不安
どうやら、私は騙されたらしい……。だからあれほど知らない人に付いて行ってはだめだと言われたのに。
……ぁあああ。弟に怒られる……こわい。怖すぎる。
……。ごほん。
兎も角、記憶があるのはカニルと仲良く夕食を食べていたような。カニル。今度会ったら半殺しに。ではなくて。目覚めたらフィゼル――まだ存続に驚いた――の国境沿いにある小さな村にいて、床に拘束された状態で転がってました。
売られるために、他の子どもと一緒に。
なら、逃げるしかないよね。幸いにしてただの烏合の衆。簡単までとは言わないけど、何とか子供と逃げてきた先は――。
フィゼル――首都。ラ・ミアント。
「聖女のねーちゃん。そっちにいった。行けるか?」
暗い空に淡い月が浮いていた。刺すような冷たい空気。凍り付いた地面を私は駆けていた。街灯などない。辛うじて魔術を使った淡い光だけが足元を照らす。
ぐぅ。と唸るような声は正面から。それを気に止めることなどない。私はぐっと剣を握り直してだんっと地面を蹴った。軽く空中に『式』を描けば瞬時に光がまして『それ』を照らし出す。
大きな肢体の四目怨妖――。昏い輝きを持った目が私を見上げ、咆哮を上げたが『ばーか』と私は呟いてから怨妖の首に剣を突き刺していた。全身全霊。重力も加味しなければ、首すら切り落とせないのは悲しいけど。
巨体が崩れ落ちるとともにパンっと光がすべて消える。それと共にペタンと冷たい地面に座りこんでいた。
疲れを吐き出すようにして『これで終りかな』と独り言ちていれば、ぼんやりと私の頬をカンテラの明かりが灯した。
ゆっくりと、私が視線を向けると中年の男が手を伸ばしていた。手を取れと言う事なのだろう。『ありがとう』と素直に手を取っていた。
「お疲れ。聖女のねーちゃん」
聖女。その言葉にピクリと頬が引きつる。
いや。私がそう呼ばせいているわけではなくて、一緒に逃げてきた子供がそう言うからさー。大人も面白がるよね。
それが板についてしまった……。何度か訂正したのだけど言えば言うほど揶揄われるので抵抗する事をやめた。もう、好きに言えばいいよ。うん。
納得してないけどね。
やけくそ気味にははは、と笑って流しながら私は目の前で男たちに担がれている怨妖に目を向けた。
これから解体される運命のそれは、まずい肉として街の人間に格安で売られる。貧困と食糧不足。まずい肉でもそれは有難がられるものであった。
にしても。ともう一度大きく私は息を吐き出していた。右耳にある青白いイヤリングが揺れたため持て余し気味に指で弄ぶ。
ブレスレットの代わりに手に入れた増幅装置。これが無いと魔術が使えない。ああ、落ちてた――意味深――から拾っただけだよ。
「これで今日は終わりだと良いんですけど。何体目ですか? ええと――」
三体は斃している気がする。身体が鉛のように重かった。後一匹ぐらい――しかも楽勝なものが限界だと思う。多分それ以上は怨妖の餌になるだろうなぁ。
「神官様でも居てくれりゃあなぁ。聖女なんだから、ねーちゃんどうにか出来ないのかよ?」
ははははは。笑いが重なる。
「自治会長様こそ何とかできないんです? この地区の偉い人。神官様ぐらいパパっと召喚できるじゃないですか。やだなぁ。もう」
そう。目の前にいるのは首都の第十一地区自治会長。そして、遺体を片づけているのは自治会青年団の皆さんだったりする。その皆さんは私たちのギスギスに愛想笑いを浮かべるか、無視して作業をしていた。
ははははは。えへへへへ。
冗談は置いておいて。咳払い一つ。
「……でも。神官様は未だ不在で?」
「ん、ああ。知っての通りこの国の人間は戦争ばっかりしてっからなぁ。どうせどっかに盥廻しにされてんだろ? 可哀相になぁ」
なまじ治癒が使えるばっかりにと付け加えた。
私たちがフィゼルの首都に来たのはこの国唯一のユイリア・デリアスの神殿があるからだった。そして、神殿からしか、入国の申請ができない。
そもそも。
神官不在の為神殿が開かないとどうしようもない。かれこれここに来て三か月だ。
「帰れなくてもよ、ここで暮らせばよくね? 聖女様は強いし」
今度は青年だ。爽やかな顔をして言われても。君たち基本戦わない――戦えない――ので、戦闘力を確保したいだけだろう。と言うのが見え見えである。私がじとりとした目を向けると慌てて口を開く。
「そ、それに、デリアスなんてほぼ入れないって言うじゃん」
「祭りの時だけは入れるから……。というか、私は最悪、帰れなくても良いんですけどねぇ」
いや、良くないが。帰りたいし。皆に会いたいし。良くはない。良くはないけど、私より切実なのは、私と一緒に逃げてきた子供の事だった。
まだ七歳程度の子供が誘拐されてきたのだ。そりゃあ返してあげたいと思うんだ。豊穣祭の特例入国を使って直談判をしようと思ってる。
可哀相だしね。
えっと。後何か月先だっけ?
……ながっ。
とりあえず、それまでは。何とか。と私は汚れた掌を見つめた。
どこまで――行けるだろうか。ふと零れる言葉を飲み込んでからパンっと自身の頬を叩いていた。びくっとした会長と青年は無視しておく。
どこまでだって。頑張るしかない。私にはそれしか出来ないのだから。




