静かな庭
扉を開けると――別世界でした。というのは良くある話だけれど、本当にあるとは思わなかった。
でも、記憶に間違えなど無ければ『ここ』は私の知っている場所だと思う。妙に現実的なそこは別に天国的なものではないのだろう。
ちちっと小さく囀る小鳥の声。見上げれば何処までも高い蒼穹が広がっている。
美しく整えられた広い庭には人の気配などはなかった。緩やかに飛ぶ鮮やかな色彩の蝶。その向こうに見ええるのは休憩用に整えられた四阿だ。
振り返れば入ってきた扉はない。手を伸ばしても何の気配もないのでここで『なにか』をするべきなのかもしれないとなんとなく思った。その何かは分からないけれど。
花から淡く感じられる甘い匂い。眠くなるような緩やかな時間と温かさだ。
ひと眠りもいいかもしれない。そんなことを考えながら欠伸を浮かべて四阿に向かう。
「あら、珍しいお客様ねぇ」
振り向けばさらりと蜜色の髪が舞った。もちろん私のくすんでいる物ではなく、鮮やかで一つ一つが光を放っているような。それと同色の双眸が輝いている。
――あ。
「聖女、さま?」
やはりここはデリアスの大神殿。恐らく奥にある居住区の庭――。
何となく聖女の細い肩。その後ろに目を逸らせばそこには何もないことに安堵を覚えていた。それに気付くこともなく、聖女は柔らかい笑みを浮かべている。ただ、それに違和感を覚えたのはなぜだろうか。
「あの。私」
「お亡くなりに?」
え。
すっと指を指され足元を見ると影は当然のように無い。それによくある幽霊に漏れず私も何処か透き通っているだろうか。でも、感覚や嗅覚などがあるのが不思議だったけれども。
――なるほど。幽霊ってこんな感じなのか。
「あの、聖女様。私が――見えるのですか?」
「もちろんですわ。常人には見えないでしょうが、私は聖女なので」
おずおずと言う私に聖女は四阿を指しながら言う。どうやら座って離そうという事なのだろう。それはそうか。聖女様をいつまでも立たせている訳にも行かないだろう。
「見えないんですね」
少しだけがっかりしてしまった。お別れも済ませられるかなと少し思ったが世の中そうも行かないらしい。
「アドラー様にも?」
「……そんなことより、残念です。他国に攫われたと聞いておりましたが。こんなことになるなんて。我が夫も心配をしておりましたのに」
あからどれくらい時間が経過しているのだろう。外見上それほど変わらないように見える。しいて言えば微かに大人びたという事だろうか。
でも――結婚したのかぁ。そうか。
……そか。
だからって、何かあるわけではないけれど、なんだか衝撃を受けている私が居る。なぜだろう。当たり前の事で知っていたのに。
お似合いの二人だって。
でも――。
古来より、好きな人と結ばれないことはよくあるでしょう。可哀相だとは思うけれど。とアドラーに同情しているのか、自分にそう言い聞かせているのか自分自身にもよくわからずヘラリと笑う。
間違いなく聖王は聖女と居れば幸せになれるのだから。運命であるはず。
――友達が幸せなら私も嬉しいと私は思うんだ。
「おめでとうございます」
聖女様はすっと四阿にある石の椅子に座った。私もそれに続く。
にしても綺麗な人だな。相変わらず。
さすが聖女。人から生まれた神の生まれ変わりを誰も愛さないはずはないだろう。傷一つない滑らかなその右薬指には指輪が光っている。その光が何となく眩しかった。
ちらりと自身の指を見て逸らす。
ボロボロの掌が見えた。もっと死んだ特典とかないのかと突っ込みたくなる。張り合うわけではないけど、綺麗に見えるとか。そんなわけないか。
にしても恋する乙女がいる……。かわいいなぁとこちらがほくほくしてしまう。
「ふふ。ありがとう。貴方がこの国を去って色々ございましたの」
いろいろ、って何だろう。百年に一度の花が咲いたとかかなぁ。
「あの、私がこの国からいなくなってどれくらい経ってますか?」
「大体、そうね。二年くらいかしら?」
聖女が四阿で寛いだのを確認したらしい女性神官――多分身の回りを世話している――はお茶を運んでくる。もちろん一人分で、私はやはり見えていないようだった。
二年かぁ……。私にはついこの間の気がするのにな。
ありがとうと神官にお礼を言ってからティーカップに口を付ける。光さす四阿の中、優雅で一枚の絵のようだ。
ふぅと聖女は軽く息を付いた。
「二年前――貴方が消えてから少ししたくらいかしら? フィゼルから怨妖が突如噴き出すように増加しましたの」
は。
私は軽く息を飲んでいた。
なんでもないことのように言っているので一瞬『そうなんですか』と流す所だった。いや、それは。俄かに信じられない。昔習った事によれば怨妖の総量は決まっていて、そのすべてを浄化してしまえばその被害に会う人間はいないと――。もちろんそんなことできる人間なんて聖王をもってしても出来るものはいないが。
「どうしてですか?」
「ええ。本来怨妖は今地上に出ているものより多いの。ざっと半分くらいだったかしら? ずっと昔の聖王が封印したとされていたのだけれど……どうやら、その封印とフィゼルの王が接続してしまい爆発的に増えてきていると聞いているわ」
「……なる、ほど」
えっと。接続とかどこかで聞いたような聞かなかったような。とても嫌な予感に脂汗が背中に浮く。
もしかして私の所為だったり……。
いや。別に私が何かしたと言うわけでは。大体接続に繋げたのかもも謎だし――私の所為ではないよね。
つらづらと言い訳だけが脳裏に浮かんでは消えていく。そんな挙動不審な私の表情を無視して聖女は溜息を落とした。
「まぁ、こちらとしても黙って見ているわけではなく、各国上げてフィゼル自体を魔術である程度封印という形をとりましたが、それでも現在私たちは苦境に曝されていますのよ? 神官は各国に派遣され、この国の人々も例外ではないのです」
「……へ。へぇ」
元々デリアスは神の加護――聖王の加護――によって守られている。その加護は強く何人にも害せない。聖王ある限り続くはずだ。人々の営みもいつものように。
でも。その加護は代償が無いわけではないのを私は知っている。
『大丈夫。心配しないで僕が倒れても代わりはいるから。僕はこの国を守るだけだよ。全力で。命を賭して――それが僕らのいる意義だ』
青年の声が聞こえる。今よりも安定した低い声。その手は冷たく――私は。
どうにかして助けたかった。だから――。
「だから?」
……ん?
あれ、なんだっけ?
目の前には不審げに私を見ている聖女の姿にヘラリと笑うしかない。聖女は呆れたように口を開いていた。
「現在はこの国自体も加護を最大限に引き上げてますが、時折めんどくさいものも沸きますのよ」
『そのように』
流し目の先でザワリと空気が揺れる。濁った様な空気と腐臭に私は弾けるように立ち上がっていた。力の無い神官は悲鳴を上げて逃げ、聖女は余裕でお茶を飲んでいる。
慣れ切ったように。
その先に現れたのは――四本足の怨妖。ざりっと踏みしめた足元の草が枯れていくように見えた。暗い爛々と輝く双眸が聖女に狙い定めた様に見つめている。
低い、響く様な低い唸りだ。
「――つ?」
というか、なんで逃げないのこの人。あまりにも平然としているので『何か』あるかもしれないと疑うほどだ。
ちなみに私は慣れているので何も思わないし、この身体なのでもう何の危機も感じない。多分死んでるからね。
ざっ、ざっと今にも突っ込んできそうに前掻きをしているんですが……。
「あの?」
本当に逃げなくても――。
「倒してくださるのでしょう?」
極々当然の様に言われましても。武器も――と考えてたけれど、私は『持っている』と言うことにようやく気付いていた。先ほどまで存在などしなかったのに。
角材……。
えっと、これは武器なのだろうか。と若干疑念が生まれたが、逃げる様子もないので戦うしかないのだ。
「あの、私幽霊なんですけど?」
出来るの?
訝し気に聖女を見ると『どうとでもない』と言いたげにお茶を口にしている。
「気合で何とかなりますわ。安心しなさい? 骨は拾って――あぁ。死んでたわね。丁重に浄化してあげますわ」
気合。
何とかって……。
「私、怨妖じゃないんですけどっ」
たっぷり勢いをつけるようにして突進してくるそれを見て私は『あぁ、もう』とやけくそ気味に叫んでから耐性を低くして駆け出していた――。




