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魔術師ターフィル

「バドルの筆頭魔術師、ターフィルと申します」

「斎藤香代です……」


 ライラとまったく同じ状況に香代はぐったりしていた。

 ターフィルはライラのようにコメツキバッタにはならなかったが、頭を下げたきり感謝の言葉を述べ続けたのだ。

 そこまで感謝されるいわれもないのでやめさせたかったのだが、またしても頭を上げさせるのに苦労した。


 だからターフィルは床に正座をしたままである。

 香代もなんとなくベッドの上で正座をしていた。

 異世界に来たというのにずっと正座。今時日本人でもこんなに正座はしない。


「まず、この場所について説明させていただきます。

 ここはバドルという国の首都、ヒラールにある王宮です。香代様は四日ほど前に執り行われた召喚の儀にて異世界より来訪され、それからずっと眠っておられました」

「それは……。ご迷惑をお掛けしました」

「まったくもって迷惑などではございません。起きられるほど回復されて何よりです」


 香代からすると死にかけていた時間は数時間程度の感覚だったのだが、四日も経っていたようだ。

 ずっと寝たきりなら怠くても当然だと納得する。

 そこではっとした。

 咄嗟に香代と名乗ってしまったが、体は美織である。そのことをちゃんと伝えておかなければいけない。


「あの、わたしの体のことなんですが……」

「ご安心ください。女神より託宣がございました。

 美織様は大変な状態のようですが、女神ライラの御許(みもと)におられるならば大丈夫でしょう」

「……」

「香代様におかれましては聖女の役目を美織様より引き継いでくださり、感謝の念にたえません」

「……いや、そんなに感謝されることでは」

「いいえ。香代様は巻き込まれただけだというのに。バドルのために立ち上がってくださり、誠にありがとうございます」


 満面の笑みでまた感謝されて居心地が悪くなる。香代は自分のために聖女になることを決めたのだ。

 具体的に言うとジュルネを殴りたい。

 こんなに有り難がられるほど素晴らしい人間ではないのだ。


「あ、あの、ですね。わたし、魔王を倒したいんです」

「ありがとうございます。私は香代様の補佐として旅に同行することが決まっておりますので、身命を賭してあなたの願いを叶えて見せます」

「えっ、重……。いや、あの、そ、そうだったんですね!」


 ターフィルの決意の重さに若干引く。

 しかし、香代は管理された試練だと知っているが、彼らにとっては世界の危機なのだ。当然の反応だろう。


「私以外にも勇者に選ばれたファアル様とアサド様が同行しますから、ご安心ください」

「パーティメンバーは決まってるんですね。どんな方々ですか?」


 そう尋ねるとターフィルはふたりの素性を教えてくれた。

 勇者のファアルは女性で、大将軍という軍のトップにある役職に就く父親を持つ。土属性の魔術が使えるそうだ。

 アサドはバドルの王太子で、火属性の魔術と剣術を得意としている。


「王太子って次の王様ですよね? そんな人が危ない役目に就いていいんですか?」

「統べる国がなくなったら元も子もない、とおっしゃっていました。そういう方なのです」


 アサドという王子をそう評して彼はふわりと笑った。気心が知れた仲だとうかがわせる微笑みだ。

 アサドとファアルは幼馴染同士だそうで、仲違いやギスギスとは無縁なパーティーになりそうである。

 人間関係を取り持つことほど面倒なことはないので一安心だ。


「みなさん魔術? が使えるんですね」

「はい。こちらの人間はみな魔術が使えます」


 誰もが生活を楽にする簡単な魔術を使えるが、武器になるくらいの魔力の持ち主は少ないそうだ。

 ターフィルのように職業にできるほどの使い手は一握りらしい。

 

「私は水属性の魔術が得意なんです。この通り、あまり攻撃的な魔術ではないんですが」

「……シャボン玉?」


 くるり、とターフィルの指先が円を描く。するとシャボン玉がその中に生じた。

 手を差し伸べると割れずに手のひらで弾んだ。


「あれ? 全然割れない」

「水の結界です。これで魔物たちの攻撃を防ぎます」


 むきになってむにむにと手で潰そうとするが、儚い見た目に反して、何をやっても割れない。

 クスクスとターフィルが笑っていたので、恥ずかしくなってやめた。

 手のひらに残ったシャボン玉は彼が指先で突くと容易く弾けて消える。


「私やアサド様は実戦経験も積んでおりますので、全力でサポート致します」


 ターフィルは頼もしく請け負った。

 彼は自分を補佐だと言うが、本当の補佐は香代の方だ。

 そう、香代はあくまで補佐なのだ。でも、どうしても成し遂げねばならないことがある。


「実は、魔王を倒すと主神に会えるらしいんです」

「噂には聞いたことがございます」

「わたし、召喚に巻き込まれたじゃないですか。召喚をしているのは主神でしょう? だから一発ぶん殴ってやろうと思っているんですか……」

「そうですか。それもよろしいと思います」

「えぇ……?」


 全肯定されてしまい、戸惑う。

 流石に「神に対して不敬だ」くらい言われると思っていたのだ。

 しかし、ターフィルはにこにこ笑っている。

 クレイ・ターロの人々は信心深いと聞いていたのに、早速イメージが壊された。


「本来こちらに来るべき運命になかった香代様を巻き込んだのは主神様ですから、殴られるくらい仕方ないかと」

「そ、そうでしょうか……?」

「そうですとも」


 さらに力強くお薦めされてしまった。

 これがクレイ・ターロのスタンダードなのか、ターフィルがおかしいのか、判断がつかない。

 彼はどうやらただの優しいだけの青年ではなさそうだ。笑顔を絶やさないところも、好印象というより掴みどころなく感じる。


「それでいくと……。私も殴られるべきですね」

「はっ⁉︎」

「召喚を取り行ったのは私です。香代様がこちらに来ることになった責任の一端は私にもございます」

「い、いや、そんなことは……」

「いえ、連帯責任です。さぁ、どこでもお好きな場所を殴ってください。鳩尾(みぞおち)が特にお薦めです」


 思ってもなかった提案に困惑する。

 聖女の召喚は国ごとに行われる魔術師の請願の儀式に応えて、主神が異世界から人を呼び寄せるとライラが言っていた。

 香代があのタイミングで召喚されたのは、ターフィルがあのときに儀式を行ったからだ。


 そう考えると責任がある気がするが、殴られることに積極的すぎて怖い。

 香代が戸惑っていると、「脛を蹴ったり足の甲を踏みつけるのも力がなくてもダメージが与えられますよ」と言ってくる。


(ま、マゾなの⁇)


 こうも積極的だとその疑いを抱かずにいられない。

 香代を揶揄っているとも考えられるが、表情が真顔なのだ。そして、とても真面目に痛い提案ばかりしてくる。

 むしろこれでマゾでもないならちょっと理解できない人種だ。


「あの、本当に結構ですから……」

「そうですか? 我慢ならなくなったらいつでも言ってくださいね。好きな場所を殴ってくださって構いませんから」


 にっこりと「サンドバッグになります宣言」をされて、全身から力が抜けた。

 目覚めた時から体が重かった上、正座をして長く話したので体も怠い。

 ふらつく香代に気づいたターフィルが上体を支え、ゆっくりベッドに横たえた。

 ついお礼を言ってしまったが、そもそもターフィルが土下座さえしなかったらずっと寝転がっていられたのだ。


「使用人を呼びましょう。アルナブという名の若い娘です。あなたの身の回りの世話をする専属の使用人なので、仲良くしてあげてください」

「うん、わかり、ました」


 横になるとたちまち瞼が重くなる。

 ずっと眠っていたはずなのだが、まだ足りないらしい。

 たくさん頭に浮かんでいた訊きたいことは泡のように弾けていく。最後にひとつ、消えずに残ったことが、香代を眠気から遠ざけた。


「あの、わたしの本当の身体、どうなりましたか」


 せっせと寝具を整えていたターフィルはピクリと動きを止めて、微かに眉を下げた。

 その表情は答えを言っているようなものだ。


「その、お体は、損傷が激しく……。こちらの判断で埋葬させていただきました。

 勝手な真似をいたしまして、申し訳ございません」

「……いいえ」


 予想通りの答えが返ってきて、わかっていたことなのに落胆した。

 電車に轢かれたのなら、きっと二目と見られない有様だっただろう。仕方ないことだ。

 地味で取り柄はなくとも愛着のある体にはもう戻れない。香代はもう美しいけれどまったく縁のないこの体で生きていくしかないのだ。


 気まずい空気が流れるが、眠気と感傷でぼんやりしている香代はターフィルを気遣えない。

 そんなところにバタバタと慌しい足音が近づいて来た。

 ノックもなく扉が勢いよく開かれる。


「ターフィル様! 街に魔物が接近しています! 出陣を‼︎」

「わかりました。すぐ行きます。あなたはアルナブを呼んでください。聖女様が目覚めました」

「あっ! は、はい!」


 飛び込んで来たのは武装した青年だった。ターフィルの頼みに、ベッドに横たわる香代を見てからまた飛び出していく。

 まるでつむじ風のような騒がしさに一瞬眠気や感傷が消える。

 呆然と青年が去った方を見る香代はターフィルが枕元に立ち、屈み込んだことに気づかなかった。


「すぐにアルナブが参りますが、あなたにはまだ休息が必要なようです。

 どうぞゆっくりとお休みください」


 すべらかな絹の声がそう耳元で囁くと、いつかのように香代の意識はすとんと、深い場所へ落ちていった。

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