誰がために
どんどんロゼリアがただの噛ませに・・・おっかしいなぁ・・・おかしい・・・。
深い沼から引き上げられる感覚に目を開いていた。見覚えのあるようなない様な白い天井。何度か瞬きした後でぐるりと部屋を見回せば――誰もいない。昼間なのか大きな窓からは零れんばかりの光が降り注いでいた。
ええと。ここは――。
困惑気味に身体を起こす。ただし全体的に気怠く、いつもよりも時間がかかってしまう。丁度いい所で枕やクッションを敷き詰めて、一仕事終えたなぁみたいな声を出してしまっていた。
なんで、ここにいるんだっけ。
とりあえず手が透けてないか確認して頬を叩いてみればきちんと痛い。幽霊で彷徨っている、なんてことは無いらしい。
――あぁ。そう言えば、転移魔術が剣に掛けてあるとかテノールが言ってたなぁ。さすが……と思っている場合ではない気もする。
とひりひりした頬を撫でながら美貌の青年を思い浮かべる。『大切に扱いなさいよ』という声が圧が強めに聞こえてきそうだ。
……。
その剣はとこだろう。と考えて辺りを見回すが何処にもそんな痕跡は見つからない。
まずい。落としてきた。
「呪われるぅ」
「起きた?」
私の言葉を遮るように蝶番が軋む音と共に扉が開いて、閉る。そこには一人の青年――アドラーが水桶を持ちながら入ってきていた。整えられた黒い髪と、灰色の双眸。以前見た時よりも幼さが消えて精悍さが増しているが、華奢で顔色も良くなかった。どこか儚い雰囲気と言えば聞こえはいいのだろうが、病的である。
聖女がいるので心配は無いかも知れないけれど。これは。
痛々しい。
「アドラー様?」
「うん」
なんだかニコニコとしながら水桶をサイドテーブルに。アドラーは細く骨ばった手を私の額に当てた。少し微熱でもあるのだろうか。その手が心地よく感じて軽く目を閉じる。
……ではなく。
「ここは、大神殿ですか?」
熱は無いようだね。と少し安堵した様子で呟いてアドラーは手を放していた。ベッドの脇に置いてあった椅子に腰を掛ける。古びた椅子は軋むような音を立てている。
「うん。二日前にね。シャロは女神像の下で倒れてたんだよ。もちろん大聖堂の方ではなくて、ほら。前にいたところの」
テノールの術がここに来るようにしたのか、それともランダムなのかは分からない。にしても。相変わらずテノールの魔術は通す大神殿である……。
「ごめんね。君の家族には伝令を出したのだけれど。宰相は今出張していて、ハーバリスト兄弟にはちょっと仕事をしてもらっていて」
「フィゼルですか?」
「……うん。会わせられなくて、ごめんね」
二人が最前線のフィゼルにいることを申し訳なく感じているのだろう。下手をすれば死んでしまうような所に送った事を。アドラーは分かりやすく肩を落としている。
二人は強い。当然の事だろうとは思うしアドラーの選択は間違ってはいないだろう。
それに。
「クラベル兄さまは戦闘狂なんです。喜々として行ったでしょう? あと、シュガーは私が居ると思っているはずなので、あそこから梃子でも動かないはずですよ。あっ、姉思いなので」
多分。普段はつんけんしてて冷たいけど。大事に思ってくれているのは間違いないし、それは自身があった。
「……重度のシスコンだよね。存外クラベルも」
何だろう。アドラーはにこりと笑ってチクチクと刺してくる気がするのは。まるで被害にあったかのようだ。まぁ、恐れ多くも敵対視していた気もするけど。
とにかく、シスコンではないと思うんだけどなぁ。うーむ。
重度?
「其れでも心配でしょう?」
「うん。でも私、信じているし……アドラー様が負担に感じることはないと思うし、何があっても恨まないですよ。私も皆も」
多分。
アドラーは薄く笑うと『そう』とだけ言う。恐らく、シュガー達の事だけではないのだろう。罪悪感と後悔が滲み出ている事もあって披露が増している。この国の為に、世界の為に。聖王として当然だろうことをしているだけなのだけれど――『今回』は優し過ぎるのだ。そんな想いなど切り捨てればいいのに。
私はぐっと身体を寄せて、細い手を取った。驚いたのだろう少し息を飲むのが聞こえ、灰色の目が私を見つめている。
「あのね」
こんなことではいつか倒れてしまうだろう。聖女がいようとも。
だから。
早く――終わらせないと。
「私、フィゼルに行かないと」
「――行くなと命令しても?」
硬い声に私は頭を振った。此処からフィゼルへと一人で行くのは相当時間がかかるかもしれないし、それだけクラベルたちの危険も跳ね上がる。けれど、行かないなんて選択肢は無かった。
本当は『世界を救うために』とかかっこいい事を言いたかったんだけどなぁ。まぁ嘘だし。私はそれが苦手だった。
ヘラリと笑って見せていた。
「約束したんです。迎えに行くって――それに。皆頑張ってる。私だけが――『中心』にいる私だけがぼんやりしているわけには行かないですよ」
「シャロが消えるのに?」
きゅうと私の手を握り返し、不安そうに灰色の双眸が揺れる。アドラーの顔は強張っていた。
なぜ――と問うのは愚問だろう。
目の前のアドラーと瓜二つな青年を助け出せば恐らくこの世界は本来の形に戻る。魔術なんて存在しない。怨妖なんてもちろんいない。本来の形の世界に修正されるのだろう。きっと――。
そこに私は、いない。本来死ぬはずだから。そうでなければならないだろうとは思っている。贖罪。そう言ういうものよりは――自己満足だろうか。
私は口元に笑みを浮かべる。何とも思っていない――安心させるような笑みを。友達なのだから心配するのは当たり前なんだよね。それを考えれば申し訳なかった。でも、結論は変わらないし変われない。
「まぁ、どちらにしても私の命は長くないですし」
「僕があの人と同じことをしないとでも?」
あの人――。テノールに見せられた記憶の中の余計な情報で、目の前の青年は確かに聖王として存在する。ただし、この時代の聖王は『存在したまま』。力は分散――主に向こうに行っている――し記憶も共有となっていた。そのため、持っている力は弱く――最弱の王とも言われているらしい。その代わりに得たのは『人間らしさ』。笑ったり、泣いたり。昔の無表情より断然いいと思うんだ。
兎も角として、そのアドラーがあの大魔法を使えるとは思わなかった。
それに、優しすぎる。私ごときの為に、そんなことは出来ないだろう。平然と友人を蘇らせようとして幾万幾千の命を捧げた人外とは違う。
くすりと笑みを落とす。
「しないでしょう? ――正確には出来ないじゃないですか」
「――つ」
悔しそうに顔を歪めて手を離していた。怒りから来るものなのか羞恥なのか微かに頬が赤い。見透かされているとは思っていなかったのだろう。腕で誤魔化しつつ私を見た。
「それに、聖女様がいるとはいえアドラー様も心配ですしね」
「心配?」
「友達でしょう?」
一拍。
何か変な事を言ったかな。と考えるぐらいには、恨めし気な目で見られているんですが。ええと。『何?』と伺えば、ゆっくりと口を開く。
「――記憶を戻したんでは? 僕らは何のためにこの事件を戻したと?」
何の為って――。
「えっと、私を助けたくて、でしょう?」
「……なぜ、が抜けてない?」
なぜ。って――と考える。
当時――現在もそうだけれど各国から『楽園』と呼ばれていたデリアスは国境沿いに展開するフィゼルに悩まされていた。無視していても良かったのだけど日々疲弊していく聖王を見かねて私は外交官としてフィゼルに向かったんだっけ。
……そのまま帰れなくなっちゃったけど。
笑えない。
しかもフゼィルの王様。私を囮にしてアドラーを呼び寄せようとしてたし。
……。
ほんっと。何でだろうね。そんな価値無かったはずなのに。無視をすると思っていたのに。私なんかの為に。
そんなことの為に、すべてを賭けてしまった。
「――何でだろう?」
もしかしたら。私以外の理由もあるのかも――。と考える。だって、それだけでは弱いから。在りえない。もしかしたらという何処か馬鹿げた推測を振り切っていた。それは多分――無いと思うんだ。だって本人が言ったんだ。
『好きな人がいる』って。――だから応援を……。
いや。落ち込んでいる場合ではなく。兎も角として『私を助けた理由』はテノールは教えてくれなかった。
私が覗いた記憶はあくまでも私の記憶を補完してテノールが教えたものだった。そこにアドラーの想いや状況を知っているわけではなかった。
「シャロ。あのね。僕は――」
「ちょっと」
アドラーの声をかき消すようにして乱暴に扉が開いていた。かつかつと怒りの音を立てて歩いてくるのは人形のような美しい女性だ。
聖女。ロゼリアはアドラーを一瞥し、私を睨むように見つめた。
「なんで、生きてるの? アンタ――」




