清水の舞台から
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三時過ぎになり、太郎たちに約束があるからと言って、一旦その場を離れる。
恐らく、そろそろ薬の効果が切れているはずだ。
切れていないにしても、服装は変えておいた方がいい。
という訳で、着替えた。
京都と言えばやはり着物。着物のレンタルをしている店に駆け込み、制服から着物に着替える。
三時半ごろになって、鏡を確認する。
よし。服装も問題なし。見た目も声もちゃんと本来の自分の姿である悪道のものになっている。
それじゃ、早速清水の舞台へ行くぞ!
清水の舞台に行く途中、何人か知っている顔も見たが、俺には気付いていないようだった。
よしよし。問題ないな。
今日二回目の清水の舞台。約束の時間まではまだ十五分ある。
何をしようかな、なんて考えながらイリス様を待つこと数分。
「久しぶりね。まあ、ずっと傍にいたんだけど」
俺の隣に和服を着た美女がやって来る。
切れ長の目に妖艶な笑み。そこには、最近は全く見ることが無くなった、俺の同僚がいた。
「まさか、タマモ……か?」
「あら。覚えてくれていたのね。嬉しいわ」
忘れられるはずがない。
イヴィルダークの元部隊長にして、俺とイリス様に対して異常な執着を見せていた女。それが、タマモだ。
「……お前はガルドスの兄貴が捕らえていたはずだろ」
「ええ。でも、解放されたの」
解放された? まさか兄貴が?
何故だ。この女は俺を自分のモノにしたいという理由だけでイリス様を陰から殺そうとするような危険人物だぞ。何故、イリス様を慕っているはずの兄貴がそんなことをする。
「何度も言うが、俺はお前に興味はない」
「ええ。知ってるわ。あなたの心を占める女はイリスだけ。だから、私はイリスを殺そうとしたんだもの」
「……狙いはイリス様か?」
タマモを強く睨みつける。イリス様に害をなすつもりなら許すわけにはいかない。
「怖いわね。イリスに危害を加えたりしないわ。そんなことしてもあなたに嫌われるだけだもの」
俺の予想と違い、タマモは柔らかな笑みを浮かべ、俺の考えを否定する。
これは正直意外だった。だが、それなら何故タマモはここに姿を現したのだろうか。そもそも、こいつはどうやってここに俺がいることを知ったんだ?
「ふふ」
俺が考え込み、タマモから視線を外した瞬間、タマモが俺の首の後ろに腕を伸ばし、顔を近づけてくる。
「――っ!!」
咄嗟に首を捻る。だが、タマモの柔らかな唇が俺の頬に当たった。
「お、お前!」
タマモを睨みつける。だが、タマモの視線は俺の後ろに向けられおり、タマモは誰かに勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
その笑みを見た瞬間に、脳裏にまさかという考えが浮かぶ。
急いで振り向いた俺の目には、顔を青ざめ、泣きそうな表情のイリス様がいた。
や、やばい……。何とか弁明しないと!
だが、イリス様は直ぐに俺に背を向けて走り去っていく。
「……っ! やってくれたな」
自分でも驚くほどの低い声が出た。
俺に睨みつけられたタマモは、いつもと変わらない妖艶な笑みを浮かべる。
タマモへの怒りはもちろんだが、不用意にタマモを近くにいさせてしまった自分への怒りもある。
何より、イリス様にあんな表情をさせてしまったことが情けない。
直ぐに追いかけねえと。
イリス様を追いかけようとする俺の前にタマモが立ちはだかる。
「行かせないわよ。そもそもイリスに何か言ったところで信じてもらえるとでも? あなたとイリスは敵対している。でも、今のあなたと私は味方。私とイリス、客観的に見て、今のあなたと距離が近いのはどちらかしら?」
余裕の笑みを浮かべるタマモ。
悔しいがこいつの言う通りだ。今更、追いかけて何が言える? イリス様が俺の言葉を信じてくれる保証なんてどこにもない。
そもそも、言葉なんてものは俺たちが思っている以上に軽い。今のイリス様には、俺の言葉が届かない可能性の方がずっと高いんだ。
それなら――。
「なっ! あなた、何を!?」
初めてタマモの笑みが崩れる。
それもそうだ。だって、今俺は清水の舞台の手すりに足をかけているのだから。
「――信じてもらえるか? そんなの知らねえよ。俺は、信じて欲しいから言葉にするんだ。信じて欲しいから行動に移すんだ。でも、お前の言うことにも一理ある。だから、追いかけるよりも効果的な方法を思いついた」
思いは中々伝わらない。だからと言って、最初から諦めていたら何も伝わらない。だから、俺は声を大にして叫ぶ。この全身を、命を懸けて行動に移す。
イリス様に信じて欲しいから。伝えたい思いがあるから。
「待ちなさい!」
俺の着物を掴もうとするタマモの腕を躱し、清水の舞台から飛び降りる。
「イリス様ああああああ!! 大っ好きだあああああ!!!」
***<side イリス>***
約束の時間まで、あと五分。
着慣れていない着物ということもあり、いつもより移動に手間取ってしまったが、それでも間に合いそうだ。
「……一応、確認しておこうかしら」
手鏡を取り出し、軽く髪型を確かめる。
今日、例の戦闘員に会うという話をしたら、明里と花音に着物にすることを勧められた。
されるがままに着物を着せられ、髪型もセットしてもらった。
彼はこの格好を見て何と言うだろう?
『ふおおお! イリス様可愛いいい!!』
私の格好を見て、奇声を上げる彼の姿が脳裏によぎりクスリと笑みがこぼれる。
そうこうしている間に、約束の時間がもうすぐそこまで近づいてきた。
手鏡をしまい、清水の舞台に急ぐ。
キョロキョロと辺りを見回して、私は悪道を見つけた。
「あくど……う……」
悪道のもとに駆け寄ろうとして、足を止める。
悪道の頬に着物を着た美女が唇を付けていた。
よく見れば、その美女はイヴィルダークの元部隊長のタマモだった。
胸が苦しくなる。約束の時間なのに、足が前に進まない。
二人は付き合っていたの? 悪道が私を好きと言っていたのは……?
京都には二人で来ていたの……?
色んな疑問が頭を駆け抜ける。その答えは全て悪道の下に行って聞けば分かることだ。
だから、直ぐに悪道の下に行けばいい。あの悪道が私を邪険に扱うはずがない。だって、悪道は私を好きだと言ってくれていたのだから……。
……本当に?
タマモは、悪道のことが好きだった。悪道を自分のモノにしたいと言っていた。
今、悪道とタマモは同じイヴィルダークにいる。きっと、私なんかよりずっと同じ時間を過ごしている。
私が知っている悪道は、もう一か月以上前の悪道だ。最近出会ったのも二回程度。
悪道の気持ちが、いつまでも彼の思いに応えない私から、彼を好ましく思っているタマモへと変わってもおかしくない。
悪道の頬にキスをしたタマモが私に視線を向けてくる。彼女は、私に勝ち誇ったような笑みを浮かべてきた。
その笑みを見た瞬間に、悪道がタマモのものになったのだと思った。思い込んでしまった。
だから、私は逃げ出した。
彼に向き合うと決めたのに、目の前の光景がどうしても受け入れられなくて、胸がキュッと絞まって、苦しくて……。
少しだけ走ってから、足を止める。
悪道に追いかけて欲しかったのかもしれない。私の下に来て、好きだと一言言って欲しかったのかもしれない。
僅かな期待を込めて後ろを振り返る。悪道の姿は、どこにもなかった。
「……当然よね」
ポツリと呟く。それと同時に、足元に雫が一つ零れ落ちる。
「あれ……? 私、何で泣いて……」
涙をいくら拭っても、止まることは無い。
悪道が自分から離れていくのが怖い、辛い、嫌だ。
今更になって、私は気付いた。
私は、悪道が好きだったんだ……。
後悔先に立たず。私の恋は始まる前に終わった。
そう思っていた。
「お、おい! あれやべえだろ!」
「バカじゃねえのかあいつ?」
周りがざわざわと騒がしい。辺りを見回せば全員が清水の舞台の方を見ていた。
さっきの嫌な光景が思い浮かぶ。だが、私の目は不思議と清水の舞台に引き寄せられた。
そして、清水の舞台に向けた私の目に――。
「イリス様ああああああ!! 大っ好きだあああああ!!!」
――清水の舞台から飛び降りるバカの姿が映った。
その光景に、私の視線も心も奪われる。
終わったはずの恋は、まだ終わっていなかった。
あのバカが、勝手に終わらせることを許さなかった。
「ああぁぁぁぁ……」
ボス。
重力に従って落下し、木々の中へ姿を消すバカ。
「……こんなことしてる場合じゃない」
走りにくい下駄を脱ぎ捨て、彼が落ちていった木々たちの下に向かって駆け出す。
辺りは騒然としているみたいだったけど、今の私には何も聞こえない。
『イリス様ああああああ!! 大っ好きだあああああ!!!』
頭に響くのは、さっきのバカの言葉と、トクントクンと高鳴る胸の鼓動だけ。
「……私もよ。だから、死ぬんじゃないわよ」
私の初恋が走り出した。
***<side end>***
ありがとうございました!