大神殿
宗教の中心と言える大神殿はこの国の中心に存在している。その建立は千年以上前。この国が出来ると同時に初代聖王が建立したらしい。中心から両翼を広げたような白亜の神殿は美しく、ついこの間に建立されたかのような瑞々しさを保っていた。
正門から入って建物の右が主に大神殿。左が立法府――王宮として利用されている。そのため非常に大きく、小規模の街ならすっぽり入るかも知れない。
広すぎて前回何度迷子になった事か……。その度にアドラーが迎えに来てくれた気がする。それは遠い昔の懐かしい色あせた思い出だ。
微かに小さな少年の姿が見えた気がして目を細める。
「姉さま。どうしたの?」
「うん。ちよっとね。でも神殿は広いなぁって」
私たちは年若い――私たちより少し下位だろう。幼さが色濃く出ている――神官に案内されながら歩いていた。廊下から見える中庭は見事で、色とりどりの花が揺れて鮮やかだ。そこで走って遊んでいる――恐らく神官見習いの子供たちの姿がちらほらとみえる。目が合うとバツが悪そうに走って逃げたのは恐らく勉強から逃げてきたのだろうか。その証拠に『アイツら』と神官が微かに憤慨しているのが聞こえた。
まぁ。これも見覚えのある光景だなぁ……。後で教師に怒られるまでがワンセット。まぁシュガーは今とは違って大人しかったし、アドラーは何考えているのか分からなかったので私が主に怒られていたのだけど。
思わず遠くを見てしまった。
神官は気を取り直すように溜息一つ。にこりと穏やかな笑顔を私たちに向ける。それこそ何処にでもある神官の笑顔と言う感じだった。
「もう少しですよ。そこまで遠くありませんので」
「うん。ありがとう」
一般人が『聖王様に会いたいんですけど』なんて言って会えるはずもなく、そこは私たちの後見人と言うべきこの国の宰相――エルドゥイン・テスラ―に許可を出してもらった。『聖女姿楽しみにしている』と嬉しそうに言われたので、恐らく見せに来なさいと言うことだろう。
……綺麗な神子服を着るから。親のいない私たちにとってはほとんど親のような存在であったし、向こうも子供だと思っているようで、それは致し方ないとは思う。
恥ずかしいけど。恥ずかしいけどね。
そんな事を考えていれば、大きな扉の前にたどり着いていた。白い両開きの扉。そこには美しい装飾が金で施されている。門番なのかその前に立っていた衛兵に声を掛ければ、頷いてから扉に手を掛けていた。
ギッと蝶番が軋む音がしただけで、見かけよりも重くないようだった。白い扉の向こうには広い空間。最初に目に入ってきたのは鮮やかなステンドグラスだった。
赤、青黄色。そこから太陽の光が差し込んで、その前に置いてある神を模した像に淡く掛かっていた。その美しさは荘厳。何処か美術品の中に迷い込んだようだ。
こつりと一歩進めるたびに足音が響く。まるでそれ以外の音を失くしたかのように。
礼拝所――。
こんな奥まったところに礼拝所が在るとは知らなかった。前回、私たちの行動は制御されていたので入れないところは多々あった。此処もそうなのだろう。見たところ入口辺りにある一般向けの礼拝所よりは小さく暗い。しかしながらこちらの方が『神に見られている』と言うようなピリリとした緊張感を纏っているような気がした。
「礼拝所、ですか?」
こくりと息を飲み込んでから声に出す。
てっきり私はアドラーの私室に案内されると思っていたのだけれど。
小さな窓からは淡い光が入り、明暗をくっきりさせ、所々に置いてある花瓶には、白い百合がいけられていた。恐らくは中庭で栽培したものであろうか。それはとても瑞々しく、良い香りを漂わせている。
「ええ――はい。ここに」
カツンと再び音がして足音が止んだ。
――つと。
余りにも見慣れない光景で、私は前の神官が止まったことに気付かなかった。ぶつかりそうになり寸で足を止めると目の前には存外に大きな神像。何処の神殿にも在るようでない様なそれは威圧を持って私たちを見下ろしているように思えた。
「ここ?」
「――ええ」
少し悲し気な声が何なのかと考えるまでもなく。
本来神の『贄』を捧げられる大きな石造りの祭壇。そこには一人の青年が――アドラーが横たえられていた。整った横顔は青白く、長い睫は動くこともない。まるで人形――いや。
死んでいるかの様に見えた。
――あ。
横たえられている身体に纏うように置いてある白い百合。それはまるで。
こくりと息を飲む。私は何かを言おうと唇を開いて閉じた。何を言いたかったのだろう。それは自分自身でも分からない。ただ。
安らかにも見える顔に、怒りにも似た何かが這いあがってくるような気がして私はぐっと唇を結ぶ。多分お門違いの怒りなのだろうけれど。
死なないって、言っていたのに。
「死んではいないのです」
静かな声に私は現実に引き戻されるようにパッと顔を上げていた。睨んでしまったのは不可抗力だと思う。びくっと細い身体を神官は揺らした。
「どう言う――?」
「大丈夫だよ。姉さま。息はしてる。死んでないよ。脈もあるし」
ち。と舌打ちが聞こえたのは気のせいか。いつの間にかアドラーの手を取っていたシュガーは力のないまるで無機物のような冷たい手を私に渡した。
「生きてる」
弱いけれど、確かにその手からは脈動を感じる。今にも消え入りそうな。でも、まだここに居る。そう言うように。
――まだ、生きてる。
よく見れば微かに呼吸もしている。私はほぅと安堵の息を吐くとほとんど無意識に――自分でもどうしてそうしたのかは本当に分からないが、その冷たい掌を自身の頬に当てていた。
冷やりとした感覚が頬からジワリと私の体温に馴染んでいく。
「よかった」
『――』と心の中で誰かが呟いた気がしたが、何を言っているのか分からなかった。そして、それが何なのかすら私には分からない。
「にしても。神殿は見放したのか? これはまるで――おじさんからはそんなこと聞いてないけど」
おじさん。それは宰相の事だ。シュガーは冷たい目で見ると再び神官は肩を揺らした。泣きそうな顔は些か可哀相に思えてくる。
「み、見放したというよりは。我々はもはや神に縋るしか術は無かったと申しますか――。ご、ご存じの通り、猊下の傷は聖女様しか癒せず――」
聖王にはある程度の傷、毒。病気には耐性がある。あるがその代わりに一切の治癒が効かないという特異体質を持っていた。もちろん医術による処置を含めてである。これが歴代聖王が箱庭で育てられる理由。一切の危険を避けているのである。
とは言え。
歴代の聖王がほぼ短命に終っているのではあるが。
ただ。聖女さえ居れば変わってくる。神の生まれ変わりと言われる聖女は聖王の『すべて』を癒すと言われているのだ。どんな死にかけの傷さえも。
……愛の成せる御業とでも言うのだろうか……でも。その聖女様は何処にも、いない。悔しくてぎゅうとアドラーの掌を強く握っていた。本人が起きていればきっと『痛い』と言う程度には強い。
私が助けられたら。
『聖女で在れば……』
「何が在ったの?」
ぐっと感情を飲み込んで私は低く言った。見たところ大きな傷はない。小さな傷はもう治りかけていて軽く痕になっているだけだ。
神官は困ったように口を開く。
「現在猊下は魔力切れを起こしております――一度流れ出したそれはとめどなく外に流れ続けていて。我々はただ見守る事しかできず――」
やっぱり無理してたんじゃないか。命を削っているように見えたのは本当に命を削っていたからだった。
――つ。
「あら。出来るわよ?」
声を遮るように響く低い声。同時にステンドグラスがパラパラと粉々に――それこそ氷のように崩れ去った。直接差し込む太陽の光。それは目を刺すような眩しさで私は掌で影をつくる。
その陰の向こう。
何処までも暗く、昏い。黒い羽根が一枚舞った。そんな気がしていた。