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目覚めた先の異世界

 水の中にいるような揺らぎを感じて香代は自分が目覚めようとしているのだと知った。

 瞼の向こうが薄明るい。もう、朝なのだ。


 ゆるゆると瞼を開いても、ぼやけてはっきりしないが、焦りはない。少しずつ焦点が結ばれていき、金彩の大きな月と、星空が見える。

 金泥で縁取られた翼を広げる黒い鶴をぼんやり眺め、やっと覚醒した。


 確実に彼女の部屋ではない。

 今まで見ていたのはベッドの天蓋に描かれた絵だ。

 彼女は紗幕のようなカーテンで囲われた豪華なベッドで寝ていた。

 シーツはさらりとして、たくさんある枕もふかりと香代の頭を包んでいる。

 掛け布団には様々な色の糸で複雑な刺繍が施されている。日本の刺し子とはまったく異なり、かと言ってよく見る西洋風の刺繍ともまた違う。

 天蓋の絵も象形的で、独特のタッチだ。

 

 彼女の部屋でなくて当たり前だ。今の香代は異世界にいるはずなのだ。

 しかも、他人の体で。

 目覚める前のライラとの会話をすっかり思い出し、一度目を閉じた。


 心の準備が整うまで深呼吸を繰り返し、心拍が落ち着いたところで目を開く。

 そして、まず目の前に手を翳した。

 細く長い指の、少々骨ばった手だ。指が短くふっくらした、子供のような香代の手ではない。


 次はゆっくり身を起こした。

 動きづらいが、痛みはない。どうやら怪我はないようだ。覚悟を決めて自分の体を見下ろす。

 白いゆったりしたネグリジェのようなものを着ているためわかりにくいが、随分ほっそりとした体つきだ。

 ぽっちゃり体型で万年ダイエットをしていた香代とは大違いである。


 寝転がって五回転はできそうな広いベッドを這いずり、大苦戦してカーテンを開ける。

 髪が相当長いので、動くたびに纏わりついて鬱陶しい。

 ベッドを降りた時には息が上がっていた。足に力が入らず立つ時にふらついたが、なんとかベッドの支柱に掴まり体を支える。

 床には美麗で丈夫な絨毯が敷かれているため、踏ん張りがきいた。


 歩けるのかと不安になるほど体が重い。

 しかし、部屋を見回し、姿見を発見したのでそこまでは行きたいと気力を振り絞る。

 ふらつきながらもなんとか鏡まで辿り着き、えいやっと覗き込む。


(……ほんとに、まったく別人だ)


 鏡に映る人物は、二十七年慣れ親しんだ香代ではなく、見知らぬ若い女性だった。

 腰を越えるほど長い真っ直ぐな黒髪に、きりりとした大きな瞳。たまごのようなすっきりした輪郭から伸びる細い首。

 背は女性にしては高い方で、それに伴い手足もすらりと長い。

 年頃は香代よりずっと若く、十代後半ぐらいに見えた。


 思わず見入っていた。

 とても美しい。

 背の高さや意思の強そうな顔立ちから、男子より女子受けの良さそうな美少女だ。やや気位が高そうに見える。

 魂が粉々になってしまった美織はこんな女性だったのだ。

 正直、見た目だけなら勝ち組である。でもそうではないから美織は壊れてしまったのだ。


(……人生って難しい)


 今まさに他人の体で生きている香代はしみじみと思った。

 そして、同時に不安になる。

 ふたりはあまりにも違い過ぎるのだ。


 香代はだいたい成人女性の平均身長と同じくらいで、体型はぽっちゃり。

 丸顔で目も丸く、よくポメラニアンに似ていると言われていた。

 唯一の自慢は染めなくても明るい茶色の髪だ。

 ふわふわとした猫っ毛で長く伸ばすと絡むため、だいたいショートボブにしていた。それもまたポメラニアンっぽさを加速させていた。


 つまり、こんな、シャム猫みたいな女子とは正反対である。

 ちなみに香代はポメラニアンでもシャム猫でもなくマレーバクが好きだ。姪の誕生日プレゼントも大きなマレーバクのぬいぐるみにした。

 つい昨日のことなのに随分昔のことのように感じる。


 聖女になることを決めたあと、ライラから詳しく試練について説明を受けたことを思い出す。

 その中に、試練終了後の身の振り方についてがあった。

 魔王を倒せなくとも、ライラたち守護神は協力してくれた異世界人の希望をできるかぎり叶えてくれるらしい。

 なので、こちらの世界に残るという選択もあるそうだ。

 実際、香代の前に召喚された日本人三人のうち、ふたりがこちらに残っている。他国でも何人か移住を希望する異世界人がいたようだ。


 とはいえ基本的に帰ることが前提である。

 試練が終わればすぐ帰れ、ということはなく、いつでも好きな時に元の世界に帰して貰える。

 こちらの世界での加齢はなかったことになり、召喚されたときの姿で、その当時の場所と時間に戻される。

 ただ、試練終了後から五年経ってしまうとそこらへんの処理ができなくなってしまうので、それまでに決めなくてはいけない。


 香代は、元の世界に、日本に帰りたい。

 でも、こんなに元の香代とかけ離れた姿で帰れるのだろうか。

 自分自身すら顔立ちから体型まですべてが違いすぎて違和感があるのに、まったく別人の香代を家族が受け入れられるとは思えない。

 ライラ曰く、そこらへんは主神がなんとかしてくれるそうだが、相手は香代を最悪のタイミングで召喚に巻き込んだ奴だ。信用ならない。


 その信用ならない主神の名はジュルネと言い、ライラと同じ頃に生まれた男神だそうだ。

 彼は元守護神で、千年ほど前に先代の主神、プリミーティヴという女神から役目を引き継いだ。


 クレイ・ターロにはツェントラ以外にも三つの大陸がある。主神はそこにいるすべての守護神たちを統轄し、さらに若い神を大量に部下にしているそうだ。

 考えるだけでも大変そうだが、ようするに社長のようなものである。


 つまり、会社と同じ。

 ジュルネは元々主神を引き継ぐ予定のいわゆる後継者として育てられてきた社員だ。

 初めての試練を実施した時から前主神をしっかり手伝い、前々回と前回は彼だけで試練を成功させた。実績はあるらしい。

 しかし、人間の社長だって不祥事があれば謝罪会見を開くのだ。神だって反省とともに謝罪が必要だし、信頼回復に努めるべきである。

 信頼が回復するかは香代次第だが。


 鏡の前でそんなことを考え込んでいると、疲れてへたりこんでしまった。あまりに体力がなさすぎる。

 これから魔王を倒してジュルネを全力でぶん殴りたいというのに、こんな有り様では部屋から出ることすらままならない。


 他人の体であるせいか、元々美織が虚弱なのかがわからない。

 ライラは「美織は生命力が弱かった」と言っていたので、後者の可能性もある。

 それに、精神的に追い込まれていた人が体だけ元気というのもおかしな話だ。体調も悪かったのだろう。


 スタートから躓いているが、諦めたりはしない。

 香代は食欲はあるほうだし、飽きっぽくて効果は薄かったが、ダイエットの経験が豊富なのだ。

 最近のトレンドは減量よりも筋肉をつけてスタイルを良く見えるようにするものが多いので、きっと役に立つはずだ。


 とりあえず、自分の姿は確認したし、ベッドに這って戻ることにした。もう今日は立つ気力がない。

 のろのろ這いずっているとノックをされた。香代が返事をする前にすぐ扉が開き、誰かが入室してくる。


 座りこんで視界が低い香代の目に入ったのは、ゆったりとした白い服の裾だった。香代が着ているものと同じようなワンピースタイプの服らしい。

 しかし、徐々に視界を上げていくが、なかなか顔が見えない。相当背が高いようだ。


 腰のあたりで刺繍が施された帯を締めていて、服の胸元にも鮮やかな刺繍。

 小さなくるみボタンで閉められた詰め襟からちらりと覗く肌は健康的な小麦色をしている。

 やっと現れた顔は、男性のものだった。

 驚いているようでぽかんとした表情だ。


 おそらく、香代も似たような顔をしていただろう。

 男性の長い髪は透き通るような水色だった。瞳は深山の苔のような緑だ。

 わかりやすく異世界感溢れる色合いにまじまじと見つめてしまう。

 ちゃんと眉毛やまつ毛も水色なのだ。


「許可もなく入室してしまい、失礼いたしました。

 お目覚めになられたのですね、聖女様」


 さっ、と長い裾を捌き、男性が香代に跪く。

 低く、絹のようなすべらかな声は聞き覚えがあった。

 うろ覚えだが、召喚の場と思われるところで彼女に話しかけてきたのがこの声の主だった気がする。

 とてもいい声だと思ったのだ。


 驚く香代を覗き込む彼はいい声だけではなく、顔立ちも整っていた。少し垂れた目が優しげで、男性らしい体格だが雰囲気は柔和だ。

 驚きから戻って来られない香代をよそに、彼は「失礼します」と一声かけると床にへたり込んだままの彼女を抱き上げた。


(お、お姫様抱っこだ……!)


 初めての経験である。彼は背の高い美織の体だというのに、ふらつくこともなくベッドまで運び、そっと下ろした。

 掛け布団をかけてくれる手つきも丁寧で労りに満ちている。


 香代が恐る恐る見上げると、慈愛深い、美しい笑みが返ってきた。

 そして、見惚れる前に視界から消える。

 ぱさり、と裾を捌く音が聞こえて視線を下に落とした。

 すっと背筋を伸ばし、恐らく正座をしている男性は、整った所作で頭を下げた。


「私の召喚に応えてくださり、誠にありがとうございます」


 お手本になりそうな、見事な土下座であった。


(またか……)


 似たようなシュチュエーションに香代は思わず遠い目になってしまった。

 土下座を教えた日本人に土下座をしてほしいと切実に香代は思った。

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