プロローグ
よろしくお願いいたします
――何を望む?
昏く濁った眼で、彼は顔を上げた。目の前には幾千。幾万の無残な躯が折り重なっている。空を仰げは太陽も月もない。ただ『穴』が――世界の終りを示すかのように開いていた。
世界は滅ぶのだと本能的にわかる。自身の所為で。草すら枯れ果てた乾いた大地はうなりを上げている。低く、断末魔のような。
怨嗟が肌を突く。耳を幾度も駆け抜けていく。
なぜ。どうして。
分からない。
いたい。くるしい。
助けて――。
けれど、彼はなにも感じない。希望も、恐怖も。そのうちに自身も消えてなくなってしまうというのに。ただ、その掌に置いた『白い花』だけは死守する様に、消えてしまわないように、枯れてしまわないように大切に囲っていた。
もはや狂っているのだと自分でも感じている。そうでなければ世界を滅ぼしたりはしない。まともな神経であれば嵐のような怨嗟に耐えることができるものか。
ゆるりと虚ろな視線を上げた先には『何か』が揺らめいている。人ではない空気の揺らぎのような何か。それは人の形を形作ろうと努力しているようにも見えたが、それが人の形をついぞ成すことは無かった。
――ふむ? もう、星の生命力も尽きたか。
――絶望の箱。それを開け放てればもはや戻すことも出来まい。だが、一つだけ汝は希望を叶えることが出来る。何を望む?
願い。と彼は薄く呟いた。すべての命を――生命力犠牲にして一つだけ『なんでも』叶う願い。それは死者を生き返らせることも容易く出来る。だけれど、『それ』では足りない。足りないのだ。
彼は軽く頭を振って乞う様にして花を握りしめていた。それでも潰れないのは、手と花の間に見えない壁があったからである。まるで別の世界に在るように。
それが微かに揺れたように見えたのは気のせいだろうか。何処か抗議する様に――それに彼が気付くことは無かった。
くく。と『それ』は小さく喉を鳴らして空気を揺らめかせた。
――そのために絶望を解放したのだろう? その女を救いたくて。生き返らせたくて。いいだろう。望みのまま生き返らせよう。
その女。言葉の先には彼が持っている花がある。それは何処にでも咲いていた花。地味な雑草と言うべきで名など誰もが知ることはなかった。
でも『彼女』は知っている。
花が好きだった人だ。優しくて、温かい。木漏れ日のような人。
この世界に彼女は似合わない。だから。
脳裏を温かで幸せそうな少女の笑顔が過って、ぐっと叫びだしそうに鳴るのを飲み込む。詰まる様な息を無理やり吐き出して彼は言葉を紡ぐ。
それは驚くほどに自身でも静かな声だった。
「――いいえ。時間の巻き戻しをお願いしたいのです」
――ふ、無理だと言ったら?
何処か馬鹿げた様にそれは言った。その様子を暗い双眸が見つめている。
「出来るでしょう? 世界の命を捧げたのですから」
出来ないことは何もない。そのはずだ。それが出来なければ、この世界の滅びは何だというのか。自身がした事は。
だから、出来ないなんて認めることは出来なかった。
――いいだろう。しかし。無かったことには出来ない。お前の所為で、ここに在る怨嗟は世界に溢れ続けるだろう。幸せで美しかった世界はもうない。それでも願うか?
実際の所どんな世界か良そうも付かなかった。それでもと彼は揺らぎを見つめ続ける。その黒い髪が張り付く様な熱を孕んだ風にふわりと舞う。
「……はい」
――なるほど。では聞き届けよう。ただし。汝の記憶は貰い受ける。
「……」
――世界は美しく映らなくとも、辿る道は同じである。そしてお前も辿る道も同じだろう。またここにたどり着いてもこの我はもう助けられる事はもうない。よろしいか?
こくりと彼は頷いて見せると、揺らぎは満足そうに笑った気がした。
――せいぜい。励むがよい。世界が良い方向に行くのを我らは願っている。