうか。美人。美人が立っている。なに、その艶々ぽっぺ。切りそろえられた蜜色の髪が更々と風に流れている。長い睫が白い肌に影を創っているんですが……。エメラルドの両眼が嬉しそうに輝いた気がした。
長い手足。紺のブレザーが良く似合っている。一挙一動。それてだけで周りを魅了する様で『きゃあ。動いたぁ』なんて言われているが、そりゃ動くでしょう。毎日そんなので飽きないのだろうかと思う。弟シュガーは口元に孤を描きながら私の横に立った。
どうでもいいけど、私の存在周りから見えてる? 大丈夫?
というか、この空間。皆の中で私が存在しているのか時々疑いたくなるわ。
そしてシュガー。さりげなく私の制服チェックするのはやめようか。跳ねた髪が直らないみたいな顔をしない。確かにそんな時間無くて直ってないけども。ぱしと軽く手を弾いてにっこりと笑う。
「はははは。おはよう。いい朝だね。ところで、シュガー今日の宿題してきた?」
一拍の沈黙。その後で嫌そうに口を開いた。
「うわぁ。まさか、また、忘れたの?」
「……はははは。まぁね」
忘れていたのではない。先ほど思い出しただけだ。昨日すこーし忙しくて疲れてて。あぁ。冷たい目で見ないで欲しい。可愛いくせに時々居殺しそうな目をすることが在るよね。この子。ただ、ただ可愛いだけの前回は……。
はぁ。と呆れたように溜息一つ。むぎゅむぎゅと頬を引っ張られる。
何するんだ。
いたい。そう言う代わりに手を叩くと手をパッと離される。
「姉さまは今年の聖女に選ばれたんでしょう? なら、きちんとしないといけないだろ。あぁ。まったく肌だってこんなに荒れて」
あぁ。と私は遠い目をしてしまった。思い出したくはなかったなぁ。
一か月後に行われる豊穣祭。そこで祭りを執り行うのが聖王と聖女である。聖王はともかく、聖女は現在不在で毎年国民の中から選ばれる事になっているのだが……なぜこんなに国民がいるのに自分が選ばれるのか分からない。
前回だってこの祭りは在ったけれど、私が選ばれるということなど無かったのに。
ちなみに聖女は聖王の配偶者であり、女神ユイリアの生まれ変わり。ただ、歴史上現れることはごく稀。この祭りに本物が伴ったという記録は無いようだ。
逆に言うと聖王は未婚が多い――聖女しか娶ることが出来ないから。たとえ恋をしようとも誰からもそれを認められることはない。
たとえ神ですら。
人から生まれていなくとも彼はただの青年であったのに。それなりに好きな人がいたらしいけど、可哀相だったね。あれ。
それは多分前回とも変わりない。
そんなことよりと、私は縋るようにシュガーを見た。どうにかならない? と言いたくて。当然シュガーは『しらない』と肩を竦めるばかりである。
「拒否権はな――」
「無いよ。だめだめ、僕が決めたもの」
カツンと音を立てて歩いてきたのは一人の少年だ。黒い髪がふわりと舞う。灰色の双眸。何処か現実離れした雰囲気を持った整った顔立ちの青年が立っていた。にこりと微笑む姿は後光が指すようだ。後ろで二、三人『もう、だめ』なんて倒れた人が居るけど大丈夫だろうか。生きろとしか言いようがない。
何だろう。キラキラが二倍になったら、眩しすぎてそれは倒れたくなる。わかるわー。と考えつつ目の前の少年に私は軽く礼をした。視界の隅でふわりと目が細められる。それは直視できないほど輝いて見え、慌てて地面に目を向けた。
今回は別に何の感情を持っていなくても、不意は心臓に悪すぎると思う。何なんだろう。この人。さすが神がつくりし人と言うべきなのかなぁ。これが人を魅了する力か。
アドラー・エッジ・フローリス。
この世界の唯一。聖王である。