楽園に招かれた蛇
バドルはライラを信仰している国だから、当然彼女を祀る神殿が各地に点在している。
ヒラールには国内最大規模のライラの神殿が街中にある。
香代たちは突然五体投地をしてきた少女を連れてそこへ移動した。香代はこちらに来たときに一度来たきりだ。
船底のようなアーチを描く天井は藍色に塗りつぶされ、星を現す銀彩が煌めいている。
聖堂に椅子はなく、座れるように床には一部絨毯が敷かれていた。
最奥には鳥の姿のライラが翼を広げた像が立ち、その背後は満月をモチーフにしたステンドグラスが嵌め込まれている。
そちらから日差しが入るように設計されているので、ライラが翼の先で月を挟んでいるような影が床に映っている。
荘厳な空間であるが、いつもライラの託宣を求める人や、なんとなく散歩のついでに寄った人などで溢れている。
黒いライラの像も捧げものの折り紙が飾られていて、威厳はない。過去の三人の誰かが教えた折り紙はすっかりバドルに根付き、こうしてライラにも捧げられている。
熟練の腕を持つものがいるようで、像の首に連鶴のネックレスがかかっていた。
賑やかな聖堂を抜け、神殿の奥へと進む。案内するのは神殿に仕える巫女だ。
薄絹のベールから透けて見える顔立ちはライラのような切れ長の瞳の、妖艶な美女である。ライラの託宣を授かる巫女たちはみんなこのような綺麗どころが揃っていた。
秘密の話をするにはピッタリの静かで人気がない場所の部屋へと辿り着く。
王宮から離れた場所で人に聞かれたくない話をするときはこうして神殿に部屋を借りるそうだ。
「さて。お前は何者だ」
案内役の巫女の足音が聞こえなくなってからアサドは切り出した。
「あたし、アルエットっていいます。……ソレイユの勇者、です」
彼女はそう自己紹介をして四人の度肝を抜いた。
「ひとりなのか。ほかのメンバーはどうした。まさか……」
「多分、元気ですよ。今も旅を続けてるんじゃないですか。
あたし、パーティーを抜けてひとりでここまで来たんです」
アルエットは自嘲するように口元を歪める。
クレイ・ターロに来てから初めてそんな表情をする人に会った。
「何故だ? 勇者としての役割を放棄したのか?」
「いいえ……。いや、はい、かな。あたし」
一度彼女は言葉を切った。みるみるうちに表情が変わる。
香代は人生で初めて、般若のような顔を見た。アルエットは控えめに言って激怒していた。
「あんな国が魔王を倒して他の国から賞賛されるなんてことになってほしくなくて、ここに来ました」
「どういうことだ。最初からすべて話せ」
アルエットから溢れ出る怒りのオーラに動ずることなく、アサドは促した。
彼女は憤然として事情の説明を始めた。
アルエットはソレイユで魔法を学ぶ学校に通うごく普通の学生だったそうだ。
両親を早くに亡くし、親戚がいなかったので隣の家に住む幼馴染一家の世話になりながら、幸せに暮らしていた。
それが、勇者に選ばれたことで一変する。
平民である彼女は本来近寄ることもなかったはずの王宮に呼び出され、国王に拝謁した。
その上、王宮に住むことも許されたのだそうだ。
「恐れ多いって恐縮してたんですけど、敬う気持ちは一瞬で消えました。あたしに下された最初の命令が『異世界人が男だったら誘惑しろ』ですよ。最低でしょ?」
嫌だと思っても、アルエットに拒否権はなかった。
どうやらソレイユは身分が法律でしっかり決められているため、平民のアルエットは勇者に選ばれたといっても誰にも逆らえなかったようだ。
バドルは王族以外は名家と呼ばれる家はあっても身分制度はない。
これからどうなるのか、不安しかないまま迎えた召喚の日、想定外の事態が起こる。
異世界人がふたりも召喚されたのだ。
ほかの国でもバドルと同じことが起こっていた。一体、ジュルネは何をやっているのだろう。
香代たちと違って、五体満足な状態で男女ひとりずつ現れた異世界人にソレイユの人々は狂喜した。
元々召喚されたのは男のほうだったが、双方を『聖人』、『聖女』として歓迎した。
「なんでまたそんなに……」
「ソレイユには異世界人の家系がないんです。だからどうしても異世界人に残ってほしいみたいで……。
それが無理なら子供だけでもってことですよ」
「それでお前に誘惑しろと言ったのか。最低だな。そもそも異世界人は魔王討伐を助けるために来てくれるというのに、ふざけた連中だ」
アサドが吐き捨てるように言うと、アルエットはキリキリと眉を釣り上げた。「それだけじゃないんです」と話を続ける。
「国は、補佐として異世界人たちにそれぞれ五人ずつ、見目がよくて優秀な男女をつけたんです。
あたしの幼馴染も、強い魔法剣士だったんで聖女の補佐につきました」
「あ、あからさまなことするなぁ……」
なり振り構わぬやり方だ。よっぽど異世界人の血がほしいのだろう。
「でもあたし以外の女の子たちは身分が高い令嬢だったんで、国の命令なんて無視ですよ。平民のあたしがやれって押し付けるんです。あの聖人たち怪しいから近づきたくないのに」
「怪しい?」
「過去の異世界人と今回のふたりは出身の世界が違うんです。チキュウのニホン出身だとか。別の国の異世界人と取り違えてるんじゃないかと思ったんですけど」
「……香代と一緒だな」
「えっ、じゃあ、取り違えじゃないんですね。同じ世界出身の異世界人が三人も、ってなんで?」
「さぁな。神の事情は人間にはわからん」
「その人たちの名前聞いてもいい?」
「えーっと。レイジとサキだったかな。ごめんなさい。名字もあったんですけど忘れました」
ありふれた名前なので、香代の知り合いかはわからない。その確率は低いだろう。
香代は一瞬玲司のことを思い出したが、打ち消した。もうとっくの昔にいない人間だ。
十二人という大所帯に加えて、戦闘に慣れた者ばかりが補佐についていたので、彼らは早々に旅立つことになった。
しかし、そこで聖人が神の託宣をもたらす。
「他の国を妨害しろって、ソレイユの女神が言ってるって言うんです」
「な、なんで? 人数も多いし精鋭揃いで真っ直ぐ魔王まで行けば普通に倒せる気がするけど」
「念のためだそうで……。あたしは女神の声が聞こえないからほんとかどうかわからないんですけど。
女神はどうしてもソレイユに魔王を倒してほしいらしくて」
「えぇ……」
ソレイユの神の名はマタンというそうだ。
普段は特に託宣はなく、ソレイユの民もそこまで信心深くないので印象は薄い。
女神の意図はよくわからなかったが、流石に神に言われたならその通りにしようとアルエットたちはぐるりと反時計回りに大陸を一周することにした。
「それは……。一年以上かかるのではないですか」
「聖人が転移という異能を持っていて、未知の場所でも地図さえあれば一瞬で大人数を連れて移動できるんです」
「なにそれ便利」
「消息が途絶えていたのはその移動方法のせいか……」
聖人の力で南西の国についた彼らは早速、その国の勇者たちを探した。
勇者は否応なく注目されているので見つけるのは難しくなかったそうだ。
南西の国のパーティーは男女五人組で、聖女を連れていた。
「心苦しいけど、怪我をさせてしばらく動けないようにしようってことに決まってたんです。でも聖女が『それじゃつまらない』って言って……」
聖女が提案したのはパーティの仲違いをさせようというものだった。
肉体的なダメージはほとんど時間をかければ治るが、関係の修復は時間がかかる上に治るとは限らない。再起不能にしてやろうということだった。
効果的だが、えげつないことを言う聖女だ。
「能力的にあたしが適任だって言われたんです」
「どんな能力か、お聞きしても?」
「あたし、風と水と火の魔術が得意で、組み合わせて幻を見せたりできるんです」
「素晴らしい。三つもの属性を使い、組み合わせるなんて。アルエットさんは天才ですね」
ターフィルに褒められてアルエットは曖昧に笑った。これからの話にその優秀さが深く関わっているのだ。
アルエットは他の仲間が調べた情報を基に聖女が提案した不信感を煽る幻術を個別に見せた。
呆気ないほど簡単に、パーティーは空中分解したそうだ。
特に南西の国の聖女は呼び出されて日が浅く、信頼関係が築けていなかったため、部屋に引きこもって出て来なくなった。
目論見通りにことが進んで、アルエットは愕然とした。
「あたし、何やってんだろうって。わざわざ学校に通ってまで勉強したのはこんなことするためじゃない。
それにあいつらも最低で、喧嘩別れしてしまった南西の国の勇者たちを嗤うんです。まぁ、実行犯のあたしが言えたことじゃないんですけど」
自国のためにという大義名分を元に、罪もない人を陥れてしまった。寄る辺のない異世界人を孤立させたことにも罪悪感を覚えたそうだ。
苦しい内心を吐露しようともその相手がいない。
アルエットもまた、パーティーで孤立していた。
「どうして? 幼馴染がいたんじゃないの」
「あたしが勇者に選ばれてから、あいつ急にそっけなくなったんです。
それに聖女にべったりで。あたしみたいに平民だからって聖女の相手を押しつけられてるのかとも思ったんですけど。聖女はみんなにちやほやされるのが好きで、全員ちゃんと相手してたから多分あいつ聖女が好きなんだと思います」
アルエットの表情は般若を越えて悪鬼羅刹の様相を呈している。幼馴染の態度に腹を据えかねているのだろう。
男たちを侍らせて楽しむ聖女に対し、聖人はあまり補佐の女たちを寄せ付けず、何を考えているかわからなかったそうだ。
「淡々としてて不気味でした。女神の命令だからって他国を陥れるし。これからもあたしが適任だと同じことをやらされると思うとウンザリして、逃げることにしたんです」
聖人が転移する際にそっと離れるだけなので、パーティーを離れるのは実に簡単だったそうだ。
それに、彼女のことを気にかける者もいなかった。
「ここまで来るのにひとり旅してきたんです。それで、道中あいつらのことを思い出すたびに腹が立って来て。元はあいつらがやってることを告げ口するためにバドルを目指してたんですけどね」
「何故バドルを選んだ?」
「単にあたしがあの人たちより先回りできそうな国がバドルだけだったからですね。魔王の城が近いヒラールには最後に来るだろうって予想して。当たったみたいで良かったです」
すべての話を聞き終えた香代は戸惑った。
行方不明で心配していたソレイユのパーティーは無事どころかほかの国の妨害をしていた。他国から連絡がないのはソレイユのせいでパーティーが崩壊して動けなくなっているのかもしれない。
(でも、どうやって?)
アルエットの幻術なしでどう仲違いするお膳立てをするのだろう。ちょっと香代には思い浮かばない。
しかし、彼らにはえげつないことを思いつく聖女がいる。
聖女が悪を囁いて、こちらの人々が実行する。それはまるで失楽園を目論む蛇のようだ。
だいたいの事情を語り終えたアルエットは目を爛々と光らせそんなことを考えていた香代を見つめた。
「手伝えることならどんなことでもやります。お願いします。バドルで魔王を倒してください!」
そう言って、また五体投地をしようとするので、止める羽目になった。




