魔術展開
淡い光に照らされた世界は――地獄だった。照らすのでは無かったと後悔するようなグロテスクな遺体。辛うじて息をしている傷だらけの男。誰のものか分からない――手足。竦んで動けなくなった少年。
咽返る血の匂い。朝この状況を見た住民は何を思うのだろうか。
そんなことより。
死ぬ。絶対死ぬ。
耳を劈く様な甲高い音が辺りを響き渡っていた。対峙するのは大男。人型なんて初めて――テノールは化け物だから――見たが聞いていた通り、その容姿は以外にも人とそれほど変わることは無いようだ。ただ、皮膚は黒く濁り、その目は瞬き一つしない。そのために涙を垂れ流し、口からは涎か何かを垂れ流していた。
……何かは考えたくない。
兎も角として、振り下ろされた剣を避けると、地面を蹴って懐を凪いでいた。まぁ。当たらないよね。顔はガンギマリで何も考えてなさそうなのに。身体が剣術を覚えているのだろう。どう考えても洗練されたそれではなく、戦場で生き残るための剣術。元々は兵士だったのかも知れないと思った。
相手の持っているのは私の身体くらいある大剣。隙は出来るけれど当たったら確実に死ぬ。しかも足や手やらも参加してくるので手に負えない。現に今大剣の代わりに足が私の懐にめり込んでいるのが魔術の光で照らされるのを見た。一瞬、まるでスローモーションの様に見えたが、どうにもできないのが悔しい。
あ――。
視界から少し遅れて私の身体が吹っ飛ぶようにして宙を飛ぶ。
「聖女のねーちゃん!!」
声と同時か少しだけ遅れてか、私の身体は鈍い音を立てて壁に叩きつけられていた。
息の詰まる様な痛みは背中から。内臓を抉りだされるような痛みが腹部を襲って、私ははくはくと息を吐きながら蹲るしかできなかった。
痛みを越した痛みはどう言うべきなんだろう。
「あ、う……」
遅れて、無機質な音を立て剣が落ちる。ボロボロと涙が溢れて視界が霞むその向こう。消えかけた光に少しだけ照らされるのは……靴だ。
私を食べても美味しくないってば。女性の中では私、骨ばっていて、筋肉質だから。とは口に出せなかった。思うように喉が動かなかったから。
あぁ。もう。このまま死にたくないんだけど。
痛い。
あの兄弟を帰してあげたい。幼いのでこのままここに置いて行くのは忍びなかった。約束したし。一緒に帰ろうって。護るって。自慢の両親むを紹介してもらうんだ。
それに。私だって。
会いたい――。皆に。弟に。兄に。
平原の景色を一緒に見るって。約束したんだ。ふわりと笑うアドラーの顔は今も昔も同じだ。
だから。
諦めたく、ない。死にたくない。私は口元を硬く結んでから縋るように耳元のイヤリングに触れていた。
そんな緊張した局面を裂くように、ごっと鈍い音が響いて怨妖――大男の足が止まる。首が動かないので状況が良く呑み込めないが、ぽたりと地面に落ちたのは血のようなものに思えた。
なに?
コロコロと転がってくる掌大ほどの石。それも何処か血で汚れていて、投げて攻撃したのだ察する。
「おめぇの相手は俺たちもいるんだよっ!!」
ばーか。ばーかって複数の声で付け加えられる。
何処からか響く声に『ぐぅ』と小さく呻いて大男は身を翻す。どうやら知性は置いてきたようだ。バラバラと声の主達は逃げていくのを追いかけていく。
――大丈夫かな。
「嬢ちゃん逃げろ! 悪かったな」と何処からか謝罪の言葉が飛んできたがそう言うわけにはいかないし、逃がさない。どうせ逃げたって同じだから。
明日も、明後日も。こんなことばかり起きるから。会長だって今死んでしまうかもしれない。
私は倒れたままイヤリングを耳を引きちぎる勢いで手に取ると軽く魔力を流していた。そのまま『式』をイヤリングの宝石に直接書き込んで天に投げた。
載せた魔力で素早く宙で止まるのを確認しながら、私は言葉を紡ぐ。
「展開――」
暗い夜空に大きな『式』が広がる。それは自身でも驚く様な大きさだった。しかも知らない式も書き加えられ気ていて。ナニコレ、怖い。私は知らな……いや。そんな場合ではなく。
すうっと大きく吸ってから声をありったけ張り上げていた。
「雷よ――落ちろっ」
閃光に世界が染まる。
その中でこの場にいない筈の青年に気づいた。長い、銀色の糸のような髪は顔まで覆っている。少しだけみう隠れするような双眸は銀色。薄い唇は形よく、最初強張っていたが、綻ぶように笑った。それはどこか悲し気で、嬉しそう。相反する感情に心が締め付けられるようなそんな笑顔。
誰。
そう問う間もなく。光の洪水と共に彼は幻のように、消えてしまった。
「……アドラー?」
暗い世界。無意識なうちにふと呼んだ声に応えるものはいなかった。




