叶えたいもの
こ、殺されるかと思った。聖女様にガタガタと肩を揺さぶられてほぼ脳震盪気味の私を引っ張って移動させたのはアドラーで。
魔法に近い移動魔術を無理やり使ったためかぜえぜぇと肩で息をしている。さらに顔色が悪く、脂汗を掻いているようにも見えた。
項垂れた頭。丸まった背中をゆるりと撫でるとアドラーは静かに顔を上げ、『大丈夫だよ』と言った。
大丈夫には見えないんだけどね……。
「――ごめん。彼女、最近は調子が悪くて部屋にずっと居てもらったんだけど」
それは監……。何でもない。愛の形は様々だよね。
にしても、美形が怒るのは人間離れしていて怖い。妙な迫力でちょっと震えた。
「あの、私聖女様に何かしたんですかね?」
何かした覚えはない。というかほとんど接点なんて無いのでは無いかな。あの幽霊として彷徨っていた時以外。
うーん。と考える。
「僕が浮気をすると思ってるんだろうね」
「無くない?」
大体――二人は結ばれるべきもので。そう言えば結婚はと考えて指輪的なものを探すが、アクセサリーはしていないようだ。
……。
なぜか知らないけど、悔し気に睨むのをやめてください。
「あ――。えと。ここは何処だろうなぁ」
触らぬ神は何とやら。私はワザとらしく視線をずらし、辺りを見回した。
どうやらどこかの村のようだ。デリアスから聖王は出ることができないのでデリアスで何処かであることは間違いなかった。
昼下がりの長閑な村は、建物がぽつぽつと点在している。遠くで畑仕事をしているご老人や、小川の周りで遊んでいる子供たちの姿が見受けられた。
ポカポカと温かな日差し。まるで世界に起こっている事とは無縁ののんびりとした平和な世界。青い空には綿雲がゆったりと流れている。
「国境の村だよ。此処が一番フィゼルに近いから」
近くにあった古びた井戸。もう使われていないらしいその縁にアドラーは疲れた様子で腰を掛けていた。パラパラとレンガの端が崩れて落ちた。
「フィゼルに行ってもいいの? 」
さっきまで渋い顔をしてたのに。
問うと、疲れ切った顔で私を見上げた。その灰色は微か、泣きそうにも見えた。元々こちらのアドラーは泣き虫だったと思い出す。
「良い悪いも……もう行くでしょう? その道が危険でも。僕が無理に止めても」
「うん。ごめんね。心配かけて」
「僕は行く事が出来ないから。安全な道から行ってほしくて。護衛は付ける事も出来ないから」
ぐるりと辺りを見回す。長閑な村には恐らく首都へ続く道が一本通っていた。それを辿れば鬱蒼とした森の中に消えていく。それは村の雰囲気から一変して禍々しい気配を持っているように思えた。一目で危険だと分かるようだ。
「あんぜん」
もしかしてああ見えて安全なのかも知れない。死んだ目で見ながら考えていれば『あの道ではないから』とアドラーは言った。
「でも、少しだけ。もう少しだけ。僕とこうして話してくれる?」
断る理由は無く、座るように促されてとんと私も井戸の端に腰を掛けていた。足がつかなくて思わす子供のようにぶらぶらさせてしまう。
ふぅと息を付くのが聞こえて私はアドラーを見るとその横顔は物憂げに一つの小さな家に視線を投げていた。
「僕らには昔から夢があったんだ」
「夢?」
『意外かな』とアドラーは苦笑を浮かべる。
そう言うのは、聖王は『我』を持つことが無いからだろう。前回のアドラーもそうだったけれど非常に感情が薄い。希望はなく、流されるまま。ただこの国を守ることだけを使命としている人たちだ。
人形のように。そこに意思があるようには見えない。
見えないけれど。私は知ってる。細かな感情があって、意思があると。泣いたり笑ったり大きくは出来ないけれど、そこには確かに心があった。
誰かを好きになることだって、ある。
私が伊達に引っ張りまわしているわけでも、話し相手をしていたわけではない。当時聖王を敬愛する神官たちより知っている事に優越感を抱いていたのを思い出す。
……。
よく考えれば、夢一つ好きな人一人知らなったので神官と同じような……過去の私が途端に恥ずかしくなって咳払い一つ。
「ま、まぁ。夢は誰にもあるので。ちなみに私の夢は――。皆で幸せな家庭を作ってそれなりに生きることでしたよ」
そう言えば本来なら学校を卒業して就職なんだけれど……普通に卒業してたらどうなっていたかなと思う。明確には決まっていなくて。出来れば役人になりたいなとは思っていた。シュガーには『あの成績で?』と笑われそうだけれども。
極々平凡。何の変哲もない。でもそれが一番いいと思うんだ。私には。
もうなにも叶わないけど。少しだけ胸を刺すような虚しさを感じていた。
「――いいね」
「アドラー様は?」
言うとアドラーは家を見たまま口を開く。細めた目には何が映っているのか。寂しそうにも幸せそうにも見える。
「僕ら<・>の夢も同じようなものだね。例えばあんな小さな家で。幸せに家族を作って生きるんだ。そうだね――奥の森で木材を切ってもいいし、家畜を飼ってもいいかもしれない。小さな庭で花を育ててさ」
ぴゅうとその言葉をかき消すように風が吹き抜けていく。まるで夢はここで終わりかと告げているようだ。巻き上がる黒髪を軽く整えてからアドラーは苦笑気味にすっと立ち肩を竦める。
「ずっと叶わない夢は見るものではないね。いや、見たくなかったんだよね本当に」
私は頭を振る。
叶わなくはないだろうと。何せ聖女様――よく知らないし怖かったけど――がいるのだ。神殿は許さなくともきっと何とかなると思う。
ただ、キラキラした二人がこんな片田舎で労働は違和感が拭えないけれども。想像もできない。
「聖女様なら叶えてくださいますよ」
「違うよ」
アドラーはゆったりとした動作で振り返り私を見下ろしていた。真っ直ぐな灰色の双眸が光を受けてキラキラと銀色に輝いてとてもきれいだ。
なぜだか固まってしまったアドラーに声を掛けると、ぐっと口元を結んでから意を決したようにして口を開いていた。
真摯にその双眸を私に向けてたままで。その目に微かに熱が灯る。ふっと微笑んだ表情にどうしようもなく――惹かれた。
「僕は君と叶えたかったんだ」
――だから。必ず。必ず戻ってきてほしい。
そう言って、彼は消えた。言い逃げたのかどうだか分からない。振り返ると座っていた井戸には縄梯子が掛けられていて、奥からは風が吹き込んでいた。
『もう。戻れないのにね』そう寂しそうに言うシャロンの呟きは誰も聞くことはない。
ひみつのつうろ的なもの




