脱出
「姉さま。本当に良いの?」
祭りで浮かれる雑踏の中を私は小さな荷物一つ持って歩いていた。空を見上げれば良い天気。実にお祭り日和だと思う。
私はうーんと背を伸ばしていた。
「いいの、いいの。聖女様が来たから、どうせ私はお払い箱だし。お世話になったお土産は一応渡したし。誰も気にしないって」
大神殿は相変わらずバタバタしていた。当日は朝一番――それこそ日の出から儀式が行われるのだという。本来聖女代行も出るのだけれど、本物が現れた為に私は何もすることが無かった。多分これからも無い。なのでお礼の代わりと言うべきか、お土産を置いて出てきた次第である。居ても仕方ないからね。誰に言われたわけではない。
出来れは直接お礼とお詫び――せっかく教えてくれたのに使えなかったこと――をしたかったのだけど後日と言うことで。
あ。部屋の掃除はきちんとしてきました。マナーだから。
「でも。一人で帰ることができるんだけど。私」
神殿を出たところで『帰る』と連絡を入れれば飛んできたのがシュガーだった。うーん。暫く見ない内に……いや。変わってないな。
「人が多い。何処で迷子になるか分かんねぇし。姉さま、どんくせーから」
はははは。運動神経はある方だぞ。魔術は使えないけど、運動だけならまだ行けると――。いや、先ほどぶつかりそうになってシュガーに助けてもらったので言わぬが吉なのかも知れない。
「そう言えば慰労会出れなくてごめん。私の方はダメだけどクラベル兄さまに会ったら頼んでみるよ」
言うとシュガーは視線を巡回して懐から麻袋を取り出していた。見覚えのある袋。入口は硬く紐で結ばれている。
「あ――いいよ。別に。それと、これ」
とんと私の掌に乗せたそれは重い。
「奴に返しておいて――使おうと思ったんだけどさ……金貨なんてどう使うんだよ」
「――あぁ」
ついでに流通しているのは銅貨と銀貨。大抵はそれで事足りる。大量に使うときは銀行で紙幣に帰るという作業があるが……金貨は。え。今更なんだけど金貨の価値が分からない。
もしかして、お金使ったことが無いのでは……それは統治者としてどうなんだろうかと思わず心配になってしまう。
二人して遠い目になってしまった。
無言で袋をしまうと顔を上げる。
「まぁ、そんなことより。荷物置いたら祭りに繰り出そうよ。私神官さんに色々教えてもらったから少しは説明できると思うけど?」
「そう言えば姉さま。テノールの正体に気付いたの?」
「……え」
「いや、まずはテノールから説明しないとじゃん?」
忙しくて? そう言えば説明してもらっていないし、聞いてないなぁ……。教えてもらおうとしてすっかり忘れてた。どうでも良くなったというのもある。
……。
私はシュガーを見つめた。
「教えてくれる?」
「教科書読めよ」
教えてくれないらしい。家に帰って教科書開くことにうんざりもした。
にしても。じろじろ相変わらず注目を浴びているなぁ。相変わらずうちの子キラキラしているから。あら、ぶつかろうとして華麗に交わされてる。反射神経は鍛えに鍛えられているから申し訳ない。盛大に転んだ女性に手を伸ばせばぱちんと弾かれて、睨まれて去る。助けようとしただけなのに。
「姉さま。放っておくのが一番だと」
姉なんですけど……。よく見れば基本似てるんですけど。まぁ日常なので傷つきもしないけどね。溜息一つ。
私は聖女様とおそろいのようで全然違う蜜色の髪をクルクルしてみた。
――可愛かったなぁ。
お似合いだったなぁ。なんて考えてとぼとぼ歩く。シュガーが何か言っていたが適当に相槌を打って流して置いた。
「ねぇ、そこのお嬢さん。一人?」
「……ふぁ?」
あれ。ここどこ? ぼんやりと辺りを見回す。
実のところこの国の街並みはどれも同じようなものだ。その上祭りで人の往来が多くパッと見自身が何処にいるのか分からなくなってしまう。と言うか――。私はシュガーと逸れたらしい。
……。
迷子かな。シュガーが……。
かたんとブレスレットが揺れる。それに触れようとしたところで、目の前の青年が口を開いていた。
この国の人間にしては珍しい褐色の肌。黒い髪。茶色い双眸が楽し気に細められた。
「あぁ――どこかで見た顔だって思ってたけど、最近よく神殿にいた子だ。可愛かったから覚えてたんだ。俺」
えへへと笑う。
……。
可愛い? 誰が――と考えて私はきょろきょろと辺りを見回す。
まさか、私なのだろうか。そうだよと言いたげに青年は私を見た。本当か嘘なのか。よくわからず『ありがとうございます?』と疑問調に言ってみる。とりあえず褒められたので感謝は言うべきだろうという反射的反応だった。
何が面白いのか、青年はははっと笑って見せた。私より年上だろうに何処か子供っぽくその横顔は見える。
「まぁ、嘘は言ってないけどな。俺はカニル。フィゼルから来てんだよ。アンタは――神官ではないだろうし……ぁあ。『聖女様』かな?」
『フィゼル』と言う言葉もそうだが『聖女』と言う言葉に心臓が軽く跳ねた。まぁ間違いでは無いので私は苦笑を浮かべる。
何となくと引っかかりを覚えたのはきっと気のせいだろう。何処がと言えば具体的に答えられないのだから。
まぁいいや。
「今年のなんですけどね。それでも聖女様がいらっしゃったので私はお払い箱で――ああ。私はシャロンです」
「ははは。なら今日は暇ってわけだ。シャロン。俺と遊びに行こうぜ? 荷物は俺が持ってやるよ」
ひょいと持っていた荷物を半ば強引に取られ、私は手を握られる。骨ばっていて、少しかさかさした大きな手だ。
――違うな。と感じたのは何だっただろう。よくわからないと小首を傾げる。
「嫌?」
「そんなことは、でも弟が心配するので――」
少しだけ寂しそうな顔に私は罪悪感を覚えて慌てて顔を振った。
悪い人でもなさそうであるし、別に嫌ではない。と言うより――脳裏に一瞬だけ『二人』の姿が広がって少しだけチクリと何かが刺さる。だったら……私も。と思ったことは否めなかった。対抗するわけでは無くて。何か悔しかったのかも知れない。
簡単に言うともやもやする。
そんな私を見て、カニルはははと楽し気に笑う。
「なら、探しながら遊ぼうぜ」
「ちよっ――」
実のところブレスレットで会話は出来るのではあるが。軽く何度も振動するブレスレットに目を落としてから、何事もなかったように私はご機嫌そうに見えるカニルに引っ張られていった。




