異世界の事情
「バドルを守護する女神ライラですぅ〜……。は、初めましてぇ……」
「初めまして、斎藤香代と申します」
「あのあの、ご迷惑おかけしてるんで敬語とか使わなくていいかなぁ〜って」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
香代が了承すると神を自称するライラと名乗った美女は胸を撫で下ろす。
神と言われても納得できる美貌を誇る彼女だが、性格のほうはまったく神らしい威厳がない。
先程の土下座に続いてコメツキバッタのように頭を下げまくるので、宥めるのに大変苦労した。
現在ふたりは正座をして向かい合っている。
土下座から上体を上げさせるだけで香代には精一杯だったのだ。
どんな体勢でも構わないからとにかく今は少しでも自分のことや今の状況について知りたい。
今のよくわからない状態の責任の一端がライラにあるらしいのだが、自己紹介すらさっぱり理解できないのだ。これでは謝罪されても怒ることができない。
なので、すぐ土下座に移行できるスタイルで妥協した次第だ。
「あの、最初に言っとくと香代ちゃんは一応死んでません」
「ほんとに?」
十中八九死んでいると思っていた香代は衝撃を受ける。
確かに走馬灯を見たはずなのだが、違かったらしい。
ホッとすると同時に引っかかりを覚える。
「一応、ってどういうこと?」
まさか、何か不具合でもあるのだろうか。
咄嗟に体を見下ろし、足や腕を動かしてみる。特に動きに違和感はない。
「それは順番に説明していくね」
そう言われて確かに何もわからない今の状況で自分のことだけ説明されても理解できないかもしれないと引き下がる。
ライラの目が泳いでいるのが気になるが、とりあえず怒るのは全部聞いてからだ。
まずライラが説明したのはこの世界についてだ。
ここはクレイ・ターロと呼ばれる香代のいた地球とは異なる世界なんだそうだ。
香代は聖女を召喚する儀式で呼ばれた女性、の近くにいたため巻き込まれてこちらに来てしまった。
そんなマンガのようなことを言われても普段なら信じないが、そんなことに引っかかっていては話が進まない。
うんうんと頷いて流しておいた。
クレイ・ターロは地球と同じく、いくつかの大陸と海で構成されている。ライラはツェントラ大陸のバドルという国を守護する神だ。
ようするに土地神のような存在で、ほかの国にもひと柱ずつ守護神がいるそうだ。
神々がその土地を選ぶのではなく、すべての神の頂点に立つ主神からそれぞれの土地を守護するように派遣されて守護神となる。
守護とは具体的には任された土地とそこに生きるものたちが安全に暮らせるように大きな災害や気候の変動がないように調整する役目だ。
必然的に人は神に感謝し、両者の距離は近くなる。クレイ・ターロの人々はとても信心深いそうだ。
国境はそれぞれの神の担当する区域で決まっている。
なので、土地や財産の奪い合いを原因とする戦争も起こらない。とても平和な世界であるようだ。
ただ、問題もある。
「文明の発展がね、とっても遅いの……」
「ああ、それはそうだろうね」
競争や戦争、もっと豊かに生きたいという貪欲さは一見醜いけれど、向上心の源だ。
優しい神に守られたクレイ・ターロの人々は飼い慣らされた羊のように穏やかで「もっと」と上を目指すことはないのだろう。
何が正しいとは言えないが、とりあえず地球にもし神がいるなら放任すぎるし、クレイ・ターロの神々は過保護がすぎる。
丁度いい塩梅の神様というのはいないのだろうか。
人類だけでなく、生きものの進化も鈍化していて、主神からが干渉しすぎはよくないと注意喚起があったそうだ。
しかし、神々は過保護を止められなかった。
「だって、だって、一生懸命石で道具を作ってるところから見守ってるんだもん! 急に災害でたくさん死ぬとこなんて見たくない!」
守護神代表のライラの言い分はこうだ。
その気持ちもわからなくはない。
人類が石から道具を作っていたのは地球でいうところの旧石器時代だ。まだチンパンジーに近い姿をしていた二百万年前のことである。
クレイ・ターロは文明の発展が遅いようなので、もっと長い時間見守ってきたのだろう。
愛着を持つなと言うのも無理がある。
ライラ曰くほかの神も似たり寄ったりで、放任主義に転向するのはとても無理だったそうだ。
それに、手厚く保護されてきた生きものたちも急に神の守護を失ったとき、どうなるかわからなかった。
そのため、主神はひとつの提案をした。
試練を作ろうと。
「試練を作る?」
「そう。世界共通の敵を用意して、皆で協力し合って倒す試練を作ることにしたの」
その試練が世界を滅ぼさんとする魔王の出現なのだそうだ。
ある日突然現れて、魔王城という拠点から大陸中に魔物を蔓延らせる。
ひとつの大陸につきひとり、時期をずらしてそういう存在を生み出すことにした。
「なんかRPGみたいなんだけど」
「あっ、参考にしたって主神が言ってたよ」
「まじか……」
世界を上げての試練をゲームを参考にして作るとは微妙な気持ちになる。
主神はいかにしてRPGを知ったのかというと、一番偉いだけあって自在にほかの世界を覗けるそうだ。遥かな未来のことも知るだけなら容易いらしい。
その力があるからこそ、神々が人類の成長を阻害していることにも気づけたのだ。
主神の設定した試練は結構厳しい。
魔王の出現とともに世界の環境も少しずつ悪くし、かなり凶暴な魔物を野に放つ。
魔物は生きとし生けるものは平等に襲うので、それで生きものたちに生存競争を起こし、進化を促す。
魔物に襲われ、生活が苦しくなれば、ぬるま湯に浸かるような生活をしている人類も危機感を覚える。
定期的に魔王が出現すると周知すれば、人類はそれに備えて文明を成長させるという目論見だ。
主神主導の八百長だが、手抜きは一切ない、らしい。
ただ、それで人類が大量に死んでは本末転倒だし、あまりに高い壁に心が折れてしまうのもよろしくない。
そのための救済措置もちゃんと用意した。
まず、勇者という特別な力を授かった人物。これはそれぞれの国からひとり選ばれる。
すべての攻撃が魔物に対して特効になる、魔物の天敵になれる人間だ。
「待って。ひとつの国にひとりなの? 大陸にひとりじゃなく?」
「国にひとりいないとみんな不安になっちゃうじゃない」
「ちなみにライラのいる大陸はいくつ国があるの?」
「七つだね!」
「七人も……」
結局主神も過保護な気がしてきた。それとも守護神側の要求だろうか。
安心感を与えたい気持ちはわかるが、勇者七人が協力して魔王を倒しに行ったらひとたまりもない。
「いや、国ごとにパーティー組むことになってるから大丈夫」
「それ、国同士でどこが魔王を倒すかで揉めて潰し合いにならない?」
「今のところそういうことは起こったことないなぁ」
本当にクレイ・ターロの人々は善良らしい。
普通ライバルがいたら蹴落とすことを考える者がひとりはいるものだ。
勇者だけで十分だと思うのだが、さらに聖人または聖女と呼ばれる異世界人の召喚も行われる。
こちらはどちらかというと、神側の協力者だ。
この世界の危機が八百長だと打ち明け、もしクレイ・ターロの人々の心が折れそうなときは彼らを励まし、引っ張って行く役目を任される。
試練が終われば元の世界に帰れるし、協力してくれたお礼に細やかな加護が貰える。
具体的には年に一回一万円の当たりくじを拾うくらい運を良くしてくれるそうだ。
「大変そうな役割だけど……。そもそも突然現れた違う世界の人間を信用してくれるの?」
「それは大丈夫! 異世界人には異能があるから!」
「異能?」
「異世界人はね、世界を移動するときに元の世界の神様からひとつ、特殊能力を貰ってくるの。神様の庇護下から離れるから、自分の身は自分で守れるようにってとっても強力な力をくれるんだよ」
「巻き込まれただけのわたしにもあるの?」
「もちろん! あちらの神様からしたら巻き込まれたとか関係ないもの」
確かにそれはそうだ。世界を移動するという点では聖女か聖女でないかはあまり関係がない。
勇者と異世界人。特殊な力を持った人物を旗頭に立てることで人類を鼓舞しようということらしい。
ちなみに元の世界に戻ると異能はなくなる。あくまで異世界にいる間限定の能力だ。
異世界人を召喚する理由はほかにもあって、異なる価値観を持つ者と交流させて、クレイ・ターロの人々の精神的な成熟を促したいのだそうだ。
「ところで勇者とか聖女ってどう決めてるの?」
「そこらへんは主神が決めるからワタシはよく知らないなぁ。
守護神には異世界に干渉するほどの力はないの」
「なるほど」
異世界召喚関係は完全に主神の領域らしい。
ライラの守護するバドルはずっと地球の日本人ばかりを召喚している。国ごとにそれぞれ違う世界から異世界人を呼んでいるそうだ。
価値観の多様性を出すためと、同じ国で同じ世界の人を召喚し続けることでコミュニケーションをとりやすくしているのだろう。
絶対、ライラの土下座はいつかの聖女から教わったものだ。
きっと教えた本人もスライディング土下座を本当にするとは思ってもみなかったに違いない。
「試練は五百年に一度あるの」
「ご、五百年? 随分期間が空くね……」
「そう? ほかの大陸との兼ね合いもあるし、あんまりちょくちょくあると皆大変でしょ?」
不思議そうに首を傾げるライラは五百年の重みをまるで理解していない。
神らしい時間感覚だが、人間は五百年も経つと色々忘れてしまう。
かつて覚えた危機感もさっぱりなくなり、振り出しに戻っている頃合いだ。
はたして試練はちゃんと機能しているのだろうか。
「最近、試練の期間が始まったから、バドルで召喚を行ったのね。
そしたら……」
「余計なわたしまで来ちゃったのね」
「余計じゃないよ! 香代ちゃんのせいじゃないし!」
確かにそうだ。異世界召喚は主神の管轄なので彼だか彼女のせいだ。
だから、腑に落ちない。
ここまでの話でライラの非になるようなことはない。謝られる理由はわからないままだ。
「それで、わたしは今、どうなっているの?」
「それは……」
ライラは一度口をつぐんて、唇を戦慄かせながら話し出した。